破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:これが軽い波動領域の関係」

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意見の食い違い アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:これが軽い波動領域の関係」

今日の破・常識!

善悪、正義、正しい間違っているという

判断は手放してください。

あなたはあなたの考えでいいのです。

他の人はその人の考えでいいのです。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「これが軽い波動領域の関係」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

おかしいものはおかしいと言ってください。

あなたの肌で感じる”おかしい”でいいのです。

私は何かおかしいと思うけど

でももしかしたら私の方がおかしいのかもしれないと思い

おかしいと言えないという方も

いらっしゃるかもしれません。

他の人がおかしいって言ってないのに

自分だけおかしいとは言いにくいよねと

躊躇している方もいらっしゃるかもしれません。

でも、あなたが肌感覚でおかしいと感じるならば

私はおかしいと思いますと堂々と言ってください。

私はおかしいと思います・・それだけでいいのです。

他の人の同意を求める必要はありません。

同じようにおかしいと思う人を

意図して集める必要もないのです。

おかしいなんて思うあなたの方がおかしいんじゃない?

って言われるかもしれません。

でもその時は、あなたはそう思うのですね

でも私はおかしいと思うのです

・・と伝えればいいのです。

私はおかしいと思います。

私は違和感を感じます・・と

”私”を中心にして考え、伝えてください。

”私は”こう思います・・と

”私”を前面に出せば誰も何も言えなくなるのです。

あなたの世界はあなたが創造しているのです。

ですから、あなたの世界の中心である

”私”を全面的に出して、”私”を信じていれば

誰もあなたの世界に介入することが出来ないのです。

分かりますか?

あなたはそう思うのですね、でも”私”は違う意見です。

とお伝えすれば、誰も何も言えなくなりますね。

そこで対立のエネルギーは出さないくださいね。

対立のエネルギーで話をしてしまうと

対立で返してもいいと思われてしまいます。

そうなると力の強い方に押し切られて

介入をされてしまいますので

あくまで冷静にエネルギーを引くことなく

対立することなく、”私”はこう思います

と堂々と伝えてください。

エネルギー的にニュートラル

(引くことなく、対立することなく)でいれば

何も出来なくなります。

そうすれば意見の違う人とは

そっと離れることが出来ます。

私はこう思います・・

”私”を中心にしっかりと立つことが出来れば

ブレることもなくなります。

あくまでも”私”でいいのです。

他の人がどう感じているか、どう考えているかは

考える必要はないのです。

あなたが”私”はこう考えますと

しっかりとブレずに伝えることができれば

同じように考える人はあなたに賛同し

近くにいようと思ってくれますし

もし本当に違うと思えば

そっと離れていってくれるのです。

そうなるとあなたのまわりは平和になります。

同じような考え方の人といると楽しいですし

争いごともなくなります。

いやな思いをすることもなくなります。

(何から何まで同じ考えの方はいらっしゃいません。

でも、この”私”はこう考えますという

思考を持つ人同士であれば

どちらが正しいなどということで

争ったりすることはなくなりますので

平和でいられるのです)

争いごと、いさかいは、どちらも自分が正しい

と主張しあうことですので、それがなくなれば

争いもいさかいもなくなりますね。

私はこう思います、あなたはそう思うのですね

という距離感を大切にしてください。

それがお互いの自由への尊重であり

その人への尊敬、感謝の気持ちなのです。

あなたが”私”はこう思いますと伝えるならば

相手も”私”はこう思います・・と伝えることが出来

干渉し合わなくなるという事です。

こういう考え方をされてしまうと

人々を争わせ、常にいさかいの

緊張感をもたせておきたい人(支配者)は困るのです。

彼らは分断させたいのです。

あなた達に仲良くなってもらっては困るのです。

だから、常に善悪の判断をするように刷り込むのです。

どちらが正しい、間違っているという判断しか

出来ないように刷り込むのです。

映画やドラマなどでも正義のヒーローを登場させ

単純に正義が勝つという構図に慣れさせていくのです。

正義のためには暴力も致し方ないと思わせるのです。

正義のためならば何をしても良い

そして少々の犠牲は我慢しなければいけない

と教え込むのです。

そして、彼らが彼らの都合の良い

正義の定義を創り出すのです。

彼らの提示する正義を行うものが良き人、素晴らしい人

賞賛される人、そして、社会的に利益を

得ることが出来る人とされ、彼らの正義を行うように

ミスリードするのです。

その正義はどちらから見た正義でしょうか?

という視点を持たないように次から次へと

同じような作品を作り刷り込んでいくのです。

話がそれましたが、私はおかしいと思います・・

と淡々と伝える事は善悪、正義とは違います。

社会的な判断(どちらが正しい)もありません。

私はこう思います、おかしいと思います・・

そこで完結するのです。

分かりますか?

私が正しいのであなたは従いなさい

ということではないのです。

私は私の世界、あなたはあなたの世界がありますので

尊重しあいましょうということです。

これが個を大切にするということです。

善悪、正義、正しい間違っているという

判断は手放してください。

あなたはあなたの考えでいいのです。

他の人はその人の考えでいいのです。

あなたが素直に率直に淡々とおかしいと思います

と伝えれば同じように感じる人がそばに集まってきます。

そして、まったく違うと思う人はそっと離れていきます。

でも違う案件では、離れた人とまた近づくこともあるのです。

その案件では同じ考えで近くにいた人も

違う案件ではそっと離れるということもあるのです。

人とのかかわりはとても流動的なのです。

これが軽い波動領域の関係なのです。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

私たちは何かと言うと自分の意見と違うことをいう人がいると、「私の方が正しい」という主張を

することが多いと思います。

それが常識ではなく法的根拠に基づいた場合ならある程度認知された尺度をもとにした判断となる

ので、主張すること自体は問題はないと思います。

そうではなく、自分の持っている常識や通念・概念などが基準となっている場合は必ずしも自分の

持っている考え方がすべての人に受け入れられるとは限りません。

その考えが相手と似ていたり同じであるならば問題は生じません。

お互いにそうですか!と意気投合することになりいい結果を生みます。

しかし、合わなかったりした場合はどちらかが自分の正当性を主張し始めたら、その結論が出るまで

不毛な争いを続けることになってしまい、時には仲の良い友達であっても亀裂が走ることもあるかと

思います。

そんなときにはアシュタールの語るように相手の立場と考え方を認めてあげることです。

そのうえで自分はこう思いますと言えばいいのです。

最初から相手を否定しないようにすることが大事なことでしょう。

「そういう考え方もありますね」と、やんわり返すことです。

ただ、咄嗟に出来ないこともあると思いますので、気持ちを落ち着けて考えながら話すように

するといいですね。


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