JAでも卸売業者のせいでもない「コメ価格高騰」の真犯人が判明
現役農家が明かした「コメが消えた本当の理由」
■記録的な猛暑でコメの生産量は3.5割減少
「農協が悪い」「誰かが隠し持っている」。近年の米不足と価格高騰を受け、私たちの食卓を支える主食をめぐって、様々な憶測が飛び交った。市場からはコメが消え、価格は高騰。この「令和のコメ騒動」ともいえる事態は、多くの国民に不安を与えた。
しかしその裏で、生産現場は気候変動という巨大な敵と静かに戦っていた。青森県十和田市で約80haもの大規模な稲作を手掛ける「十和田アグリ株式会社」の代表取締役社長、竹ヶ原直大さんは、当時の窮状をこう語る。
「記録的な猛暑は、収量そのものを激減させるだけでなく、米の品質を根底から破壊しました。高温障害による『白未熟粒(お米が白く濁ってしまう現象)』が多発し、米の等級を決定する『一等米比率』は著しく低下しました。現場では、これまで1反あたり11~12俵(約660~720kg)獲れていた田んぼが、7~8俵(約420~480kg)しか獲れない、という声が私の周りでも数多く上がっていました」
農家ができる対策は「田んぼの水を絶やさず、常に新しい冷たい水を流し続ける」といった対症療法。自然の猛威の前では、個々の努力は限界に達していたのだ。
昨年、米価は例年の1俵あたり1万5000円前後から2万5000円前後へと高騰したが、それは異常気象による減収と表裏一体の現象に過ぎなかった。問題の核心は、誰かの意図的な操作などではなく、現実の生産量と、国が把握する統計上の数値との間に生まれた、致命的な乖離にあったのだ。
■誤った統計が生み出した「消えたコメ=幽霊在庫」
今回の騒動で市場を駆け巡った「消えた21万トン」という言葉。しかし、竹ヶ原さんは「そもそもその21万トンは、最初から無かったのではないか」と、問題の本質を指摘する。
夏の記録的猛暑を受け、生産現場では秋の収穫量が大幅に落ち込むことは自明の理だった。しかし、国の発表する作柄予測は、現場の危機感を正確に反映していなかった。その結果、政府も流通業者も、実態よりも多い収穫量があるという前提で需給計画を立ててしまったのだ。
いざ収穫期を迎え、米の集荷が始まると、その「ズレ」が現実のものとなる。流通業者は予定していた量の米を確保できず、市場では急速に品薄感が広まった。
「米が例年ほど取れていないのに、インバウンドの影響もあり消費量は増えている。このままでは足らなくなるのでは、という話は、生産者の間では数年前から議論されてきました。それが、昨年の夏頃から表面化してきたのです」と竹ヶ原さんは語る。
実態と異なる楽観的な公式統計が、市場の初動を遅らせた。そして、いざ米不足が明らかになると、一部での買いだめや売り惜しみの憶測を呼び、価格高騰に拍車をかけた。つまり「消えたコメ」とは、物理的に隠された米ではなく、誤った統計が生み出した「幽霊在庫」だったのである。この統計上の幽霊が、市場に実在のパニックを引き起こしたのだ。
■幽霊在庫を生んだ「ふるい目」とは何か
なぜ、これほどまでに現実と乖離した「統計上の幽霊」が生まれてしまったのか。その根本原因は、国の基幹統計である「収穫量」の算出において、政策的な都合を優先した特殊な基準(ものさし)を長年使い続けてきたことに尽きる。
話の核心に入る前に、まず「ふるい目」という言葉を理解する必要がある。これは、収穫した米を大きさで選別するために使用されるふるいの網目のサイズを指す。一般的に1.7mmから2.0mmの範囲で設定され、この網目から落ちた小さな米は「くず米」や「ふるい下米」として分けられる。この選別基準が、今回の問題のすべてと言っても過言ではない。
■20万トン超の差を生む「1.70mm」という絶対基準
農林水産省は2024年産米について、平均収穫量を1反あたり約540キロ、全体の収穫量を679万トンと発表した。この数字は1.70mmのふるい目を使用し、調査された収穫量である。
では、この国の公式発表のどこに、市場を混乱させるほどの問題が潜んでいたのだろうか。
消えた21万トンを生む最大の要因は、国の統計基準と実際に流通する米との「ふるい目」の差だ。農家が収穫した米を選別する際のふるい目幅は、1.80mm~1.90mmが一般的に使用されている。一方で、農林水産省が国の公式な「収穫量」を算出する際に使用されるふるい目幅は1.70mmだ。
このわずかな差が、いかに巨大なズレを生むのか。
作物統計調査をもとに計算すると、農家等が使用しているふるい目で選別した場合の平均収穫量は1反あたり約519キロ、全体で約653万トン前後の収穫量となる。国の基準と比べると、実に20万トンを超える差が生じるのだ。まさにこの「20万トン超」こそが、「消えたコメ」の正体だったのである。
■実態を無視して政策上の都合を優先
これまで、農林水産省は「選別ではじかれた『ふるい下米』も、業者が再調整して出回る」との理由から1.70mm基準を維持してきた。
確かに、農家で「くず米」としてはじかれたものは業者が買い取り、再度仕分けされる。その中で、食べられるものは古米と混ぜて販売されたり、業務用として使われたりもする。しかし、多くは米菓や味噌の原料、家畜のえさとして使用されるため、すべてが主食用市場に流通するわけではない。
「実際に流通しているのは1.85mm以上のコメが多い」という現場の実態を無視し、政策上の都合で維持されてきた「1.70mm」という特殊なものさしが、市場の実態とかけ離れた過大な収穫量を算出し、混乱の元凶となったのだ。
竹ヶ原さんも、数年前から調査に使われる「ふるい目」については現場では問題視されていたと話す。
■もう一つのものさし「作況指数」がさらなる混乱を招いた
一方で、農林水産省は現場の声に応える形で、米の豊凶を示す「作況指数」という別の指標も公表していた。こちらについては、平成27年(2015年)から「農家ふるい目ベース」を導入するなど、実感値に近づける改善努力が行われていた。
だが、この「収穫量」と「作況指数」で異なる基準を用いるダブルスタンダードが、事態をさらに複雑にした。この二重基準が生み出す情報のねじれが、社会全体の的確な状況判断を妨げたのである。
■「作況指数の廃止」ようやく始まった統計改革
現場との深刻な乖離を受け、農林水産省はついに統計の信頼性回復に向けた抜本的な改革に着手すると発表した。これまで混乱の元凶となってきた「作況指数」と「収穫量」の統計を、より生産現場の実態に合わせるための具体的な見直しを進めるという。改革の柱は主に以下の3つだ。
現場感覚とのズレが最も大きかった「作況指数」は、令和7年(2025年)産米の統計から公表を廃止することが正式に決定された。作況指数は、過去30年間の収量の傾向から算出した「平年収量」を基準(100)とするため、前年の収穫量と比較する生産者の実感とは合わないことが多くあった。
今後は、より直感的で分かりやすい指標として、収穫量の「前年産との比較(増減量や増減率)」といった形で情報を提供することが検討されている。これにより、「平年並み」という言葉がもたらしてきた誤解や混乱の解消を目指す流れだ。
国の重要政策の根幹をなしてきた「収穫量」の基準も見直しの対象となっている。政策決定のために維持されてきた「1.70mmかつ三等以上」という収量基準は、あくまで参考値として公表する形に変わる可能性があると発表された。
そして、新たに生産者が実際に使用しているふるい目(1.85mmや1.90mmなど)を基準とした収穫量を算出し、これを主な公表値とする方向で検討が進んでいる。この見直しにより、これまで統計に含まれてこなかった「ふるい下米」が実態に合わせて除外され、生産者や実需者が認識している市場流通量に近い、より現実に即した収穫量が示されることになる。これは、日本の米政策の基礎となる数字が、大きく転換することを意味している。
■デジタル技術の本格活用がスタート
従来の調査手法である「坪刈り」(調査地点の稲を実際に刈り取って測る方法)に加え、先進技術を活用した調査精度の向上が図られる。
人工衛星データの活用:令和2年から導入されている人工衛星による作柄予測の精度向上をさらに進める。AI技術などを組み合わせ、より正確な収量予測モデルの構築を目指す。
収量コンバインのデータ活用:大規模農家を中心に導入が進んでいる、収穫と同時に収量や水分量を測定できる「収量コンバイン」のデータを、統計調査の補完情報として試行的に活用することが検討されている。
これらの改革は、長年にわたる統計と現実のねじれを解消し、データに基づいた的確な農業政策を推進するための重要な一歩である。統計が生産現場の実感を正確に反映するようになることで、今回のような市場の混乱を未然に防ぎ、日本の食料安全保障をより強固なものにすることが期待される。
■信頼できる「羅針盤」はできるのか
今回のコメ騒動は、日本の食料安全保障に二つの重い課題を突き付けた。それは、信頼できる統計の再構築と、気候変動という巨大な課題への直面である。
まず、今回の混乱の直接的な引き金となった統計のあり方だ。農林水産省が進める「作況指数の廃止」や「農家ふるい目基準の導入」といった改革は、歪んだ実態を正すための不可欠な第一歩である。しかし、重要なのは制度を変えること自体ではなく、その運用によって生産現場の実感と寸分違わぬ、透明性の高いデータを迅速に提供する体制を確立することにある。
この統計は、国の需給政策や農家の経営安定策の土台となる極めて重要な「羅針盤」だ。この羅針盤が再び狂うことがないよう、政府は改革の手を緩めず、現場の声を継続的に反映させる仕組みを構築しなければならない。信頼できる統計なくして、的確な国家戦略は描けない。
しかし、統計という羅針盤を正常化するだけでは、根本的な問題は解決しない。
■もはや日本の気候はコメづくりに適していない
それは、日本の気候そのものが米作りに適さなくなりつつあるという、より大きく、深刻な現実だ。この状況を打破する方法として、生産現場からは高温に強い品種の開発が強く求められている。竹ヶ原さんは次のように指摘する。
「現在、全国で多く作付けされている『コシヒカリ』などの主要な品種は、何十年も前の猛暑が起こる前の環境を前提に開発されたものです。気候がこれだけ変わってしまったので、米の品種もアップデートされなければ対応できないのは当然のことです。国や研究機関が高温に強い品種開発を早急に進めることが必要でしょう」
「令和のコメ騒動」の教訓を活かし、生産現場の声に耳を傾け、データに基づいた的確な政策を打つ。そして、信頼できる羅針盤(統計)を手に、気候変動という荒波に立ち向かうための新たな船(高温耐性品種の開発・技術革新)を官民一体で開発していくこと。それこそが、日本の主食であるコメを未来へつなぐ、真の展望と言えるだろう。
———-
鈴木 雄人(すずき・ゆうと)
農業ライター
1997年、茨城県石岡市生まれ。農学部を卒業後、青果卸会社に就職。全国の農家と繋がり、現地で得た情報を発信することで、農業界を盛り上げていきたい。という気持ちが強まり、約2年勤めたのち退職。2022年より、車中泊で全国の農家を周りながら現地で得た情報をメディアやSNS、ブログ「はれのちアグリ~農業情報~」で発信する。



コメント