未知(みち)の美知(みち)を見知(みち)することが道(みち)である。
思考の源は脳の外からやって来る場合がある
思考は単に脳の電気であるという唯物論説があるが、
外から思考が来るという考えもある。
良くアカシの記録から学べと宗教家は云う。
啓示と言う言葉も外から教示してもらうという意味合いがある。
英語のInspire という言葉は
外から神靈的な思考がヒトの中に入るという意味合いがある。
知覚能力はヒトから学ぶものでなく、
得た情報と神靈の思考が直感的に合致すると理解する能力なのかも知れない。
人から学ぶほど、自然の本質から乖離する場合もあり、学問の害というものがある。
学ぶというのは、他人の思考に同調することである。
理解するとは思考が自然の法則と一致するか判断することである。
未知(みち)の美知(みち)を見知(みち)することが道(みち)である。
「私の脳はただの受信機にすぎません。宇宙には、知識、力、インスピレーションを得る中心核が存在します。私はその中心核の秘密にまだ深く踏み込んでいませんが、その存在を知っています。」
~ ニコラ・テスラ



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