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戦前の”経済格差”エリート会社員は高収入でモテモテだった

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昭和5年当時の銀座 日本の歴史
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戦前の”経済格差”エリート会社員は高収入でモテモテだった

経済格差の拡大は最終的に経済の崩壊を引き起こすのが歴史の常です

戦前のサラリーマンはこんな恰好で銀座を闊歩していたが、10年後に防空壕で逃げ回る破目になった

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引用:http://nakaco.sakura.ne.jp/sblo_files/nakaco/image/kankan5_04.jpg

戦前のサラリーマン社会

戦前というと何もかも暗く陰気で、閉鎖的で人々は困窮していた、と「知識人」たちは言いたがります

そうしておいた方が自分たちが立派に見えるからそう言うのだが、事実ではないし戦前の人を貶めている

昭和6年(1931年)頃までの日本では、消費経済や自由主義や平和主義が盛んで、大正デモクラシーと呼ばれています

昭和5年ごろの世帯平均収入は年800円程で、日本郵船や一流企業の課長クラスは1万円を超えていました

現在の世帯平均所得は540万円なので、当時の大企業の課長は現在の価値で6,750万円の高所得者でした

一流企業の中でも三井や三菱はさらに別格で、ある重役の年収は100万円以上、現在の価値で70億円以上だったと記録されています

するとこうした財閥企業の創業者一族ともなると、一族の収入は年間数百億円にも達していたと推測されます

当時のアンケートでは女性にもっとも人気がある職業は一流企業のサラリーマンで、次が公務員、医師や弁護士はそれより下でした

戦前には「サラリーマン」はホワイトカラーの事務職、手が汚れない仕事をしている人を指し、工場作業員は正社員でもサラリーマンではなかった

油まみれ、泥まみれの作業員に対して、事務職のサラリーマンは女性から見てカッコ良く、おしゃれに映っていたようです

労働者が日の丸弁当を食べていた時代に、東京のサラリーマンはランチは外で、女子社員を誘って洋食を食べていました

丸の内のビル街には寿司屋、洋食屋、和食に定食など外食店が所狭しと並び、大変賑わっていたそうです

儚かった戦前の自由経済

当時のメニューは寿司、カレーライス、丼物、パスタ、パンとコーヒーなどが、現在の価値で1,000円以下でした

コーヒーと軽食のモーニングのようなのも既に有り、食事の半額の、現在の500円以下程度の値段でした

都会ではこうした欧米風の暮らしをしていた一方で、9割以上の農村では江戸時代とあまり変わらず、人力と牛馬が日の出から日没後まで重労働していました

この格差が戦前の日本経済を破綻させた原因であり、東京のおしゃれなサラリーマンはバブルの浮き草のような存在でした

戦前は凄まじい格差社会で、人件費は安かったがそれ故に経済は脆弱で、米大恐慌が起きると一たまりもありませんでした

1929年(昭和4年)にNYで大恐慌が起き、1931年(昭和6年)に満州事変が起きてから、日本人の生活は急速に悪化した

兵士の家族が借金のカタに売られたりしたため動揺し、1936年(昭和11年)には軍部がクーデターを起こし(226事件)日本は軍事独裁に移行しました

おおまかに言って昭和10年(1935年)から軍事態勢に移行したが、昭和一桁は戦争と無縁の、平和な時代でした

大正時代から昭和1桁までは自由競争や自由経済、平和主義や共産主義がブームで、現代と似た時代でした

🖼️父親がサラリーマンの家庭は裕福で、子女らもおしゃれな恰好をしていた

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引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20140715/18/biz-suitstyle/d1/67/j/o0500050013004042213.jpg
 

軍事経済はなぜ失敗したか

好景気の時には自由主義はうまく行っていたのだが、米大恐慌で不況になると、軍人の姉妹が人買いに売られる状況になりました

行き過ぎた自由主義経済の負の部分が表面化し、日本陸軍の若手将校らが決起してクーデターを起こし、民主主義時代は終了しました

昭和の軍国主義の原点は、大正時代の行き過ぎた自由主義にあり、破綻した経済を軍部が主導して再建しようとしました

軍部主導の経済は最初はうまく行っていたのだが、大陸への領土拡大と入植によって成長するプランは、上手く行きませんでした

例えば朝鮮では急速に人口が増えたため、食料や予算が不足して日本から送る有様で、利益どころか日本の負担になりました

満州国も同様で開発に膨大な投資をしたが、終戦まで何の利益も上げませんでした

日本軍は「領土さえ増やせば経済は発展する」と考えていたが、現実には増えた領土の人を養うために、国力を浪費しました

満州を開拓すれば日本の食糧危機は解決すると言っていましたが、逆に満州を開拓し維持するために、日本の資産が使われました

これが軍人が考えた経済の限界で、最初は上手く行っていたとしても、早期に軍事体制を終わらせるべきでした

昭和5年の日本

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