【江戸の冬の真実】マイナス4度、暖房なし。100万人の巨大都市はどうやって凍死を免れたのか?
重宝されたのは綿入れや「ねこ半纏」、紙で作られた防寒着・紙子。











今週位から、寒さが身に染みるこの頃。
貧乏バイク乗りは、防寒で革ジャンの下に新聞紙を入れるとかありましたね(笑)
@hjuyffdre588
ご先祖様、強く生き抜いてくれて有難うございます。
ご先祖様、強く生き抜いてくれて有難うございます。
@タカ-w3w
そんな時代に葛飾北斎は90歳近くまでよく生きれたもんだな
そんな時代に葛飾北斎は90歳近くまでよく生きれたもんだな
@マキモナ
こう言った話を聞くと如何に現代が裕福なのか身に染みるなぁ
こう言った話を聞くと如何に現代が裕福なのか身に染みるなぁ
@西やん-z4z
漢字の読みが、どうも いけねぇーや。
漢字の読みが、どうも いけねぇーや。
@MAMO-ul1fb
幼稚園児の頃、週末に父方の祖父の家に泊まりに行くのが日課だった…夏は蚊帳を吊り近所の墓地で肝試し、ロケット花火とスイカと蒸したとうもろこしが夏の定番だった…冬は炭団の掘りごたつとじいちゃんの隣に火鉢、テレビのチャンネル権はじいちゃんが1番で土曜の夜には大相撲中継と笑点がお決まりのコースだった、お風呂ももちろんじいちゃんが1番風呂、じいちゃんより先に行くとばーちゃんに叱られたっけ…夜は炭団のアンカに火傷しないように布を厚く巻く、綿入れを着込んでじいちゃんとばーちゃんの間に潜れば朝まで暖かかった…朝は味噌汁と鮭の焼き物(当時の鮭はめちょ塩辛くて冷蔵庫なしでもかなり保存できた)、食べ終えると骨と皮をおかわりしたご飯に乗せお湯を注いで茶漬けにする…こんな幸せな時代が永遠に続くと思ってた…私も既に60超えました、あの時代を体験できて本当に良かった!じいちゃんばあちゃんありがとう😂
幼稚園児の頃、週末に父方の祖父の家に泊まりに行くのが日課だった…夏は蚊帳を吊り近所の墓地で肝試し、ロケット花火とスイカと蒸したとうもろこしが夏の定番だった…冬は炭団の掘りごたつとじいちゃんの隣に火鉢、テレビのチャンネル権はじいちゃんが1番で土曜の夜には大相撲中継と笑点がお決まりのコースだった、お風呂ももちろんじいちゃんが1番風呂、じいちゃんより先に行くとばーちゃんに叱られたっけ…夜は炭団のアンカに火傷しないように布を厚く巻く、綿入れを着込んでじいちゃんとばーちゃんの間に潜れば朝まで暖かかった…朝は味噌汁と鮭の焼き物(当時の鮭はめちょ塩辛くて冷蔵庫なしでもかなり保存できた)、食べ終えると骨と皮をおかわりしたご飯に乗せお湯を注いで茶漬けにする…こんな幸せな時代が永遠に続くと思ってた…私も既に60超えました、あの時代を体験できて本当に良かった!じいちゃんばあちゃんありがとう😂
@diy4320
AIのツッコミどころの多い動画だけどプロットが良く動きが多くて楽しい動画でした。
AIのツッコミどころの多い動画だけどプロットが良く動きが多くて楽しい動画でした。
マイナス4度。
それは冷蔵庫の中ではなく、かつて東京が記録した現実の気温です。
東京湾や隅田川が凍り、人々が氷の上を歩いて渡った――そんな「小氷期」の時代に、100万人規模の巨大都市・江戸は存在していました。
しかし、彼らにはエアコンも、灯油ストーブも、断熱材もありません。
あるのは、隙間だらけの木造長屋、薄い板壁、障子一枚。
それでも、ほとんどの人は凍死せず、むしろ世界有数の文化を花開かせていきます。
彼らは「部屋を暖める」のではなく、「自分の身体を暖める」という発想で生きていました。
綿入れや「ねこ半纏」、紙で作られた防寒着・紙子。
小鍋立ての鍋料理、唐辛子、熱燗。
家族が一枚の布団に潜り込む「人間カイロ」のような寝方。
炭団を使った炬燵、懐に抱く温石、そして銭湯という巨大な“集中暖房システム”。
一方で、火鉢や炭の火が生み出すのは温もりだけではありません。
明暦の大火に象徴されるように、冬の江戸は常に「火事」と隣り合わせでした。
寒さから身を守ろうとして使った火が、街そのものを焼き尽くす――そんな残酷なパラドックスの中で、人々は「お互い様」の精神で助け合いながら生きていたのです。
快適な個室とエアコンに守られた現代の私たち。
物理的には暖かくても、心のどこかで「孤独という寒さ」に震えてはいないでしょうか。
300年前の江戸の冬の暮らしをたどりながら、
「人は一人では暖まれない」という、当たり前だけれど忘れがちな真実を、一緒に思い出していきましょう。
#歴史 #江戸時代 #日本史 #旗本 #武士の生活 #歴史ミステリー #大奥 #教養
【江戸の冬の真実】マイナス4度、暖房なし。100万人の巨大都市はどうやって凍死を免れたのか?
https://www.youtube.com/watch?v=Ie-Nko54t90
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確かに私が若いころ東京にいたときには今よりも5度ほど寒かった。
今、住んでいる郷里も今では当時と比べ5度ほど高い。
東京に移り住んだ時のアパートはホントに壁が薄く寒い。
住んだところが半長屋風の建物だったせいもあるが、何しろサラリーが安い
新入社員には高い家賃が払えなかったからです。
当時の家賃は3畳一間の長屋の一部屋で台所とトイレは共同でした。
これで家賃は6千円です。当時の初任給は4万円でした。
新入社員で桜の花見を兼ねて東京の上野のある料亭(?)で飲み会をやった
時に行く途中で夜桜を見ながら歩いていきましたが、小雨交じりのせいも
ありますが、風が吹くとものすごく寒かったのを覚えています。
だから、江戸時代は相当寒かったんだろうなと思います。
今は温暖化の影響もあり暖かいですね。



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