破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:好きなタイムライン」

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過去 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:好きなタイムライン」

今日の破・常識!

過去は過去

その過去はいまとは何も関係ありません。

過去のデータから判断せず

いまのあなたがどうしたいかで判断してください。

あなたの先にある道を選ぶのは、

いまのあなたなのです。byアシュタール

 

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。


「好きなタイムライン」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あなた達は、過去と呼ばれる記憶の経験値から

次のタイムラインを選んでいます。

過去はこうだから、次(未来)もこうなるに違いない

・・と思っているのです。

だから、ずっと同じような経験が続いてしまうということになります。

それも一度の経験で決めてしまうことがたくさんあります。

たとえば、あなたの持っている声質や声量、声のトーン

声の高低などと違っている歌を誰かの前で歌ったとき

あなたは歌を歌うことに合っていませんね(下手ですね)などと

評価されたとしたら、あなたはずっと自分は歌が苦手だ

・・と思ってしまうのです。

過去の経験(記憶)から、これからもずっと自分は歌が苦手で

歌を歌うことは出来ない・・と決めてしまうのです。

でも、それはたまたま自分に合わない歌だったと

考えることが出来、自分の声にあう歌を探し

何度か歌ってみることで、自分にあう歌なら

とても上手に歌えると思うことも出来るのです。

歌が下手で人前で歌うことが出来ない・・

と思っていたタイムラインを、歌が好きで楽しく

人前で歌うことが出来るタイムラインに

変えることもできるということなのです。

言っていることが伝わっていますでしょうか?


過去のデータ(記憶)、過去の経験値・・

で未来のタイムラインを決めないでください、

ということです。

毎瞬、あなたは新しいあなたなのです。

毎瞬、生まれているのです。

だから、この瞬間に、過去の記憶、経験値を忘れ

新しくタイムラインを創ってください。

過去ダメだったから、未来もダメに違いない。

過去出来なかったから、ずっと出来ない未来が続く

・・そんなことはないのです。

あなたが出来ると思えば、出来るタイムラインになるのです。

過去は過去です・・・いまはいまなのです。

そして、いまがあなたのタイムライン(未来)を創造するのです。

あなたがいまどう考え、何をしたいかによって

あなたのタイムラインは変えることが出来るのです。

あなたの記憶の中にある過去は、

一本だと思っているかもしれません。

(過去も一本の時間軸ではないのですが

話がややこしくなるのでこの話は別の機会にしますが

とにかくあなたは過去はひとつしかない

一本しかないと教えられているので、

そのようにしか考えられないのです)

でも、あなたの前にはたくさんのライン(道)があるのです。

そのラインは無数にあります。

そのラインのどれを選ぶか・・それだけの話なのです。

過去の記憶のまま行けば、そのままの

タイムラインをすすむことになります。

だから、何も変わらない道になります。

ずっと歌が下手だと思って、人前で歌わない

ライン(道)をすすむことになるのです。

でも、自分で気持ちよく、楽しく

上手に歌える歌を見つける(会える)ことが出来れば、

過去のラインと違うラインをすすむことになり

人前で自信を持って歌うライン(道)を

すすむことになるということです。

どちらが良い道で、どちらが悪い道・・そういうことはありません。

どちらもあなたにとって、とても貴重な素晴らしいタイムラインです。

でも、そのタイムラインが好きかどうかという判断はあります。

好きなタイムラインをすすみたければ、

過去の記憶といまを切り離して考えるようにしてください。

そうすれば、いつも新しい道をすすむことが出来ます。


何度も言いますが・・過去は過去

その過去はいまとは何も関係ありません。

過去のデータから判断せず

いまのあなたがどうしたいかで判断してください。

あなたの先にある道を選ぶのは、いまのあなたなのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

過去があるから今の自分があるんじゃないの?

だったら、過去も大事にしなきゃ・・・。

と思う人もいるだろうと思います。

過去にお世話になった人がいて、その人を忘れていいの?

という疑問もあるかもしれませんが、そういうことを言って

いるのではないようです。


過去があったからこそ今の自分が立派に存在することは間違いの

ない事実ですが、その事実を捨てなさいということではないようです。

仮に子供のころいじめられっ子だったという記憶があり、自分が

とても嫌な思いをしたとします。

成人した今、その過去のことが忘れられないとすると、その人は

自分はいじめられっ子だったという記憶から成人して社会に出ても

仕事に就いた会社でもいじめられるかもしれないという思考を残して

しまうことになります。

それは過去のいじめられっ子だった体験からくる不安です。

その不安を持ち続けるとおそらく90%くらいの確率で新しく入社した

会社でもいじめられる可能性が出てきます。


それはどうしてなのでしょうか?


と思うのかもしれませんが、不安がそうさせるからです。

不安が同じ現実を引き寄せます。

いじめられっ子と言ってもそうなる原因はいろいろあります。

例えば、自分が周りの級友より動作が鈍いとか言葉が上手く言えないとか

という問題があったとすると、それを級友から見れば茶化したくなるだろうと

思います。その最初の茶化すというちょっとした行為が周りの級友の関心と

同調を呼び、度重なってくといじめにつながっていきます。

最初は面白がっていたのが馬鹿にするようになり、いたずらされるように

なります。それは周りにも責任があるのですが、いじめられた本人にも

責任があります。

なぜなら、そのような人は気が小さかったり大人しかったりするので、

反意を示さないことが多いからです。

本来なら、何でそんなことを言うのかと強く出ると大抵の場合はそこで

いじめは収まります。結局子供時代というのは自分自身の力とか学友の

数や力のある学友のあるなしが大きいので、そうした背景を持ってないと

いじめの対象にされやすいということです。

一匹狼のような存在であればだれも手出しはしません。

そういう人は学業成績がクラスでも抜きんでているとかスポーツ万能などの

要素があり、周囲からはうらやましがられる存在なので手出ししないのです。

いじめられるのは何かの点で低く見られている場合です。

あるいはクラスの中でも力のある学友に逆らいしっぺ返しを食ったとかという

例もあるでしょう。

いじめをすること自体いいことではありません。


しかし、逆の意味で考えることもできます。

いじめられることでいじめられる側の嫌な思いを体験できたことから

いじめという行為をしたり加担したりしてしてはならないということを

学ぶ機会を得たという考え方もできます。

社会人になってからいじめられたという不安ではなく、自分はいじめられる

ことでその悲惨さを十分味わえたんだから、そのようなことをしないように

しようと考えることができれば、いじめが怖いことではなくなります。

逆にいじめと反対の立場に立つことができ、そういうひとに注意することも

出来ます。

そうなった時点でいじめという過去を超えることができます。

つまり、いじめられっ子だったという過去の体験は消えませんが、それを

逆に肥やしにすることで考え方を変えることができます。

その思考の変化がそれまでと違うタイムラインを生み出します。

自分の殻に閉じこもろうとするのではなく、殻から出て自分をよりよく

表現する道を選べるということです。

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