政府の言う事を真に受けていたら殺される…「地球人が本当の意味で自立して、成熟した存在になること」

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戦時下の空襲 戦争

政府の言う事を真に受けていたら殺される…「地球人が本当の意味で自立して、成熟した存在になること」

(一部引用)

政府の言う事を、真に受けていたら殺される…「地球人が本当の意味で自立して、成熟した存在になること」
 
以前、自衛隊男性に「あなたについていきます!
」と言われたことがあります❗
 
それに対してラミーコは、「あなたがあなた自身のリーダーでありなさい」みたいなことは言いました❗(読者さんも私もそうです)?✌️
 
ところで、皆さんも、まやかし毒ワクチンなど…

詐欺政府お上の言いなりになんか、ならないようにしましょう‼️
 
『愛がない者には従わない』選択を、一人ひとりが行うことが、とても大事だと思います‼️?
 
お上を捨てるのはいつ❓
 
『今でしょ‼️』(笑)
 
とにかく、捨てたい人だけでも捨てるようにしましょう❗???
 
×・*・×・*・×・*・×・*・×・×・*×・*・×・*・×

以下は、トーマ.イタルさん(沖縄出身)のブログより抜粋してシェアします❗?
 
1人だけの国家 – 精神世界の鉄人
精神世界の鉄人
UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。
entry/2021/03/02/083000
 
(前略)

おそらく、最初に打つのは、比較的安全なワクチンにして、信用をつくってから、少しづつ、毒の割合を増やしていくのだと思います。

詐欺師というのは、最初から騙すことはないので、初めに信用をつくり、それから、段階的に騙していくのです。

これだけネットで、ワクチンの害を訴えても、高齢者や病人、情報弱者などは、
 
そもそも、自分でネットで調べることをせず、テレビや新聞などから、情報を得ようとしています。

これでは、情報格差は、ますます広がるばかりです。

最近では、これも仕方のないことだと思うようになりました。

自力で、人生を切り開こうとする人しか、これから先の新しい時代は、生きていけないのです。

自分の頭で考えて、自分の人生に責任をもち、自分の人生を歩んでいく決意をした人だけの社会が、待っているのです。

テレビや新聞の情報を鵜呑みにして、他力本願で生きている人は、次のステージには登れないのです。

仮に、ワクチンによる、大量殺戮計画が無かったとしても、ここから先は、生き抜いていくのは、難しいということです。

今は、それが試されている、静かな戦争の最中なのです。

他力本願で生きている人たちの思考の中には、

「誰かが助けてくれる。いつかは終わる。そのうち、皆が、マスクを外すだろう」

こういう受け身の姿勢があります。

しかし、その認識は甘いです。

「皆がマスクを外したら、自分も外そう!」

皆が、そう考えているのです。

「よし! 自分からマスクを外そう! 他の人の視線など、どうでもいい!」

こう決意した人だけが、このマスク地獄から、抜け出すことができるのです。

マスクは、奴隷の象徴です!

他にも、スピリチュアル系の人たちに多いのですが、世の中を、性善説で考えている人も多いです。

この子供っぽい、幼稚な世界観は、現在では命とりです。

繰り返しますが、今は、静かな戦争の真っ最中なのです。

戦争中は、性悪性で考えるくらいが、ちょうどいいのです。

「いくらなんでも、国や政府が、そこまで悪いことはしないだろう…」

こういう意味のないポジティブシンキングは、とても危険です。

ここで、太平洋戦争の時の史実を、紹介しましょう。

1945年7月14日。

戦争が終わる、1か月くらい前の話です。

米軍海軍艦載機が、青森県の青森港周辺や青函連絡船を狙って、猛烈な爆撃をしていたそうです。

とくに、青函連絡船は、保有全12隻が被害を受けて、壊滅状態となったそうです。

本州と北海道の連絡は、この時に、遮断されたようです。

7月20日から、青森市上空に飛来した米軍機が、米軍の空襲予告ビラを、空から撒き散らしたそうです。

そこには、青森を含む、11都市の名前が記載され、

「数日中に、これらの都市を爆撃する」

とも書かれていたそうです。

当時の青森市民たちは、このビラを見て、

「いよいよ、我々の番か?」

こう思って、多くの市民が、郊外の山中や田園地帯をめざして避難・疎開を始めたそうです。

ところが、市民の動きを察知した青森県知事は、避難民に対して、

「7月28日までに、青森市に戻らないと、町会台帳より削除し、配給物資を停止する」

と通告し、脅してきたというのです!

これには、市民は、とても驚いたそうです。

当時、ただでさえ乏しい物資の中で、食糧配給を停止されることは、「生存できない」、つまり、「死」を意味したそうです。

さらに、町会台帳から抹殺されることは、当時、人々が一番恐れていた、「非国民」のレッテルを貼られることだったそうです。

社会からの抹殺を意味していたのです。

それらが、空襲の恐怖を上回る重圧となって、避難民に、のし掛かってきたようです。

「それなら、逃げるよりも、青森市内に戻ったほうがマシ」

こう判断した多くの市民が、しぶしぶ、予告期限の7月28日までに、青森市内に戻ってきたそうです。

そして、まさに予告期限、7月28日の夜、まるで避難民の帰りを待ち構えていたかのようなタイミングで、青森市上空に、Bー29爆撃機が飛来し、焼夷弾を投下したのです。

その大火災によって、728人が死亡したそうです。

「7月28日」と「728人」の数字のシンクロが、気になりますね。

もしも、青森県知事が、
「逃げるな!」
と避難民を、脅迫していなければ、また、帰還期限が、1日でも後ろに、ズレていたなら、これほどの被害は無かったかもしれません。

東京大空襲から始まった、米軍による焼夷弾攻撃は、それ以後、大阪、名古屋、神戸など主要大都市で、数万単位の人命を奪う、壊滅的な被害を出していました。

そこで、一番はっきりしたことは、それまで政府が唱えてきた、バケツリレーや防空七つ道具による消火活動、防空壕堀りが、何の役にも立たないばかりか、逆に被害を拡大してきたという事実だったのです。

一般の国民が生き延びるには、逃げるしかありません。

ところが、その最後の選択肢が、空襲下では、許されなかったのです。

真珠湾攻撃による日米開戦の前日、昭和16年12月7日に、「防空法」に基づいて、「国民には、避難をさせない」とする内務大臣の通達が、制定されたそうです。

「防空法」に違反して退去した人には、最大で懲役6ヶ月、または、罰金500円が、課せられたそうです。

この罰金は、当時の教員の給与9ヶ月分の金額だったそうです。

当時の日本政府は、
「避難した者は非国民だ。戻ってくる場所はない。資格はない」などの思想宣伝も、同時に流布したそうです。

そして、
「命を投げ出して、消火活動をせよ、御国を守れ、持ち場を守れ」
と指示したのです。

この方針は、東京や大阪が焼け野原になった、昭和20年3月以降も、変わらなかったそうです。

学童疎開や建物疎開は、実施されましたが、それ以外は、地方への転居が、禁止されていたそうです。

どうですか?

現在の日本政府、まったく変わっていませんね。

マスクの強要、同調圧力による、個人の自由の権利の剥奪。

都道府県を超えての移動の禁止。

現在は、この時と、同じ状況だということです。

つまり、政府の言うことを、いちいち、馬鹿正直に真に受けていたら、殺されるということです。

これから始まる新しい時代、つまり、ネクストステージには、

「自分の頭で考えて、自分で判断や決断をして、その結果において、自分で全責任を負う」

こういう姿勢と覚悟をもった人だけが、生きていける社会になると思います。

これはある意味、とても厳しい社会ですが、同時に、全てのしがらみから自由になり、本当に自分らしい人生を、歩んでいける世の中でもあるのです。

「自由」には、「決断」と「自己責任」がセットになっているのです。

そろそろ、他力本願を止めて、自力本願で生きていく決意をしませんか?

今は、そういう人生を歩めるかどうか、その岐路に立っているのかもしれません。

これからの時代、「頭の良さ」というのは、「生き抜く力」になると思います。

(中略)

高校生の頃、友人たちと、シルベスター・スタローン主演の「ランボー」という映画を観に行きました。

 

ランボー:ファーストブラッド パートII (怒りの脱出) (吹替版)
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その後、シリーズ化されましたが、私はこの最初の作品が、一番好きです。

この作品の元になった小説は、原題が、「1人だけの軍隊」だそうですね。

ストーリーを知ると、この意味がわかります。

ランボーという主人公は、ベトナム戦争の兵士だったのですが、元グリーンベレーで、1人だけでも、一つの軍隊なみの戦闘力があるのです。

つまり、これくらい戦闘能力があれば、1人だけで、1つの軍隊と戦えるのです。

戦争や戦闘がいいとは言いませんが、高校生の頃の私は、単純にランボーの強さに憧れました。

敵が、どんなに多数で攻めてきても、どんな理不尽なことにも、絶対的な強さがあれば、それらの横暴に対して「NO!」と言うことができるのです。

逆に言えば、それができないということは、ただ単に、弱いだけだということなのです。

そうなのです。

現在の戦争中には、ランボーのような強さを持った人物だけが、生き抜いていけるのです。

マイコメント

戦時中の青森県でそんなことがあったんですね。

空襲を受けてその後青森県知事は責任を取ったんでしょうか?

当時の状況は下記のサイトに詳しく書かれていますが、今のコロナ対策を見ても

その姿勢は当時とそう大差ないことがわかると思います。

青森空襲:知事が「逃げるな!」と避難民を呼び戻し、犠牲を拡大。

 終戦1ヶ月前の昭和20年(1945)7月14日。米軍海軍艦載機が、青森港周辺や青函連絡船を狙って猛烈な爆撃をしました。とくに青函連絡船は、保有全12隻が被害を受け(8隻沈没、2隻大破炎上、2隻航行不能、352人死亡)、壊滅状態となりました。本州と北海道の連絡は完全に断たれました。
青森空襲 函館沖で爆撃を受ける津軽丸
(写真↑函館沖で爆撃される青函連絡船・津軽丸)
■迫り来る空襲の恐怖、郊外へ避難する市民

 さらに7月20日頃から、青森市上空に飛来した米軍機が「伝単(米軍の空襲予告ビラ)」を撒き散らしました。そこには青森を含む11都市の名前が記載され、数日中にこれらの都市を爆撃するとも書かれていました。
青森空襲 伝単
(伝単の実物↑右端に「青森」の名前が)
 すでに、東京、大阪をはじめ全国の大都市の空襲被害は、政府の情報統制を破って多くの市民が知るところとはなっていましたが、実際の空襲の凄まじさを目の当たりにして「いよいよ我々の番か?」と青森市民は震え上がりました。そして、誰言うともなく、多くの市民が郊外の山中や田園地帯をめざして避難・疎開を始めたのです。

■避難者は「非国民」、食糧配給を断つと脅迫

 ところが、その市民の動きを察知した青森県知事・金井元彦(元内務省・検閲課長)は、避難民に対して「7月28日までに青森市に帰らないと、町会台帳より削除し、配給物資を停止する」と通告してきたのです。当時の地元紙は次のように報じています。

「逃避市民に”断” 復帰は廿八日迄
敵機来襲に怯えて自分達一家の安全ばかりを考え、住家をガラ空きにして村落や山に逃避した市民に対し、青森市では市の防空防衛を全く省みない戦列離脱者として「断」をもって臨む事になった。住家をガラ空にしてゐる者は、二十八日迄に復帰しなければ、町会の人名台帳より抹消する、従って一般物資の配給は受けられなくなるから、疎開するならば、至急青森市警防課に対し家族疎開又は留守担当者の正式届出を行はねばならぬ」

 市民は驚きました。ただでさえ乏しい物資の中で、食糧配給を停止されることは生存できない=死を意味します。さらに町会台帳から抹殺されることは「非国民」のレッテルを貼られることで、社会から抹殺されることになります。それらが、空襲の恐怖を上回る重圧となって避難民にのし掛かってきたのです。それなら、逃げるよりも青森市内に戻ったほうがマシかもしれないと判断した多くの市民が、しぶしぶ予告期限の7月28日までに青森市内に戻ってきたのです。

■帰還期限の夜に大空襲、死者728人

 そして、まさに予告期限(7月28日)の夜、まるで避難民の帰りを待ち構えていたかのようなタイミングで、青森市上空に約100機の米軍B-29爆撃機が飛来し、574トンもの焼夷弾を投下したのです。大火災によって728人が死亡、280人が負傷し、1万5000軒のも建物が焼失するという甚大な被害でした。もし県知事が「逃げるな!」と避難民を脅迫していなければ、また「帰還期限」が1日でも後ろにズレていたなら、このうち何百人の命が助かっていたことでしょうか?


その後戦時中逃げられなかったことに対する国への訴訟はすべて退けられています。

いかに国家権力が国民の犠牲の上に成り立っているかがわかります。

日本国憲法なんかまったく役立たずというのがよくわかるものです。

戦争は特例ということですね。

ということはコロナも特例のうちに入るのだろうか?

緊急事態宣言は今日さらに2週間延期されました。これは東京都の小池知事が感染者数を

増やしたことが功を果たしたのでしょう。

一時期PCR検査のカットオフ値を変更したので感染者数が激減しましたが、感染者数は

PCR検査のさじ加減でどうにでもなるということです。

コロナも少し冷静に考えてみる必要があるのではと思います。

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