破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:お墓のために人生を我慢する?」

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墓参 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:お墓のために人生を我慢する?」

今日の破・常識!

お墓参りやお骨や位牌?に何か食べ物を

 
お供えしなかったからといってご先祖さまが祟る?

 
怒って何か意地悪をする?などということはありませんので

 
安心してください。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。 

vol. 1513 お墓のために人生を我慢する?

「お墓のために人生を我慢する?」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。

 
お墓には何もありません。お骨があるだけです。

 
そこには何もエネルギーはないのです。

 
お骨があります・・だから、そこで故人を偲ぶことは


大切なことなのです・・と教えられていますが


それは真実ではありません。

 
お骨に故人のエネルギーはありません。

 
なくなった方のエネルギーは、絶対無限の存在に戻っています。

 
お骨が故人ならば、その方はずっと永遠


お墓の中にいることになります。

 
それはどうでしょうか?

 
何代も何代も前の方が、ずっとそこにいる・・


ちょっとイメージしただけで????って思いますね?

 
お墓の中に閉じ込められてどこにもいけない状態だ


ということになりますね、

 
それはとても悲劇ではありませんか?イヤですね?

 
お墓の中に故人がいるという考え方は、そういうことになるのです。

 
だから、そんなことはありません。

 
だから、お墓に対してそんなにセンシティブになる必要はないのです。

 
ましてや、先祖代々の墓を守るために、


いま生きている人の人生を決める

 
(お墓を守るために結婚することが出来ないなど)


ということはナンセンスなのです。

 

でも、アシュタールはすべては波動エネルギーで


物質にも個性がある、というではないですか?


ならば、お骨もその人の個性のエネルギーが残っている?

 
のではないですか?・・というご質問があるようですが


お骨には個性のエネルギーはありません。

 
物質には個性のエネルギーが入っています。


(個性のエネルギーがその物質を創り出しているのですが・・・)

 
植物になりたいと思った個性のエネルギーが


植物の形を意識で創っているのです。

 
机などもそうです。

 
机の形を作った人のエネルギーも乗りますが


机という物質の体験をしたいと思った個性のエネルギーが


机そのものになったのです。

 
難しいですね。

 

そして、すべてのエネルギーは循環しています。

 
変化しています。

 
ですから、人で説明しますと・・・

 
身体という物質の中に入っていた個性のエネルギーが抜けると


(死ぬと)物質が残ります。

 
それは、個性のエネルギーが抜けたので


形だけが残ったということです。

 
物質世界では、個性のエネルギーが抜けたら抜け殻?が残ります。

 
個性のエネルギーとともに消えてしまうことはないのです。

 
そのように共有意識で決めているからです。

 
個性のエネルギーが脱いだ身体は抜け殻です。

 
そこにはエネルギーはないのです。

 
ですから、今度はその物質を循環させる方向へ向かいます。

 
それは、テラの循環システムなのです。

 
物質を分解し、また違う物質に循環させ


新しい物質を創造するのです。

 
人間以外の動物や植物たちは、その循環の中にいます。

 
小さな動物の身体を栄養としている動物は


その小さな動物の物質の身体を自分に融合させて生きます。

 
そして、今度その動物が身体を脱いだら


それをテラの上の微生物たちが物質を分解し


植物たちの栄養になるようにします。

 
その植物たちを草食動物が自分の身体に取り入れ融合し


(食べて)生きます。

 
そのように、個性のエネルギーが脱いだ物質も


テラでは循環して、別の形になっていくのです。

 
そのような循環を受け入れられないのは


人類だけだということになります。

 
すべては、生まれたら死ぬ(枯れる、壊れる)のです。

 
だから、循環が起きて、すべての存在が生存出来るのです。

 
個性のエネルギーが抜けると


その物質にはエネルギーは残りません。

 
エネルギーが残っていない物質は、分解の方向にいきます。

 
そして、それがまた新しい個性のエネルギーによって


物質として創造されるのです。

 
だから、お骨にはエネルギーはありません。

 
故人のエネルギーは何も残っていないのです。

 
お墓には何もいません。

 
ですから、お墓のために人生を我慢する必要はないのです。

 
お墓詣りということで、たくさんの方が集まり


楽しい時間を持つことをイベントとして


楽しむのはいいと思います。

 
でも、そこに我慢は必要ないのです。

 
そして、お墓参りやお骨や位牌?に何か食べ物を

 
お供えしなかったからといってご先祖さまが祟る?

 
怒って何か意地悪をする?などと言うことはありませんので

 
安心してください。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 


ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

代々お墓を守らないといけないからとその土地から動けない人もいます。

田舎では檀家になると必ずその家は墓の維持に苦労します。

お寺からくる毎年の墓の保管料や数十年ごとに行われる大々的なお寺の

改修・新築費用が要求されます。

それも結構な額になるので大変です。

また、毎年のお墓の掃除、手入れ、季節ごとの墓参も必要です。

うちの場合もその一人ですが、もっともどこかほかへ行く予定もないし

年も年なので一応そういう役割をしています。

親戚もほとんど亡くなり今は墓参りと言っても形だけです。

納骨すべき親戚の人もほとんど亡くなると同時に納骨を済ませたので

墓の役割は昨年で終わったと思っています。

そういう意味ではお寺の住職さんから見ればいちばん不敬な中に入るでしょう。

そうなって見て思うともはや墓の役割は無いのと等しいものです。

日本でも無縁仏の人も増え、また、墓を持たない人も増えています。

亡くなった後は市町村の共同墓地に埋葬されるケースも増えて来ています。

だんだんお墓の役割が形骸化してきていて、最近ではお寺の維持も大変だと

住職さんが嘆いているようです。

AMAZONでも「お葬式・お坊さんチケット」のようなものが販売される

ようになったのもそうした風習が崩れてきているのを表しています。

次第に日本人の葬式に対する考え方が変わってきているような気がします。

それでも人が亡くなれば葬式に呼ばれていきますが、それもコロナの影響も

あってか簡素化されてきました。

昔は1周忌、3周忌、7周忌と延々と行なわれた行事もまとめて行うように

なってきていて、葬式も風化してきています。

後、20年もすれば葬式も今よりもっと簡略化され、一度行えばその後の

毎年の墓参もなくなって行くような気がします。

何かの宗教団体に入信している人ならば頑なにその風習を守るかもしれませんが

一般の人は止めていくだろうと思います。









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