破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:あなたの人生なのですから」 

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:あなたの人生なのですから」 

今日の破・常識!

自分の人生を自分の好きなように生きてください。


あなたの人生なのですから

誰に遠慮する必要もありません。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「あなたの人生なのですから」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

あなたの人生はあなたの人生です。

誰もあなたに代わってあなたの人生を送ることは出来ないのです。

そして、あなたもそれは望まないと思います。

ならば、自分の人生を自分の好きなように生きてください。

あなたの人生なのですから誰に遠慮する必要もありません。

他の人もそうです。

みんなそれぞれに自分の人生を生きているのです。

誰もあなたの人生に責任を取ることは出来ません。

あなたの人生においての責任はあなたしか取れないのです。

誰かがこうしなさいと言ったからとあなたがそうしたとしても

それはあなたが決めた事になるのです。

分かりますか?

とても信頼できる人が私にこうしなさいと言ったからしたのに

それで自分にとって良くない事が起きた

それに対する責任を取ってくださいといくら言ったとしても

その人は責任は取りません。

というより、責任を取ることが出来ないのです。

そうですね。

もし信頼できる人から、とてもいい方がいらっしゃるからと

結婚を勧めれ、その信頼する人を信じてその方と結婚したとします。

その方はとてもいい方かもしれませんが、実際生活してみて

あなたと合わないかもしれないのです。

その時、その信頼する方に文句を言っても仕方がないですね。

あなたがいい人だと言ったから結婚したのに・・

なんて言葉は通用しないことはわかりますね。

その人がいくらいい人だからと言ったとしても

最終的に決めたのはあなたなのですから

その結婚がうまくいかなくても

それはあなたの責任だという事です。

責任という言葉にイヤな気持ちになると思います。

責任=罰という風に教えられてしまっているからですね。

責任というのは結果を受け入れるという事です。

罰を受けるという事ではありません。

とてもハッピーな事が起きてもそれはあなたの責任で

起きた事なのです。

この表現はとても違和感を感じると思います。

人生に対する責任というのは、自分で選んだことの結果を

受け入れるという事をお伝えしたいのです。

自分の人生は自分の選択の結果です。

選択は思考によって変わります。

ですから、あなたの思考があなたの人生の結果に

なっているということです。

誰かの言葉に影響を受けることはたくさんあると思います。

でもその人の言葉に影響を受ける思考をあなたがしている

と いうことですね。

だから、自分の思考に責任を持ってください。

あなたの思考に責任を取れる人は誰もいません。

それはあなたしか出来ないのです。

ですから、つねに自分の人生として考えてください。

何か起きても誰かに責任を取ってもらおうと思っても

ムリなのです。

その責任(結果)はあなたが受け入れるしかないのです。

ならばあなた自身が納得できる選択をしてください。

あなた自身が納得できる選択です。

それにはあなた自身の思考をしっかりといつも見ていてください。

自分はこの件に関してどう考える、そして、その選択をした場合

どのような結果が予測されるか

その結果が納得できるかどうかを

いつも考えてください。

それには知識も必要になります。

そうすれば、ブレることがなくなります。

誰に何を言われてもブレることがなくなり

すべて自分で納得できる結果になります。

それが自分の人生の責任を取るという事なのです。

自分の人生は自分で責任を取ってください。

誰もあなたの人生の責任は取ってくれません。

それを忘れずにいることが出来れば

あなたの人生はあなたの好きにすることが出来ます。

ご機嫌さんでいることが出来ます。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

私たちは誰かの発言や行為によって自分あるいは集団にとって良くないときには

責任を取ってくださいということを良く言っていると思います。

その責任とは罰です。

ある人が殺人事件を起こし被害者の家族に多大なる苦痛と痛手を負わせたとすれば

その責任の取り方と言うのは裁判で刑罰を受けるというものです。

このやり方は多くのところで起きていて、会社内では給与減あるいは降格、左遷と

言う形で責任を取らされます。

そしてその姿を見て私たちは責任を取ってもらったと胸をなでおろしているのです。

アシュタールの語っていることは違いますね。

責任を取るのはこの場合殺された被害者です。

「えっ!、どうして!」と思うでしょう。

でも、この殺人事件と言うのはアシュタールやさくやさんが過去に語っているように

ハートの上では互いに了解したうえで起きているということです。

マインドはそんなことは知らないと思います。

ハートがこの3次元で殺されるという体験をしたいと思い、殺人を犯した方も同じ

ようにその体験をしてみたいという両者の合意があって行われています。

だから、ハートの上ではその事件を本人がそのまま受け入れるしかないのです。

宇宙に善悪の基準がそもそもないとすればそこには罪と言うのも存在しません。

あるのは殺人行為と言う体験だけです。

それだけなのです。

別に殺人を認めているわけではなくて、起きた場合の背景はそうだということです。

ただそれだけなのです。

そのことが理解できれば何をしてもいいということになります。

ただ、殺人に関して言えばその行為で他人を苦しめることを自分が容認できないと

するならばしなくてもいい体験だということです。

すべての起きた事実は自分が創ったものであることを理解すれば自分が体験したい

ことを体験するのがこの世の目的だと言えます。

それが何であるかは個々に異なるので自分で探さないといけませんね。

何を体験してもいいとするならば楽しい体験が良いですね。





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