経産省が手を出した業界から崩壊していく…日本企業が世界市場で勝てなかった根本原因

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経産省が手を出した業界から崩壊していく…日本企業が世界市場で勝てなかった根本原因

なぜ日本の製造業は衰退したのか。一橋大学名誉教授の野口悠紀雄さんは「政府による補助金政策に問題があった。かつては半導体産業にも力があったが、政府が“補助金漬け”にしたことによって競争力を失ってしまった」という――。(第1回)

 ※本稿は、野口悠紀雄『円安と補助金で自壊する日本 2023年、日本の金利上昇は必至! 』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。

 

■90年代から始まった政府による製造業への介入政策

 高度成長期、日本の製造業は国の直接介入を拒否した。1960年代に、通商産業省は外資自由化に備えて日本の産業の再編成を図ろうとし、「特振法」(特定産業振興臨時措置法)を準備した。しかし、その当時の日本の産業界は、これを「経済的自由を侵害する統制」であるとして、退けてしまったのである。外資による買収を防ぐより、政府に介入されないことのほうが重要と考えたのだ。

 この当時、政府による保護策の対象は、高度成長に取り残された農業だった。ところが、1990年代の中頃から、この状況が変わってきた。競争力を失った製造業を救済するために、政府が介入するようになってきたのだ。

 まず、マクロ政策において金融緩和を行い、円安に導いた。それに加え、経済産業省の指導による産業再編(その実態は、競争力が失われた製造業への補助と救済)が行われてきた。そして、2000年頃から、国による保護・救済の対象が、農業から製造業に変わった。世界経済の大転換に対して、産業構造の転換を図るのではなく、従来のタイプの製造業を延命させようとしたのだ。

 特に08年のリーマンショック(08年9月にアメリカの投資銀行リーマンブラザーズが経営破綻したことをきっかけに生じた金融危機)後は、さまざまな製造業救済策がとられた。雇用調整助成金、エコカー減税・補助金、地上波デジタル移行によるテレビ受像機生産の助成などだ。

 政府の干渉が強いと、産業構造の調整が遅れる。DRAM(半導体記憶素子)のエルピーダメモリや、LSI(大規模集積回路)のルネサスエレクトロニクスなどがその例だ。これらは業界再編成のために官主導で設立された会社だが、失敗しただけでなく、汚職をも生んだ。また、シャープやパナソニックによる巨大工場建設に関しては、巨額の補助金が支出された。こうして、民間企業の政府への依存が強まってきた。

 これは、日本の製造業が衰退したことの反映だ。安倍晋三内閣の成長戦略も、製造業を中心とした従来の産業構造を延命させることを目的として、政府が民間経済活動に介入しようとするものだった。


■史上最大の負債総額を出して破綻したエルピーダメモリ

 これまで日本で行われた企業再建のかなりのものが、官主導で行われた。企業救済を目的とする官製ファンドとして、2003年に経済産業省が主導して「産業再生機構」がつくられた。そして、04年には、カネボーやダイエーの再建にかかわった。さらに09年には、「産業革新機構」が設立された。将来性がある企業や企業の重複事業をまとめることによって、革新をもたらすとされた。

 半導体産業については、NEC、日立のDRAM事業を統合したエルピーダメモリが1999年に発足した(後に、三菱電機のDRAM事業を譲り受ける)。しかし、経営に行き詰まり、改正産業活力再生特別措置法の適用第1号となって、公的資金活用による300億円の出資を受けた。それでも事態は好転せず、2012年2月に、会社更生法の適用を申請し、製造業として史上最大の負債総額4480億円で破綻した。

 日本の半導体産業が弱体化したのは、補助金が少なかったからではない。補助金漬けになったからだ。「補助して企業を助ければよい」という考えが基本にある限り、日本の半導体産業が復活することはないだろう。

 

■莫大な補助金が投入されたジャパンディスプレイだったが…

 ジャパンディスプレイ(JDI)は、ソニー、東芝、日立が行っていた液晶画面事業を合体して2012年につくられた組織だ。産業革新機構が2000億円を出資し、国策再生プロジェクトとしてスタートした。ところが、19年に危機的な状態になった。

 産業革新機構から設立時に2000億円の出資を受け、16年から17年にかけても750億円の投資が追加でなされた。赤字の民間企業に国の金を投入し続けることに対して批判があったが、17年には1070億円の、18年にも200億円の支援がなされた。しかし、18年12月10日、産業革新投資機構の民間出身の取締役全員が辞職。革新機構は機能を停止した。

 ジャパンディスプレイの財務状況は厳しいままだった。一時は債務超過に陥った。会計不正事件もあった。20年10月、石川県白山市の工場をシャープとアップルに売却し、経営安定に努めているが、いまだに赤字を続けている。液晶は、半導体と並んで日本製造業の強さの象徴であり、お家芸の技術とされていたものだ。それがこのような状態になった。必要なのは、世界的な製造業の構造変化に対応することだ。

 数社の事業を統合して重複を除くというようなことではない。エルピーダメモリやジャパンディスプレイが成功しなかったのは、世界の製造業の基本構造が変わってしまったからだ。


■政府の再建政策では抜本的な変革は実現できない

 大きな改革は、企業の再建でなく、企業の新陳代謝によってしか進まない。ところが、官庁が主導して関係企業や金融機関が協議して決める再建は、これまでの日本的なビジネスモデルと産業構造を維持することを目的にしている。だから、抜本的な変革が実現できない。

 このような官民協調体制が、日本の産業構造の変革を阻んできたのだ。この結果、日本の産業構造の基本的な仕組みと企業のビジネスモデルは、ほとんど変わっていない。日本では、企業の消滅を伴う改革は望ましくないと考えられてきた。その大きな理由は、雇用の確保だ。

 しかし企業が残って雇用を維持し続けても、全体としての雇用情勢は大きく変わっている。非正規雇用が全体の4割にもなっている。新しい産業が成長して雇用機会を生み出していくしか、答えはない。

 半導体事業や液晶事業不振のもともとの原因は、日本メーカーの新製品開発能力が低下し、競争力のある製品をつくり出せなくなったことだ。エルピーダメモリの場合について見れば、DRAMはもともと付加価値が低い製品だった。ジャパンディスプレイの売上高も、2016年までは、iPhoneの出荷台数の成長とともに増大していた。

 ところが、16年以降、iPhoneはパネルに有機ELを採用し始めた。しかし、JDIは有機ELの準備がまったくできていなかった。こうしたことの結果、16年をピークに売上高が激減したのだ。

 

■日本経済が抱えている問題は、金融政策では対処できない

 半導体では、経営者が大規模投資を決断できなかったことが、その後の不振の原因といわれる。しかし、液晶の場合には、大規模な投資を行った。特にシャープの場合は、「世界の亀山モデル」といわれる垂直統合モデル(液晶パネルの生産から液晶テレビの組立までを同一工場内で行う)を展開した。

 ところが、結局は経営破綻して、台湾の鴻海(ホンハイ)の傘下に入らざるを得なくなった。厳重な情報管理をして液晶の技術を守るとしていたが、いまになってみれば、液晶はコモディティ(一般的な商品で、品質で差別化できないため、価格競争せざるを得ないもの)でしかなかったのだ。

 日本経済に大きな影響を与えたのは、世界経済の構造変化だ。これは、IT(情報通信技術)の進展と新興国の工業化によってもたらされたものであり、供給面で起きた変化だ。したがって、金融政策では対処できない問題である。

 金融緩和をすれば円安になる。そして、円安が進行している間は企業利益が増加して株価が上がる。しかし、これは一時的現象にすぎない。それにもかかわらず、金融緩和で円安にすること、それによって「デフレ脱却」をすることが目的とされてきた。1993年以降、断続的に円売り・ドル買い介入が行われていたが、これがその後の量的金融緩和と大規模な為替介入につながっていった。

 日本経済は、いまに至るまで、この路線上の経済政策を続けている。アベノミクスも異次元金融緩和も、その一環だ。

著者 野口 悠紀雄(のぐち・ゆきお)一橋大学名誉教授
1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省入省、72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問を歴任。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書に『「超」整理法』『「超」文章法』(ともに中公新書)、『財政危機の構造』(東洋経済新報社)、『バブルの経済学』(日本経済新聞社)、『日本が先進国から脱落する日』(プレジデント社)ほか多数。

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