ミナミのライト らいとライフ「お父さんは冷凍ご飯でもいい?」

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ミナミのライト らいとライフ「お父さんは冷凍ご飯でもいい?」

ミナミAアシュタールRadio637

「このメッセージは頭で読まないでくださいね」

vol.1295 「お互いバランスをとって協調して丸くなってください」
vol.1296 「このメッセージは頭で読まないでくださいね」

僕は温かいご飯が食べたいんだけど・・・

ちょっと悩ましい話をネットの中で

みつけました。


家族4人でカレーを食べている時

お父さんがご飯をお代わりしようと

したそうです。

炊飯器の中には1.5人分のご飯しか

残っていない。

お母さんはその時、子ども達もお代わり

するだろうな、子ども達に残しておいて

あげたいなと思って、お父さんに冷凍ご飯

でもいい?って聞いたそうです。

お父さんは、??って顔になって

炊きたてのご飯が食べたいと答えた。

その時、お母さんは、どうして子ども達を

優先出来ないのか?

子どものためにご飯を置いておくのが

親でしょ、子どもが食べたい物を

食べられるようにするのが親でしょ、

どうしてそれが分からないの?と

お父さんに怒ったらしい・・・


これって、何か分かるような気も

するし、何か違うよねって思う気もする。

やっぱり、ネットのコメント欄には

たくさんの意見が飛び交っていました^^;


う~、どう考えればいいの?

教えて、アシュタールぅ~^^

「自己犠牲を強いる前に考えてください」by アシュタール

「こんにちは

こうしてお話できることに感謝します。

自己犠牲が美しいと思わされているから

起きる悩みですね。


親は子どもを優先するべきだ・・

それが親の愛情だ・・

という考え方ですね。


特に母親に対して、そのような自己犠牲を

求める傾向があります。

母親なんだから・・という言葉は

母親にとってとても鋭い刃のように

なってしまっています。

そして、母親はそれを受け入れた時に

父親にもそれを要求します。

父親だけでなく、周りの大人たちにも

要求するようになってしまいます。

それはコントロールのエネルギーに

なってしまうのです。

そして、そのエネルギーは子どもに

とってもツラいものとなるのです。

それはいずれ子どもにも向かうことに

なるからです。

子どもなんだから、親には

こうするべきだということにも

なっていきます。


そして、それがまた次の世代に

受け継がれていきます。

そうやって育った子どもは、

また自分の子どもにもそうしなければ

いけないと自己犠牲を自分に強いる

ことになるのです。

そして、子どもにも親に対しての

犠牲を強いることになるのです。


そして、反対に子どもがしてもらうのが

当たり前という考えになった時に

人と共感するということが出来なく

なってしまいます。

それはそれでその子は生きづらい環境を

創ってしまうことになりかねません。


愛することは何かをしてあげること

ではありません。

愛されているということを、何かを

してもらうということだと思って

しまうと、愛が分からなくなります。


愛とは尊敬と感謝の気持ちです。

お互いが尊敬と感謝の気持ちを持って

暮らすためにはお互いの気持ちを

話し合うという事が大切になります。


この場合ちょっと気になるのが、

子どもにご飯をお代わりしたいか

どうかを確かめていないのでは

ないかという事です。

子どもの気持ちを聞かずに

自分がそう思ったからという理由で

父親に話をしているのではないかと

思います。


話をしてください。

そして、みんなが炊き立てのご飯を

食べたいという意見がでれば、

誰かが我慢するのではなく

みんなが納得できる方法をみんなで

考えてください。

ご飯が足りなかったら、

カレーうどんにしてみる?

もしくは冷凍のご飯を混ぜてみる?

パンにつけて食べてみる?


いろいろな話し合いが出来ると

思います。

日ごろからそのような話し合いが

出来る環境であれば、何か起きた時も

家族で話し合って解決することが

できる信頼し合える関係を築くことが

出来ます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール! 感謝します。


 

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