元一級建築士が、なぜ生活保護&ホームレス状態に? “行政のミス”で家を失い困窮も…救済を「放置」した市役所の怠慢
「生活保護を受けている人が、ホームレス状態だった」と言うと、多くの人は「あり得ない、作り話だ」と思うかもしれません。
しかし、これは厳然たる事実です。しかも、法の不備や制度設計のミスではありません。行政、あるいは地元の市議等がSOSを受け取り、事実を把握したにもかかわらず、法制度にのっとった適正な対処を行わず放置した結果です。
静岡県富士宮市に住民登録があるユキオさん(仮名・60代男性)は、行政の落ち度が原因で家を失い、1年近くもホームレス生活を余儀なくされ、役場、政治家、法テラス、NPO支援団体など、あらゆる所に何度も救済を求めてきました。ところが、長らく救済を受けることができなかったのです。富士宮市といえば、夏の暑さも冬の寒さも過酷な場所です。
住居を失った人に安全な生活場所を提供するのは、生活保護制度の基本原則です。国が示す「生活保護手帳」でも、住宅扶助は必要不可欠な支援とされています。それなのに、なぜここまで放置されていたのでしょうか。
本来あってはならないことに遭遇し、被害を受けたとき、正当な手段でしかるべき機関に救済を求めているのに、どこもまともに話を聞いてくれず、たらい回しにされる。ついに精魂ともに尽き果て、絶望の淵にストレスと生活苦から病を患い、死に至る人さえいる。
時として、発端となった被害そのものよりも、機能せず形骸化した法制度と行政等の心ない対応が、被害者を苦しめ、その命を奪うことさえあるという現実を、多くの人に伝えたいと思います。(行政書士・三木ひとみ)
「母は、国に殺された」…元一級建築士が、なぜ生活保護に?ユキオさんは、一級建築士・宅建士・一級建築土木施工管理技士など複数の国家資格を持つ元技術者。土地を購入し、そこに自身が設計した家を建て、母親と暮らしていました。
ところが、その土地は、欠陥があるにもかかわらず市がそれを見過ごして開発許可を与えた物件でした。排水路の設計に不備があり、水の流れがせき止められたまま。かつ、雨水を排水するための設備である「マス」やそのフタも法令の基準を満たしていなかったのです。
ユキオさんが静岡県への情報開示請求により入手した行政内部の資料でも、その事実を県の担当職員2名が把握していた旨の記録があります。にもかかわらず「問題なし」として開発が進められたのです。
家が建ってから数年経つと、地盤がゆるみ、大型車が家の前を通るたびに震度4強と同程度の揺れが起こる異常な土地と化しました。
10年後、ついに家が損壊。加入していた火災保険はそもそも補償対象外なので使えず、避難生活を送ることになりました。
以下は、実際にユキオさんから私の行政書士事務所に届いたメールの文面です。
「私は、生活保護を不本意に受けています。原因は、畑を分譲地にした許可の間違いを、富士宮市が、分かっていて、『因果関係の証明が、できないでしょう』と言い、分譲地を造り、販売した不動産屋に、直させない。
水路道路の間違いを、個人で直せず、土地1300万円の契約解除で、保護費を返して、保護を抜けられるのに、契約解除させない。国も県も、知らん顔。
道路に使えないマスのまま、道を広げ、上流からの水路を止めた土地で、地盤が緩み、大型車が通ると、震度4強が起き、床はデコボコ。ブルブル震えて、住めず、近くの老人ホームに、5年避難した母親は、耐えられずに死亡して、私は路上生活。
年120万円の保護費が、無駄な税金として使われ、『あなたの年金受給開始まで、保護して終わる』と、富士宮市職員が自分の金の如く言う。私は、日本という国に親を殺され、家を壊され、生活保護を受けています。誰にも助けてもらえず、弁護士に依頼するお金もない。
どうしたらいいのか、途方に暮れる毎日です」
不動産業者には逃げられ、行政の責任追及もできずこの間、ユキオさんは決して手をこまねいていたわけではありません。
まず、分譲地の購入元である不動産業者に対する「瑕疵(かし)担保責任」(※)の追及を考えました。しかし、業者からは、行政から開発許可を得ていたことを理由に、「欠陥がない」と拒否されました。
※売買の目的物の引き渡し後に、その物に隠れた瑕疵(欠陥、不具合)が発覚した場合、売主がその瑕疵について一定の責任を負うという制度。民法改正により2020年以降は「契約不適合責任」へと改定されている(民法562条~564条参照)
宅建協会への申し立てを行ったところ、市の許可と検査を経ていれば、たとえ後に地盤沈下などの不具合が起きても、「隠れた瑕疵」がなかったことになるとの判断が下されました。
そこで、行政の責任を追及しようと考え弁護士に相談しましたが、土地に関する専門的知識を要する複雑な事例であることを理由に尻込みされました。
法テラスにも何度も足を運び、規定回数を超えても助けを得られず、弁護士からは「難しい案件で手に余る」「国家賠償請求は勝訴見込が少ない。弁護士報酬も割に合わないので受けられない」などと匙(さじ)を投げられました。
ローンの支払い義務だけ残ったまま、瑕疵担保責任の追及も、行政に対する責任追及も事実上不可能な状態に。
そうこうするうち、生活苦のさなか母は他界。ユキオさんは結果的に全財産を失い、生活保護を受給することになりました。
「どこでもいいから住まいがほしい」と訴えていたユキオさんの被害は、まだ序章に過ぎませんでした。生活保護を受けるようになってからも、ユキオさんには「家」がありませんでした。
「どんな住まいでもいいから寝泊まりできる場所を確保してほしい」と繰り返し訴えていたにもかかわらず、富士宮市は1年近く、生活扶助費の月5万円ほどだけを支給し、ホームレス状態を黙認していました。
ユキオさんは、約10か月もの間、住居を持たず、野宿やトイレ、駅の待合室などで寝泊まりし、スーパーの総菜コーナーの無料調味料で安売りのうどんを食べて命をつなぐ生活を余儀なくされていたのです。警察からの職務質問に備えて「天体観測をしている」という説明を用意していました。
それでも、富士宮市の対応は冷淡なものでした。生活扶助(月5万円程度)のみが支給され、住居扶助(家賃補助)は一切支給されませんでした。役所の職員も、ケースワーカーも、地元議員も、事実を把握しながら、一切の支援を行いませんでした。事実上の「ホームレス生活」が制度の名のもとに容認されていたのです。
行政の明らかな誤りと怠慢が生んだ生活困窮。それどころか、役所の福祉課からは、土地を売却しなければ生活保護を廃止する旨を通告してきました。
土地には欠陥があるため売れる状態になく、その状況を招いた元凶は行政の過誤にあります。ましてや、そもそも法令上、所有不動産の売却は生活保護受給の必須要件ではありません。
何名かの市議会議員に相談しましたが、「(瑕疵ある土地に建てられた、倒壊寸前の危険な家屋でも)雨、風、しのげれば路上よりマシかもしれない」と答えるならまだよいほうで、中には「因果関係を証明できないでしょう」とにらみつける議員さえいました。
なお、私の事務所に寄せられる相談では、ユキオさんのように、地元議員に救済を求めても「個人のことには動けない」などと対応を断られたというケースが少なくありません。
この壮絶な現実は、私たちが「セーフティネット」と信じている生活保護制度の根幹を揺るがすものです。
行政書士の電話一本で、わずか数日後に「家」が用意私の行政書士事務所がユキオさんから相談を受けたのは、今年7月18日のことでした。
あまりにも衝撃的な内容だったので、私はすぐに富士宮市役所へ確認の電話を入れました。
最初は半信半疑でしたが、驚くべきことに、担当者も上司もこの状況が「事実」であることを認め、大あわての様子で、
「はい、はい、そうです、本当です。自分たちも問題だと思っています。すぐ住まいを用意します」
という言葉とともに、突如として態度を一変させました。
わずか数日後、民間アパートの紹介が行われ、公費での賃貸契約。ようやく、ユキオさんは「屋根のある生活」「安心して眠る暖かい布団」を取り戻しました。
行政書士として電話を一本かけただけの私に対し、ユキオさんは泣いて感謝の言葉をくださいました。
でも、これは本来「感謝されるようなこと」ではありません。本件に限らず、行政書士などの専門家が働きかけただけで役所の職員の態度が一変する例は数多く、私はそのたびにいつも釈然としない思いを抱きます。
ユキオさんの窮状を招いた“行政の怠慢”この事案の背景には、さらに根深い問題が横たわっています。行政による許可処分の「公定力」(※)と、土地行政の怠慢です。個人の責任ではありません。一連の問題の核心は、まさにここにあります。
※行政処分が違法であったとしても、権限のある機関により適法に取り消されるまでは有効として扱われること
ユキオさんと亡き母親の生活困窮の発端となった問題の土地は、富士宮市が許可を与えた分譲地の1区画。市の許認可に明らかな誤りがあり、水路や道路が設計ミスのまま開発されたことで、建てた家は地盤沈下によって傾き、居住不能となりました。
市はその事実を把握しながら、不動産業者に是正を求めず、「個人間の問題」として責任から逃れてきました。行政が責任を持って介入しなければならない案件であるにもかかわらずです。
ユキオさんは言います。
「契約解除して土地を手放せば生活保護を抜けられるのに、役所が動かない。本来生活保護を受ける必要がなかった私に、ただ税金が浪費され続けているだけです」
やっと話をまともに聞いてもらえた以下は、ユキオさんから届いたメールの文面の一部です。
「アウシュヴィッツの収容所では、クリスマスには解放されると希望を持った人々が、絶望して年明けに亡くなったそうです。私は、もう少し、もう少しと耐えて、限界になって先生にすがりました」
この「もう少し」を耐えきれずに、自ら命を絶つ人も少なくないのです。悲しい自死や、役所での殺傷事件などが実際に起こっています。大阪でも一部の福祉事務所には、要塞(ようさい)のごとく職員を守るバリケードが築かれているところもあります。
私も、相談先をすべて断たれ、孤独死や自死の危険が目前に迫っていたケース、直前でついに間に合わなかった悲しい場面に、何件も遭遇しています。
しかし、今回は間に合いました。なぜなら、ユキオさんが諦めて自暴自棄にならずに、正当な手段で声を上げ続けてくれたからです。
「やっと話をまともに聞いてもらえた」
今回のユキオさんのケースでも、自宅を失い、身内を失い、残されたのは冷たい制度の壁だけでした。
それでも、ユキオさんは最後の望みとして断られても、断られても、どこかに助けてくれるところはないかと、私の行政書士事務所に連絡をくれました。そして、行政書士がかけた「たった一本の電話」で、事態は急展開したのです。
「法の正義」を取り戻すにはユキオさんが相談した専門家の中には
「田舎の行政のいい加減さ無責任さ、法的無知に付け込んだ被害。最悪でも、信義則違反は問える」
「行政の不適切な許認可により被害が出た場合は、国家賠償法1条1項に基づく請求が可能」
と指摘する人もいました。
ところが現実には、複雑で手間のかかる国相手の裁判を法テラス経由で受任してくれる弁護士はなかなか見つかりません。
「地盤沈下の直接原因が設計ミスにあることを科学的に立証せよ」と求められても、資力も調査力もない生活困窮者が、自治体を相手に本人裁判で勝つことはほぼ不可能です。
ユキオさんは、倒壊した家のローンとアパートの家賃の二重支出という生き地獄の中で、弁護士費用を捻出できませんでした。
このような「責任のたらい回し」が、ユキオさんを追い詰めていったのです。
法制度の枠組みに穴があるなら、そこを埋めるのが行政、政治の責務であるはずです。しかし、それが一切機能しなかったのです。
それでも日本には“生活保護”があるユキオさんの言葉の端々に、無意識のうちに、生活保護を受けることへの罪悪感が見て取れました。自分に支払われている生活保護費は「無駄な税金」だと繰り返し言うのです。
また、ユキオさんはホームレス状態の人が行政に住まいを確保してもらえることも知りませんでした。
このように、生活保護制度には、一般の人が真実を知らない、多くの誤解があります。
「働けない人が使うもの」「怠けている人のための制度」そう思い込んで、申請をためらう人も少なくありません。
しかし、生活保護制度はそもそも「最低限の生活を保障するため」にあります。たとえ職歴があり、資格があり、真面目に働いてきた人でも、災害や不運によって生活の糧を失うことはあります。そして、誰でもホームレスになり得るのです。
自治体が許可した土地に不具合があっても、誰も責任を取らず、誰も直さないまま、被害者だけが追い詰められる-これが、今の日本の、許認可行政の現実なのです。法があっても救済されない悲劇、理不尽は「特殊な一例」ではなく、日本中で起きているのです。そして、私たちは誰もが、そのような事態に襲われる可能性を抱えています。
生活保護制度は、そうなった時にも、日本で暮らす私たち全員の命綱として機能するものです。いざという時は、ためらわず生活保護を頼ってください。
「困っているのに、誰も助けてくれなかった」と絶望しそうになっても、どうか一人で抱え込まず、あきらめず、公的機関に何度でも相談してください。それによって、救われる命、変わる未来があるのです。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。
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