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やっぱり高市首相の「外国人政策」はおかしい…

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移民反対 移民

やっぱり高市首相の「外国人政策」はおかしい…

高市首相でも移民受け入れの指示に逆らえない日本の政治

日本の外国人労働者数の増加

経産省レポートが暴いた「ウソ」

外国人労働者がいないと社会が崩壊する――。

こんな言説が支配的だが、経産省が1月26日に発表した「2040年の就業構造推計(改訂版)」は、この大前提を真っ向から覆すものだった。同レポートによれば、現場人材や生産工場従事者、AI・ロボットなどの利活用人材は大きく不足するものの、合理化や事務職における437万人の余剰分などの雇用流動を加味すれば、2040年時点でも「大きな人手不足は生じない」と結論付けている。

しかし、高市早苗政権の方針は真逆の対応だった。レポート発表のわずか3日前の1月23日の衆議院解散直前の閣議決定では、特定技能の対象分野に「リネンサプライ」など3分野を新たに追加。外国人労働力の供給をさらに拡大する決定を下した。これは、同分野で働く日本人労働者の賃上げを抑制する要因ともなる。

しかも、28年度末までの育成就労と特定技能1号における123万人の上限値は、1号から移行可能な「特定技能2号」への“移行組”は除外される数字であり、上限と言えるかは微妙だ。

日本人の給料が上がらない本当の理由

その結果、日本人労働者の離職が加速する。やがて外国人労働者ばかりの職場になってしまい、彼らへの依存状態ができあがってしまう。これが、いわゆる「外国人がいないと回らない職場」の正体だ。また、例えば同地域にある介護事業所で、過半数が外国人の事業所と日本人ばかりの事業所が存在すれば、“経営合理性”のもと、「日本人排除」すら進みかねない。実際、SNS上ではこうした事例が報告される。

問題は「本当に労働力の不足分野の解消手段が外国人以外にないのか」だ。かつて高度経済成長期の有効求人倍率は1.6超と25年の1.22を大きく上回る水準であったにも関わらず、外国人受け入れ政策に頼らず、機械化や、労働市場メカニズムに従った賃上げで労働力不足を補い、現在のようにコンビニやチェーン店がない不便な面もあったが、国民の実感が伴う経済全体の強さと豊かさが実感されていた。

【図表1】低賃金の労働力不足 政府の解消手段



「外国人がいないと回らない」という“脅迫”

それを考慮すると、現在の人手不足の解消に、国民に受け入れ負担をもたらし、賃上げ要因が政策的に阻害される「外国人の受け入れ」以外に手段がないという「非代替性」の証明は一切ないのだ。あるのは、労働力供給の一部を人質に取ったかのような「外国人がいないと回らない」という一種の“脅迫”だけだ。

もちろん、外国人が異国の日本で懸命に働く姿は立派だ。しかし、その光景の本質は、「外国人が日本を支えている」という美談ではなく、本当に支えているのは企業が日本人への賃上げを回避することで得られる利ザヤだ。

実際、過去10年で、実質賃金は右肩下がりの一方、国内企業の「稼ぎ」、すなわち営業利益率の上昇幅は、およそ1.5倍に拡大している。その一部に外国人労働者の受け入れ政策が寄与している可能性が考えられる。

当たり前だが、企業活動はボランティアではなく、利益を得ることが目的だ。日経新聞が昨年11月に行った社長アンケートで、実に9割超が外国人労働者受け入れに賛成だったのも頷ける。

労働力不足ではなく「賃金不足」

昨年10月時点で、外国人労働者は257万人と、過去最高となった。一方で日本の労働力人口も増加し7004万人と、初めて大台を突破した。外国人労働者の比率は3.6%であり、これには日本の人手不足業種だけでなく、インバウンド関連など単純に外国人経済圏を支える労働力も含まれる。彼らがいないと国民生活が立ち行かなくなるというのは、オーバーな見立てではないか。

ちなみに総人口がほぼピークの2008年の労働力人口は、6675万人で、外国人労働者は48万人だった。近年は高齢化を背景に、女性や高齢者の医療や介護分野での就労が増えたのが増加要因とされる。

少なくとも現時点では、労働力不足というより、「賃金不足」による雇用流動性の阻害がその原因と考えるのが自然だ。たしかに、賃金上昇が著しい建設分野など、若者の労働力が必要な業種は、外国人労働者の受け入れを正当化できる。しかし、平均賃金を大きく下回るような職場での受け入れ政策は、「日本を支えている」のではなく、人件費(賃上げ)の抑制という企業の収益性を助けているようなものだ。

【図表2】高市政権・外国人施策の動向

公的サービスの利用条件は国民と同じ

しかも、そこには大きな不均衡がある。外国人を〈労働者として〉受け入れる企業側は、賃金上昇が限定的な彼らが増えれば増えるほど「利益」につながり、その受け入れコストに対してすら、税金から助成金まで出る手厚さがある。しかし、彼らを〈地域住民として〉受け入れる国民にとって、外国人住民の増加に比例して膨れ上がるのは利益ではなく「負担」だ。

賃金水準が低い外国人労働者は公的負担も必然的に低くなるが、公的サービスの利用条件は国民と変わらない。

例えば、外国人の子どもが保育園に行けば、日本人と同様に相当な公費が使われる。東京都江戸川区のHPによれば、0歳児では一人当たり月42万円、2歳児でも月21万円の経費がかかるといい、その大部分は公費負担だ。小学校では外国人児童の増加に伴う多言語対応の負担で、日本人児童の教育の機会に悪影響が及んでいると指摘されている。

もちろん公立学校に来る外国人児童には一切、罪はなく、これらは若い外国人を受け入れる以上、必然的に発生する負担だ。要は、企業側に低コストの恩恵をもたらす一方、国民側には高負担のツケを回すという「非対称性」が極めて大きい受け入れ政策自体に問題があるのだ。

また、国籍を問わず、若い低所得層は統計的に犯罪性向が高い。外国人労働者の受け入れ政策はこうした属性を増やす政策でもあるが、その被害者の多くは、受け入れ側の日本国民だ。

今後増えるのはインド・イスラム・アフリカ

そして、外国人労働者は低賃金水準の存在として社会に固定化され、“階層”ができあがる。同時に、外国人労働者の出身国は、日本文化との親和性ではなく賃金格差で決まるため、必然的に社会通念や文化的背景が大きく異なる途上国が多くなる。

今後、人口や賃金格差の面から受け入れが増えるとされる地域は、インドやイスラム圏、アフリカ圏などだ。すでにパキスタンとは19年に技能実習の協定を締結。インドとの50万人の“交流事業”においては、「特定技能」の全分野でインド国内における試験センター設立などが努力目標として外務省資料に記載されている。

また、現地の送り出しプログラムを通じて、出発前の職業語学訓練も補足的に提供するなど推進政策がとられている。これらの交流事業には、山梨など9自治体が参画。観光等、短期滞在の査証免除が認められていない国々の出身者を、地域住民として受け入れようとしているのだ。

もちろん、「労働者」としての彼らは、母国との比較において低賃金であっても納得して働くが、「地域住民」としての彼らには、日本の文化や社会通念に従うインセンティブは低い。賃金水準が低い環境で働いているのに、日本に倣って「郷に従え」と言うのは、虫が良すぎる話かもしれない。今後、彼らの“同胞”の数が増えていき世代も経ていけば、なおさらだろう。彼らも日本人と恋愛したいし、文化の違いからトラブルになるのは、当然の帰結だ。

【図表3】日本人/外国人・外国出身者 人口推移

「外国人街」が増え始めた背景

外国人の人権を尊重することは大切だ。しかし、際限なく彼らの権利を保障していくと、必然的に社会リソースをめぐって日本人と競合関係になってしまう。現在の共生政策は、開拓地を他の開拓民と分け合うようなものではなく、自国の土俵で文化や社会資源を一方的に外国人に「譲歩」しているのが実態だ。期待とともに来日する外国人も、人間として当然に有する主体性がある以上、彼らも「補完」ではなく「交換」を目指すのは当然だからだ。

例えば、外国人が増えた地域であっても、大抵は日本人も住んでいる。文化が異なる外国人が増えると必然的に昔から住む日本人住民にとっては居心地が悪く感じる。そして日本人は転出するようになり、やがて外国人街が形成される。

人手不足の企業は政治家に陳情できる機会はあっても、受け入れ負担に悩む住民の声が政治に反映されて、受け入れ自体が撤回されることはほぼない。ナイーブな問題に声も上げられず、政策が原因で変わってしまった居住環境により、住み慣れた地域を後にした人に「共生しようとしなかった偏狭な人間」と批判するのはあまりに酷だ。しかし、これらの光景は埼玉県川口市の一部など、各地で増え始めている現実なのだ。

なぜ「デメリット」を説明しないのか

地域や社会の分断は「煽られて」発生したものではなく、企業側の要望に偏った、政府による「持ち込まれた“分断政策”」の結果とも言える。外国人の受け入れ政策は本来、いずれ“移民の国”になるという、不可逆の覚悟が必要なのだ。問題は、政府や自治体が共生政策の理想を謳うだけで、どんなデメリットがあるのか、説明すらないことだ。日本中の自治体に外国人街を増やしていくことが共生推進なのだろうか。

このような受け入れ政策に、国民が不満や不安を口にすると、「多文化共生」への反抗と受け止められ、排斥・排外主義や差別主義のレッテルすら貼られてしまう状況となる。しかも、本来は、社会の分断や格差社会、企業の利益主義を批判するはずのリベラル陣営まで、こうした政策を積極的に推進しているのはなんとも皮肉だ。

外国人の受入れ・秩序ある共生社会実現に関する関係閣僚会議
外国人の受入れ・秩序ある共生社会実現に関する関係閣僚会議(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

「年収の壁」解消で労働力は補える

どうしても混乱が避けられない外国人の受け入れ政策を実施する前に、まずは十分に生かされているとは言えない国内労働者の雇用流動を促すことが先決だろう。日本の労働市場にはまだまだ「余力」がある。全体の実質賃金が下がっていることを説明するように、就労人口のうち最も多い事務系職種は、有効求人倍率が0.3倍という狭き門であり、余剰感すら強い。

11年の内閣府の調査では、社内失業者数は当時の労働者の8.5%にあたる465万人であり、現在では500万人を超えるという見方もある。また、伊藤忠総研は23年に「『年収の壁』で就業調整する非正規労働者は445万人、賃金上昇に応じた引き上げで労働力は2.1%拡大」とのレポートを発表。「年収の壁」の調整だけでも、外国人が現在働く労働力不足分野の大半をカバーできるとの見方も示されているのだ。

そして目下、AIによる事務職のリストラはすでにアメリカで苛烈であり、日本でも名だたる大企業を中心に黒字リストラが進んでいる。そこで注目されているのは「ホワイトカラーのブルーカラーシフト」だ。人材サービスのレバレジーズの調査では、ブルーカラー職への転職で約4人に1人、20~30代では約4割で年収が増加したという。しかも、このうちの約3割は100万円以上の増加だったという。ただ、このブルーカラー需要ですら、いつまで続くかは未知数になってきている。

AIとロボットがもたらす劇的な変化

AIやロボットの活用による省人化、無人化の大波が押し寄せてきているからだ。例えば外食チェーンでは配膳ロボットはもはや日常的になりつつあるが、大阪王将では数年前から炒飯やレバニラなどの炒め物を自動で調理するロボットが稼働。調理のムラといった属人化による弊害も防いでいる。

農業分野でも自動収穫ロボットが大規模農園などで導入が進んでおり、実習生からロボットに切り替える農園も現実に増え始めている。建設や物流、そして介護分野でもロボットの開発や導入が急ピッチで進んでいる。

特に、ロボット分野は近年、AIが機械を自律的に制御する「フィジカルAI」の流れが広がり、技術進展のスピードが急速だ。人手不足解消の決定打となりそうな「人型汎用ロボット」の開発も急ピッチに進められ、すでにアメリカではベンチャー企業「1X Technologies」が家事用ロボット「NEO」を300万円程度で年内に販売開始予定だ。

写真=1Xプレスリリース(共同通信PRWire)より
写真=1Xプレスリリース(共同通信PRWire)より

労働時間に制限がないロボットは「人型」でも、時給換算では数百円以下になると見込まれている。償却資産の設備となるロボット導入は人間を雇うより、コスト・税制的にも圧倒的に有利で、今後は飛躍的に導入が進むと見られている。

不便でも「日本人の国」を望む声も

特に大人数が一カ所で単純作業をするような職場は、急速にロボットに置き換わる可能性がある。大手コンサルのマッキンゼーは、AI技術の浸透で、2030年までに世界の労働時間の3割が代替可能だとの予測を出しており、この波は止まらないだろう。「どうしても人がやらないと」と見られていた分野ですら、どんどんAIやロボットに置き換わり、その普及スピードは、労働人口の減少スピードより明らかに早いのだ。

まずは、日本人の雇用環境を整備して賃金や待遇をあらため、眠れる国内の労働力を活用する。そして、AIやロボット化で合理化を進める。その上で、さらに労働力不足が起きた際に、外国人労働者の受け入れを検討するのが正しい順番ではないか。

百歩譲って、労働人口が足りなくなったとしても、外国人で補い、国内に多くの外国人住民を受け入れ続けることは、企業にとって労は少なくても、国の形や特徴を大きく変えてしまうという国民側のデメリットがとてつもなく大きい。であれば、コンビニやチェーン店の数が減り、商品の種類が減り、世の中がどんどん不便になったとしても、「日本人の国」でいるほうを望む声も多いはずだ。

外国人比率「最下位」の県で起きていること

現在、高齢化率は約30%である。人口問題研究所(厚労省)によれば、ピークでも2070年頃の40%だという。その時、外国人が増えていなければ日本は本当に崩壊するのか。この“先行指標”となりそうなのが秋田だ。同県では高齢化率がすでに40%であり、男鹿市では53%となっている。一方で、秋田県の外国人は人口(6097人)、比率(0.67%、東京都=5.46%)とも全国最下位であり、「日本人だらけ」の、今や珍しい自治体でもある。

外国人の手をほとんど借りていない秋田のような地域であっても、少なくとも「崩壊」することなく、たとえ不便でも相互扶助をしながら順応した暮らしがある。たしかに、秋田県民の暮らしは経済的には地方交付税交付金や国内の物資・物流に大きく依存している。しかし、それは、高齢化率の問題というより昭和時代から続く、地方から人と経済を吸い上げる大都市集約型の経済構造の結果でもある。

少なくとも、医療、介護を含めて、現地のライフラインの大部分は秋田県民の手だけで賄えているのである。むしろ、地方との経済が途絶えて本当に困るのは、食料自給率が180%以上、米の自給率800%超の秋田のような農業県から、手ごろな金額で野菜や米を買う自給率1%以下の東京のほうだろう。

秋田の最低賃金が「急上昇」のワケ

秋田では、最新のAI・DX技術を取り入れた合理化が全国でも特に進んでいる。例えば、成瀬ダム(東成瀬村)建設は世界最大規模の無人化・省人化技術が活用されている。現場では、鹿島建設が開発した自動施工技術「A4CSEL(クワッドアクセル)」が導入され、10台以上の無人重機が数年前から稼働している。

米作では、田んぼへの直接種まきが可能な農業用ドローンを秋田県の東光ホールディングスが開発した。これは、「苗を育てる手間が省け、人が田んぼに入る必要すらなくなる」という、大幅な省人化とコスト削減を可能にする革命的といっていい製品である。同社は今後数年で年間1000台の販売を目指すという。これ以外にも、AIなどを活用した秋田発の合理化事例は多い。

そんな秋田で外国人の参入分野とも重なる最低賃金が近年、急ピッチに上昇している点も見逃せない。25年度の最低賃金引き上げ率は、熊本、大分に次ぐ、全国3位となる8.4%の1031円となり、今や仙台市を擁する宮城県の1038円とほぼ並んだ。近年の伸び率は特に23年に掲げられた最低賃金引き上げの政府目標の影響も強いが、それ以前からも、秋田をはじめ、外国人比率2%以下の都道府県の伸び率は高かった。10年間の伸び率では、東京都の35%に対し、秋田県は48%となり、伸び率の勢い差は37%だ。

【図表4】全国の最低賃金の推移

 

本質は「人口逆ピラミッド構造」への適応力

秋田では、どう「外国人を確保するか」ではなく、どう「合理化」するかに苦心した結果、実際に賃上げや新たな技術が誕生している。社会には外国人の受け入れ負担ではなく、技術進展という付加価値と、労働者の賃金増加がもたらされているのだ。

そもそも人手不足の問題は、人口減そのものではなく、人口逆ピラミッド構造に対する「適応力」の問題である。具体的には高齢者の健康寿命と平均寿命の間の約10年を、誰がどのように支えるかという、主に医療・介護の担い手と、その費用の問題だ。

この医療については合理化の余地はある。例えば一人当たりの病床数や医療費は都道府県によって2倍以上の差があるケースがあるが、平均寿命には相関がほぼ見られない。これは病院にアクセスしやすい県ほど過剰医療になりやすいことが示唆されるデータとも考えられる。こうした状況が適正化されれば、医療負担も減るはずだ。

【図表5】企業利益と実質賃金の長期推移

直視すべき「不都合な事実」

すでに高齢化が著しい日本だが、高齢者やインフラを支えるお金の面では、日系企業の強さは健在で、経常収支は過去最高の年30兆円と、消費税収すら優に上回る。対外純資産も533兆円で、国のバランスシートを見ると、日本が崩壊する、ということはまだまだありえない。要はこうしたお金を国民のために使えるか、その仕組み作りが全てと言っていいのだ。

政府自民党の受け入れ政策は、あくまで安価な労働力不足に直面した経済界の要望優先で、国民にはその受け入れ負担を前提とする政策だ。経済界は外国人労働者の受け入れメリットを会計的に数字で説明できるが、国民にとっての受け入れのメリットは、デメリットを本当に上回っているのか、政府からの説明は一切ない。あるのは「共生社会」という抽象的なスローガンだけだ。

直視すべきは「人が集まらない」という現象ではなく、「なぜ日本国内で日本人が働く気が起きない環境と賃金水準を維持し続けるのか」という不都合な事実だ。

高市首相の「秩序ある共生社会」は詭弁

年々拡大する企業の利益率を支える「低賃金依存」という構造問題が、「外国人に支えてもらっている」という情緒的な問題や人権問題へとすり替えられる。生産性の向上や労働者への賃上げをしない企業の怠慢を、国民の罪悪感と受け入れ負担に転嫁するような政策は不健全と言わざるを得ない。そして本当にかわいそうなのは、政府の制度に乗って来日しただけなのに、国民に心のどこかで歓迎されない外国人だ。

一方で仮に、労働力不足の代替が難しかったとしても、それにより生じる不便な社会を甘受するか、という価値判断の主導権は、本来は主権者である国民にあるはずだ。しかし、その明確な選択の機会を政治は一切、提示せず、管理の厳格化という、似て非なるテーマを掲げて総選挙を経ただけだ。

結果、社会を維持するための希望条件の設定という、国民生活のあり方の根幹に関わる基準が、いつの間にか政治と日常的な距離が近い経済界の損得勘定に取って代わられている現実があるのだ。

移民政策の良し悪しはよく語られるが、本来、こうした解説をするまでもなく、理屈上も、欧州の混乱を見ても「国民にとっては」ダメージしかない政策なのは明白だと筆者は考えている。

しかし、政策を決定する政府や彼らに近い企業の関係者にとって、直接的な利害に結びつくのは、国民の民族構成ではなく、税収や売上などだ。日本人が減り続ける国であるより、いっそ移民の国に変わったほうがGDPの縮小が抑制され、売上の減少や税収減も穏やかになる、という“実利”がある。

こうした側面のある外国人の受け入れ政策に対し、「移民政策」ではなく「秩序ある共生社会」の推進だと説く高市首相――。果たして、この状況を国民はどう考えるのか。

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