炙り出されてきた多数決の原理の限界 多数が正しいとは限らない
例え51対49の僅差であっても多数決の原理から51が選ばれる。結局最後の一人が勝敗を左右する。スポーツでは妥当だが政治ではどうか?
物事は政界も官僚も経済界も
最終的には国民の意思に反する
事はできない、できにくいという
本質があります。
従って私達国民が主体的に意思表示
をして言動する事が大切になります。
一昔前までは多数決という手段が人の世の
最善の意思決定手段だと認識していました。
しかしこの数年、世の中が様々な本質を
露わにしてきた経過の中で多数決という方法
の限界と危険性が見えてきました。
例えば移民について。
また夫婦別姓について。
また外国人参政権について。
これらについては日本人、日本国民の大多数は
反対または抵抗を感じていて賛成しない国民が
大多数です。
しかし国会議員の中の割合ではこれらに賛成
している国会議員が多くなっています。
国会が議決機関ですから、場合によっては
国会での国会議員による多数決に持ち込んだ場合に
移民推進、
夫婦別姓制度または選択的夫婦別姓制度の導入、
外国人参政権の導入、
が賛成多数により可決、成立する危険性があります。
多数決だから良いのでしょうか?
このような本質を前にした時、これまでの時代には
最善の意思決定方法だと認識してきた多数決の方法
も随分と危険性が伴う方法だと見えてきました。
世の中には少数の場合が的を射ている場合が
よくあります。
多数だから大丈夫だ、多数だから正しいという
認識は時に危険です。
もしも移民を大量に認める是非について多数決で
ほとんどの国会議員が賛成起立して1人だけ
国会議員が反対したと仮定します。
この時に反対したのは1人の国会議員だけですが
反対した国会議員のほうが日本国民の民意を
反映していますよね。
反対した1人の国会議員のほうが良い場合もあります。
表向きは国会議員は国民の代弁者と言われて
いますが近年は国民の意思に反したり都合の良い
内容だけ民意だと主張する国会議員が散見されます。
全てを多数決に委ねるならば、日本人や日本国民
のほとんどが望んでいない夫婦別姓についても
賛成が多くなっている国会議員による多数決で
賛成多数とされ成立されかねません。
日本人のほとんどが望んでいない事を決めるな
と騒動になるでしょう。
日本人のほとんどが求めていない移民や夫婦別姓、
外国人参政権について何故、国会議員の多くが
賛成したがるのでしょうか?
理由の1つには利害や利権もあるでしょう。
しかし主な原因は国会議員の多くが帰化人だからです。
日本人のアイデンティティーではないからです。
だから今や多数決は危険なのです。
今では日本が好きだと言う外国人からも
日本の外国人に対する姿勢は甘過ぎるという疑問や
苦言が出ています。
外国人から見て外国人ファーストの日本の政治や
官僚がおかしいと見えています。
だからこそ、日本国民が常日頃から意思表示を
して主体的に言動していく事が日本を護る事に
なります。
外国人参政権を主張する国会議員に言いたい。
コリアに暮らす日本人には参政権はありません。
あなた達はでは、どうしてコリアに暮らす日本人
に参政権が無いのは差別だと騒がないのか。
コリアに暮らす日本人はコリアから見れば
外国人になりますから参政権が無いのは当然ですね。
にもかかわらず、あなた達は日本に暮らす外国人
に参政権が無いのは外国人差別だと主張しますね。
随分とご都合主義ですし一方的ですね。
だから今や多数の日本人から見放されつつ
あるのですよ。
それともご自身が日本国籍は手段として得ては
いても、自我や中身が日本人ではないから
自ずとそのような主張や感覚になるのでしょうか。
大多数の日本人の意思から大きく乖離した
政界や官僚の姿を見るにつけ、多数決による
意思決定の限界と危険さが炙り出されました。
内容によっては多数決以外の方法で意思決定を
しなければなりません。
その為には物事の本質が判断できる人物が
判断しなければなりません。
時には万人が賛成する中で反対しなければならない
という局面が世の中にはあります。
また逆に万人が反対する中で賛成しなければ
ならない局面も世の中にはあるでしょう。
そのような判断ができる事が真の決断と言えます。
内容によっては多数決に委ねない方法で
意思決定をする良い仕組みが不可欠です。
ただし責任の所在も厳格にしなければなりません。
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