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「反政府デモの鎮圧」に「基本的人権の停止」…高市ブログから発掘された「憲法9条改正私案」のヤバい中身

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高市総理 改正日本国憲法

「反政府デモの鎮圧」に「基本的人権の停止」…高市ブログから発掘された「憲法9条改正私案」のヤバい中身

2005年に高市首相が「9条改正私案」を発表していたが、現在も同じ考えかどうかは不明!しかし、同じ考えであるならば・・・。

高市首相の公式サイト上から削除されたいわゆる「高市ブログ」には、かつて雑誌に発表された首相独自の憲法改正私案も掲載されていた。東大名誉教授の井上達夫さんは「高市私案では軍隊による反政府デモの弾圧や、緊急時における基本的人権の停止が可能になっている点が危惧される」という――。

高市首相は2012年自民党憲法全面改正草案の起草委員には名を連ねていないが、雑誌『諸君!』2005年6月号の「わが九条「改正」試案」という特集への自身の寄稿において、日本の自衛のための「国防軍」の保有と武力行使を明認する「九条改正私案」を公表している(同誌同号203~204頁)。

これは現在の自民党が掲げる「9条改正モドキ案」とは異なり、2012年の自民党憲法全面改正草案中の9条改正案に近い立場である。

【日本国憲法九条改正私案】

①日本国は、国家固有の権利として、自衛権を有する。
②日本国は、国防軍を保持する。国防軍の組織及び運用は、法律でこれを定める。
③国防軍は、自衛権行使の他、法律の定めるところにより、国民保護、領土保全、独立統治の確保の為に必要な措置、及び国際社会の平和と秩序の維持を目的とする諸活動を実施する。
④日本国は、前項の目的を達成する為に必要な場合を除き、他国の領土保全と独立統治を侵害する武力行使は、これを行わない。
⑤国防軍の最高指揮権は、内閣総理大臣がこれを有する。

【別条項に記載すべき関連事項私案】
①内閣総理大臣は、法律の定めるところにより(防衛・治安・災害・資源等)、国家緊急事態宣言を行い、国防軍に出動を命じる他、国家緊急事態解消の為に必要な措置をとることができる。
②内閣総理大臣は、国家緊急事態宣言を行う必要が生じた時には、原則として事前に、事態の緊急性によっては事後に、国会に対して説明を行い、その承認を得なければならない。
③内閣総理大臣は、国家緊急事態終了を宣言する時には、事前に国会の承認を得なければならない。
④国家緊急事態宣言に伴い国が行う措置を円滑に実施する為に、法律の定めるところにより、内閣総理大臣は、国民及び地方公共団体に命令を発することができる。
⑤この憲法が国民に保障する自由と権利は、国家緊急事態宣言発出時には、法律の定めるところにより、一定の制限を受ける。
⑥国家緊急事態において内閣総理大臣が欠けた場合、又は職務遂行が不可能な状態にある場合には、法律の定めるところにより、あらかじめ指名された国務大臣が、国家緊急事態終了後に新たに内閣総理大臣が任命されるまでの間、内閣総理大臣の職務を代行する。
⑦法律の定めるところにより、最高裁判所の下に、軍事規律上の犯罪に関わる裁判を行う特別裁判所を設置する。(七十六条改正)
⑧両議院の会議は公開とする。但し、出席議員の過半数の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。(五十七条改正)
2005年6月8日付「高市ブログ」(https://www.sanae.gr.jp/column_detail363.html)より

 

 

現在も同じ立場かどうかは分からない

この2005年寄稿は、20年以上前のものであり、現在でも同じ立場を彼女が保持しているか否かは不明である。

保持していたとしても、上記寄稿は「私案」――しかも選挙に敗れ議員失職していた時期の「私案」――にすぎず、首相・自民党総裁として自らがいま公的にとる立場とは違うと主張する可能性はある。しかし、立場が変わったのなら「変わった」、変わってないのなら「変わってない」と、はっきり、選挙中にそう言うべきであり、9条改正という日本の安全保障に関わる緊要な問題について現在の自己の立場を曖昧にしたままにして逃げるのは、政治家として卑劣である。

この点はともかく、過去に公表した「私案」だとしても、ある時期の高市が個人として主張していた見解なので、参考までに一言しておく。

高市私案は、憲法9条自体の改正に関する部分と、別の関連条項の改正に関する部分とから成る(以下、前者を「本体改正部分」、後者を「関連改正部分」と呼ぶ)。

本体改正部分」では、1項から4項までで「国防軍」と呼ばれた戦力を自衛目的に限定して保有し行使できることを明認している。その上で、戦力統制規範としては5項で「国防軍の最高指揮権は、内閣総理大臣がこれを有する」として文民統制を明定するだけである。

ただし、「関連改正部分」の7項で「法律の定めるところにより、最高裁判所の下に、軍事規律上の犯罪に関わる裁判を行う特別裁判所を設置する。(七十六条改正)」と定めており、「軍事規律上の犯罪」が国防軍による交戦法規違反の武力行使を意味するなら、これは現憲法下における戦力統制規範欠損の重要な一部を埋め合わせるものと言える。

ただ、「軍事規律上の犯罪」という語は曖昧あいまいで、上官の命令への不服従や任務懈怠けたいなど、国防軍の指揮命令系統に反した行為を意味するにすぎないとも解釈可能で、国防軍の武力行使に対する交戦法規統制を貫徹する軍事司法の導入を求めるものとは直ちには言えない。

危険極まりない「国家緊急事態宣言」制度

高市私案の最も危惧される問題は、関連改正部分1項から6項までで規定している「国家緊急事態宣言」制度にある。

1項で、「内閣総理大臣は、法律の定めるところにより(防衛・治安・災害・資源等)、国家緊急事態宣言を行い、国防軍による出動を命じる……」とし、2項で国会緊急事態宣言に対する国会統制として「原則として事前に、事態の緊急性によっては事後に、国会に対し説明を行い、その承認を得なければならない」としている。

拙著で再三指摘してきたたように、防衛に関しては一旦国防軍が出動して交戦状態になった後、国会が事後承認を拒否したから撤兵するといっても相手側が反撃を止める保障はなく、むしろ相手側の攻勢が激化する蓋然性が高いため、事後承認は事後追認になるのが通例であり、国会承認を事後でよしとするのは国会統制を形骸化するものでしかない。

「軍隊による反政府デモの鎮圧」が想定されている

国家緊急事態宣言の危険性はさらに2点ある。

第一に、その発動条件が防衛に限定されず、治安・災害・資源というようにあらゆる状況に拡張可能な形で一般化されている。

特に、治安を加えていることは、反政府デモを、政府が軍隊を導入して鎮圧するという、トランプ政権が例証している横暴を日本でも許すことになる恐れを抱かせる。

現在の自衛隊法は防衛出動に加えて治安出動も認めているが、これは「自衛隊は軍隊ではない、警察類似の実力組織だ」という「9条が強いる嘘」の結果、自衛隊の法的地位が曖昧化されているためであり、9条改正で国防軍を警察とは異なる軍隊として明認するなら、国防軍を防衛以外の目的で安易に首相が使える暴力装置にすべきではない。高市は「国防軍」という言葉を使って「勇ましい」ふりをしているが、自衛隊を「国防軍」という軍隊として明認することがもつ重大な法的意義を理解していないようである。

緊急事態宣言時には「基本的人権を停止」できてしまう

第二の危険性はさらに重大である。高市私案関連改正部分の5項は「この憲法が国民に保障する自由と権利は、国家緊急事態宣言発出時には、法律の定めるところにより、一定の制限を受ける」としている。

これは日本国憲法の立憲主義的人権保障システムを根幹から掘り崩すものである。

日本国憲法は基本的人権を法律によっても侵犯できない基本権と定め、それを侵犯する法律に対しては違憲無効と宣言する権限を裁判所に与えている。

しかも、憲法96条はかかる基本的人権保障も含めて憲法規定の改正手続は通常の法律を制定する国会の立法手続よりもはるかに高いハードル(衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成による発議と国民投票による承認)を設定している。

しかし、国家緊急事態宣言を発出すれば、かかる基本的人権が「一定の制限」を受けるのみならず、「一定の制限」とはいかなる制限かも「法律の定めるところにより」決められるとなると、これは首相と与党議会から成る政府が、成文硬性憲法としての日本国憲法の下での立憲主義的人権保障システムを通常の立法過程を通じて簡単に掘り崩せることを意味する。

「9条を変えると戦前に逆戻り」は「護憲派」の欺瞞的プロパガンダ

9条改正に反対する「護憲派」の欺瞞ぎまん的プロパガンダとして、「9条を変えると日本は戦前の軍国主義に戻り、平和だけでなく自由や人権も失われる」と主張されることがままある。

しかし、これはまったくの詭弁である。9条改正は戦力に対する立憲主義的統制を確立強化し、「無法な軍事国家」となっている日本の現状を抜本的に改革するために必要なのであり、立憲主義的人権保障の維持強化と完全に両立可能だし、両立させなければならない。

高市の「改憲私案」は「護憲派」のプロパガンダにとって、まことに都合のいいものである。彼女のような、立憲主義的人権保障を骨抜きにする国家緊急事態宣言制度と9条改正を抱き合わせにする乱雑な「改憲私案」を振り回した経歴を持つ人物が首相として9条改正の政治過程を進めようとするなら、「護憲派」はまたこのような詭弁を振り回して対抗しようとするだろう。

法の支配が力の支配によって掘り崩されつつある現在の国際社会において、日本が文明社会の価値と自国の安全を保持するためには、いまや「ならず者超大国(a Rogue Superpower)」となりはてている米国の軍事的属国から脱却する主体的な安全保障体制の確立と、立憲民主主義体制の再確立という二つの要請が結合されなければならない。それにも拘らず、両者を統合する視点が、日本政治においては、右にも左にも、そして「中道改革連合」のごとき「中道」を標榜する勢力にも欠落している。

かつて立憲民主党が山尾志桜里議員を通じて提唱した「立憲的改憲」論には、この統合的視点を発展させる契機が見られたが、その後、立憲民主党はそれに背を向け、再び「護憲派贔屓びいき」を期待した政党に成り下がり、いまや高市解散の奇策に負け、公明と合体して中道新党を即製したものの、潰滅かいめつの危機に瀕している。

高市首相は憲法改正で無能をさらす

高市政権は安倍加憲案の愚を正すことも、アベノミクスの失敗を正すこともできずに無能をさらすか、的外れで危険な仕方で現状を変えようとして民意のしっぺ返しで失敗するか、どちらかに終わる可能性がある。

しかし、一層深刻な問題は、今の野党勢力は、自民党に代わって政権を担当する能力があると国民に信頼されてはおらず、自民党政権が党首の看板を変えるだけの「擬似政権交代」で「失われた三十年」の責任もとらず今後も延命し続け、日本は抜本的な自己改革ができないまま、国際社会の激流の中で方向を見失い、衰弱を続ける恐れが強いことである。それに代わる未来を切り開く責任は、政治家ではなく、国民にある。

卑劣な抜き打ち解散をしただけでなく、政策論争から逃げて、選挙を「さなえ人気投票」に変えた高市首相に日本の有権者は自民党大勝のご褒美を与えた。この有権者たちが、自分たちの選択に責任をもって高市政治の今後を批判的に監視すること、民主主義は「好きな政治家」を選ぶためではなく、日本を建て直すのに必要な仕組みを作るためにあることを学習するのが肝要である。

「政治のレベルが国民のレベルを超えないのが民主主義だ」と言われる。これは民主主義の限界であると同時に、その希望でもある。民主主義が「衆愚政治」に陥るリスクは当然ある。しかし衆愚政治を嗤う自称エリートたちも含めて人間はみな愚者である。誤りを犯さない神や「哲人王」のごとき賢者など存在しない。民主主義の強みは失政・悪政を生まないことではなく、国民が自らの愚かな選択の失敗から学習して、自己批判し自己修正することを可能にする点にある。

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