破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:家族は他人が集まっている」

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夫婦喧嘩 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:家族は他人が集まっている」

今日の破・常識!

すべての家族の関係も同じです。

夫も妻も、子どもも、親も、親せきも・・みんな他人なのです。

あなたではありません。

そこを忘れてしまって、家族という言葉によって

あなたと同化させて考えてしまうから

問題が起きてくるのです。byアシュタール

今日のアシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。


「家族は他人が集まっている」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

個人であることを忘れてしまうからです。

家族は他人です・・というと、また他人とはどういうこと?

なんて冷たい言いかたをするの?・・

という怒りのエネルギーが飛んできますが・・

でも、他人なのです。

自分ではない人・・他人です。

そのことを忘れてしまうから、いろんな問題が起きてくるのです。

そして、立ち場ですね。

立場・・どちらが上だの、下だの・・という考え方です。


たとえば、嫁姑という立場です。

嫁・・としてみるから、姑・・としてみるから

色眼鏡?で見てしまうことになるのです。

色眼鏡・・世間の常識?概念?です。

嫁と姑は上手くいかない・・という刷り込みがあるのです。

テレビや映画などで、知らないうちにもともと嫁と姑は

関係が悪いものと刷り込まれてしまっているのです。

(特に、嫁は家に嫁いできた・・という考えが強く刷り込まれています)

だから、最初からそういう思考でお互い接しますので

どうやって良い関係を作り上げればいいか

分からなくなってしまっているのです。

そして、マニュアルのような言葉のやり取りになります。

言っている意味が伝わっていますでしょうか?


ある意味、仲良く出来ないように思考操作されているのです。

そこには、他人という感覚が薄れてしまっています。

嫁だから、姑だから・・という視点でしか見れなくなってしまうのです。

嫁?姑?などという立場はまったく関係ありません。

ひとりの個性と、ひとりの個性・・それだけです。

ムリに関係を持とうとする必要はないのです。

息子は息子です・・

そして、息子のパートナーは息子のパートナーなのです。

息子のパートナーである人を

自分のテリトリーの中にムリに入れようと

してしまうからおかしくなるのです。

息子のパートナーも、ムリにそのテリトリーに入らなければいけない

とムリをするからおかしくなるのです。

他人です・・それを忘れてしまって

お互いのテリトリーに入れなければ、

入らなければいけないと思ってしまうから疲れてしまうのです。

他人として、お互いが何の関係(息子の関係など)なく

この人が好き、友達になりたい・・と思えるならば良いのですが

息子を介してムリに付き合おうとするから

お互いコントロールのエネルギーが出て

ご機嫌さんな関係を築くことが出来ないのです。

息子がいなければ付き合わないな・・・

夫の親でなければ付き合わないな・・と思いながら

ムリに付き合おうとするからしんどくなるのです。

そう思うということは、合わないということです。

合わない人とムリに付き合おうとするから

問題が起きてくるのです。

息子は息子、娘は娘・・そのパートナーは親には関係ないのです。

そう考えた方が、スムーズないい関係を築くことが出来るのです。

他人なのです。


いま、あなた達の関係においてとても悩ましい

嫁と姑ということを例えにしましたが

すべての家族の関係も同じです。

夫も妻も、子どもも、親も、親せきも・・みんな他人なのです。

あなたではありません。

そこを忘れてしまって、家族という言葉によって

あなたと同化させて考えてしまうから問題が起きてくるのです。

他人にならば言わない言葉、しない態度を

家族にはしていませんか?

それは、家族は自分と同じだと考えてしまっているからです。

同化してしまっているから、何を言ってもいい

何をしてもいい、自分の思い通りにしたいと思ってしまうのです。

家族の気持ちを考えることが出来なくなってしまうのです。

そして、家族のことを低く評価してしまうのは

自分に対しての評価が低いからです。

夫のことを人に低く言っている人がいますが

それは謙遜ではありません。

夫は他人です・・その他人を自分が謙遜するのはおかしなことです。

そうですね。

でも、夫は自分と同じ・・と同化させてしまっているので、

自分と同じように謙遜と称して低く言ってしまうのです。

(もともと謙遜などいうこと自体が必要ないのです)

自分を低く評価することは、自分にとってとても失礼なことです。

ましてや、自分ではない他人を低く評価して人に言うなど

とても失礼なことです。

自分が好きで一緒にいたいと思っている人を

低く評価するというのは、とてもナンセンスですね。

そのパートナー(夫、妻など)を尊敬し、尊重し

感謝しているから一緒にいるのですよね?

ならば、そのように素直に他の人にも伝えてください。

わざわざ低く言う必要はありません。

悪口を言う必要はないのです。

謙遜など、まったくいりません。

そこには、自分のセルフイメージの低さも

関係しているということを理解してください。

子どもを謙遜して人に話をするときも同じです。

家族は他人が集まっているのです。

個人、個人がそれぞれにお互いを尊重し、尊敬し

その存在に感謝しながら一緒に暮らす・・

そうすれば、とても楽しい生活になります。

それを忘れてしまい、自分と同化させて考えてしまうから、

コントロールしたくなりいろいろな悩み

問題が起きてくるのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」


ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

世の中いろいろ話を聞いていると

夫婦、嫁と姑、兄弟との折り合い合が悪くて困っているという話は良く聞きます。

それぞれいろいろな理由がありますが

問題点の第一は相手を尊重してないということですね。

夫婦だからと居丈高に接する夫、それに耐えて大人しくしようとする嫁

余談ですが先日この「嫁さん」という言葉がSNSで差別用語だと話題になったらしい

ですが、そもそも「嫁さん」という言葉をそのようにしかとらえられないこと自体が

問題なのですが・・・。

時代の移り変わりでしょうかね。

私のころはごく普通の会話でしたが・・・。

そのほかにもマルちゃん正麺の漫画で帰って来た奥さんが食べ終わった皿を洗い

旦那が横で洗った皿を拭いている場面で奥さんがなんで皿洗いしないといけないの

というクレームが殺到したらしい。

私なんかは別に問題はないと思うんですが・・・。

と、女性が低く貶められているという論理でしょうか?

受け取る側の見方次第で評価が大きく変わることを示していますが、この時代

心の余裕がない時代なんですね。

そして、されることには敏感だけれどすることには鈍感ではないかという

気がしないでもないです。


話を戻しますが、相手を尊重する気持ちが互いにあれば多少のことは許せると

いう気持ちになるのではないかと思います。

それは夫であれば妻に対するいたわりやねぎらいの言葉として現れるのですが

そうではなく、妻を召使のようにしてしまうことに問題があるのです。

そこには尊敬という言葉は存在しません。

どちらかが上でどちらかが下という関係になります。

そんな苦しい関係を続けていたら長続きしないでしょう。

特に男性は妻を自分のものという感覚で見てしまうので極端な場合妻がほかの

男性と言葉を交わすことも許せないという気持ちとなって出てきます。

逆もしかりです。二人で街を歩いていて旦那が若くてきれいな女性に視線を

送っただけでプンプンされてしまうなどということは良くある話です。

そこに在るのは所有と独占という概念です。

人をものと同じように見てしまうからです。

人の心というものは所有することも独占することもできないものです。

互いに自由な存在なのでそれを認めてあげないといけません。

互いに他人だと認識できれば一緒に住む夫婦であっても互いの自由を尊重し

行動できる余裕が出来るのではないかと思います。


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