破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:おかしいことをおかしいと言う権利」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:おかしいことをおかしいと言う権利」

今日の破・常識!

おかしいことをおかしいという権利を手放さないでくださいね。


あなたには権利があるのです。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「おかしいことをおかしいと言う権利」by アシュタール

   「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。


何度もお伝えしていることですが


学校システムは没個性な人を育てるのが目的なのです。


支配される側の人間?には個性はいらないのです。


考える力もいらないのです。知識も必要ありません。


必要なのはただ従順に従うということだけなのです。


右を向きなさいと言われれば、なぜ右を向くのかと


考えることもせず、ただもういいよと言われるまで


右を向き続ける人を育てることが一番の目的だということです。

そして、人を信じることがないように分離するのです。


成績を競い合わせるのも分離させるためなのです。


どちらが上でどちらが優秀かということを常に意識させることで


子供たちはお互いを信頼しなくなります。


お互いを敵?ライバル?としてみるようになりますので


こころからつながり合うということがなくなります。


人を信頼しさせない、つながり合わないようにすれば


とても支配しやすくなります。


そして、その環境の中で上手に適応できた子供たちが


優秀な子どもとして賞賛され、その子たちが社会的な


勝者となり社会を動かす人になっていくのです。


社会を動かす立場になれば


自分が育ってきた環境を続けようとします。


ですから、教育の場は変わらないのです。


変わらないように操作されているのです。

教育はとても重要です。そうですね。


何も知らない(まだ知識のない)子どもたちは


最初に教えられたことが正しいと思ってしまいます。


自分より偉いと思った人の言葉を素直に信じてしまうのです。


それが思考の操作に使われているということです。


従順ではなく反抗的な子どもは支配者にとっては都合が悪い


必要のない人間とみなされるので早くから排除しようとします。


それが最近出てきた病名なのです。


アスペルガー、自閉症、発達障害、統合失調症などという


名前を付け病気にしてしまうのです。


病気にして薬を飲ませ考える力を奪い、社会的な脱落者


という汚名を着せるのです。そのような病気はありません。


ただ支配者にとって都合が悪いので病気にしてしまおう


と しているだけなのです。


支配者にとって面倒なこと(支配者にたてついたり


他の人に真実を知らせ支配者から逃げようと誘導するようなこと)


にならないように小さなうちにその芽を摘んでおこうとするのです。


そのための学校システムなのです。


従順に従う支配者にとって優秀な子どもを


育てるためのシステムなのです。


学校で教えられている知識も真実ではありません。


支配者にとって都合よく捻じ曲げられた知識なのです。


だから学校では波動エネルギーのことは教えません。


思考が現実化するなどは絶対に教えません。


その真実を知られてしまうと支配できなくなりますので


絶対に教えないのです。


そのようなことに関心を持ったり、言ったりする子は


病気にされたり、おかしな子というレッテルを張り


嘲笑の的にするのです。


そうなれば他の子どもたちは怖くなって波動エネルギーや


思考が現実化するなど考えもしなくなります。


そのような情報に近寄ろうとも思わなくなります。


そうやって真実から大きく離れたことばかりを教えこみ


思考を操作し、支配者にとって都合のいい思考停止の


従順な人を育てていくのです。


学校システムは思考操作の場だということです。


子どものうちから思考を操作しておけば余程のことがない限り


生涯ずっと操作され続けることになるのです。

いまがその余程のときだとお伝えしたいと思います。


急激に彼らが動いているこの時期だからこそ


止まっていた思考が動きだすのです。


あまりにおかしすぎると思うことが出来れば思考が動きだします。


あなたからどんどん発信していってください。


別にデモなどをして彼らに挑んでくださいと


言っているのではないことは理解してくださいね。


ただおかしいことをおかしいと言ってください。


そして、おかしいと思うことに従いたくありませんと


しっかりと表明してください。


あなたがそうすれば他の人もおかしいと思えるようになります。


ムリに人に言おうとする必要はありません。

 
(もちろん聞かれたら話はしてください)


あなた一人が自分はイヤです‥というだけで


エネルギー場では大きく影響するのです。


あなたの思考がエネルギー場でたくさんの人に伝わり


その思考に共振する人が出てきます。


そうやって少しずつでも共有の思考が変わっていけば


社会もおのずと変わっていきます。


おかしいことをおかしいという権利を手放さないでくださいね。


あなたには権利があるのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

おかしいことをおかしいという権利は誰にでもあるのですが、最近は少しでもおかしいことを
言えば、逆にお前がおかしいと言われるような有様です。

世の中の常識はこれだ!
だから、それに反するお前がおかしいという論理でしょう。

何となくほとんどの人がそういう風潮にはまっているのを感じます。
常識や一般的概念を疑うことはしないというその思考です。

やはり学校教育がそうさせるのでしょう。

でも、私が学生の頃は今ほどひどくありませんでした。
その昔は飛び級というのがあって優秀な生徒はどんどん学年を上げて卒業というのが
認められていたと私の親父がよく言ってました。

以前にも書きましたが高校で私たちは何故学生部を被り制服を着なければいかねいのか
ということがクラスの中で問題となりました。
しかも、そのような疑問を持たせてくれたのが先生です。
おかしいことはどんどん議論して話し合いなさいと言う指導方法でしたが、今なら
即辞職扱いでしょう。

そのため、その議論は学年を超えて全生徒の学年集会で議論を行いました。
学生帽と制服に異議のある人は前に出て意見を述べ、それに対してさらに議論を重ねる
というやりかたでした。

全くもってこんな学校はおそらくないでしょう。
生徒の自由な発言を容認し、その意見を闘わせるのですから・・・。
当時の先生方は偉かったと今でも思います。

結局結論は出ず、校則も改正されませんでしたが、その場で自由に意見を出し話し合う
ことが出来た意義は大変大きいものでした。

社会に出て会社に入るとおかしいことはおかしいということは抑制されます。
なぜなら、その発言がもとで上司の怒りを買い左遷されたり降格の憂き目に遭ったり
することが出て来るからです。

私たちはどうも集団帰属性があり、今所属している集団を離れることはとてつもない
障害に思えて来て、言いたいことを自由に言えないようです。

しかし、会社も離れてみればただの会社であり、当時の同僚も本当に親しい人を
除けばもはや他人のようなもので、どこに集団帰属性の意義を見出していたのかと
思うくらいになります。

要するに私たちは安住とした場所を離れるのに怖れを抱くのです。
そのなかにいさえすれば安全で生活も守られるという考えです。

個のブログなんかは毎日これはおかしいと感じる記事を集めては紹介しコメントを
書き足してますが、支配者から見れば完全に反体制的なブログなので目をつけられて
いることだろうと思います。

しかし、ここは日本です。香港や台湾と比べればまだましな方でしょう。
だからと言っては何ですが、言いたいことは言うようにしましょう。
ただし、相手の立場とTPOを守ってです。




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