世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:その言葉の意味するものまで考えて・・・」

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安倍元総理 政治・経済

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:その言葉の意味するものまで考えて・・・」

ミナミAアシュタールRadio303

「ルール、ルール、ルール、ルール・・・」

vol.627 「ルール、ルール、ルール、ルール・・・」
vol.628「くさりは存在しない」」

「国葬」?「国葬儀」?

ちょっと笑っちゃった^^;
 
この葬儀の主役の方も昔・・
 
募ったが募集はしてない・・
 
っておっしゃったことがあったねぇ~
 
 
だから、国葬じゃなくて国葬儀なんだ^^
 
 
ホント、政府の方々は言葉遊びが好きよね!
 
それ、もう、かなりムリがあるけどね・・
 
みんなもう呆れてるよ!
 
 
という事で、アシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「その言葉の意味するものまで考えて」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
民主主義という言葉も同じです。
 
民主主義という言葉を聞けば、民主、庶民、国民が
 
主体だというイメージを受けます。
 
 
でも実は民主は主体ではありません。
 
民主主義というのは多数決なのです。
 
多数決は公平ではありません。
 
少数派は多数派に従いなさいという事です。
 
そうですね。
 
 
そして、数はいくらでも操作することができます。
 
権力者が数字を操作すれば、いくらでも権力者に都合の良い
 
政策を通すことができるのです。
 
 
数を多く持てば権力を持つことができます。
 
ですから、権力者は数を集めることに一生懸命になります。
 
人々のことなど関係ないのです。
 
 
数を得るために数を多く持った人に支援を頼みます。
 
分かりますね。
 
いま、日本で起きている問題もそうです。
 
宗教団体の数に頼って選挙が行われているのです。
 
それは昔から同じです。
 
いま話題の団体だけではなく、もうすでに政党となっている
 
団体もあります。
 
その団体の力も借りて政策を通しているのです。
 
 
数を借りれば、その団体のいう事を聞かなければいけなく
 
なるのは自明の理です。
 
宗教団体の数だけではなく、経団連の数にも頼っていますので
 
どちらのいう事も聞かなければいけなくなっています。
 
だから、国民の声などまるで聞こえないのです。
 
 
国民一人ひとりの小さな声よりも、団体で動く数の方が
 
彼らにとっては大切なのです。
 
でも、借りたら返さなければいけない・・
 
借りた人は貸した人のいう事を聞かなくてはいけないのです。
 
 
これがどういう事かはお分かりだと思います。
 
それがいまの世界でなされている政治なのです。
 
 
民主主義という言葉は表向きはとても美しく聞こえますが
 
裏はそういうことです。
 
多数派に従いなさいという事です。
 
少数派は我慢しなさいという事です。
 
 
そして、小さな頃から学校でもこの方式に慣らされていきます。
 
学校でも多数決で決められます。
 
だから、人々は数が多い方が正解、正しいことだと思い込んで
 
しまい、多数派に所属しようとします。
 
多くの人の流れに乗った方が正しいことだし、安全だと思って
 
しまうのです。
 
少数派になる事をとても怖がるのです。
 
人と同じことをしていたら安心できるのです。
 
だから、自分の意見を言わなくなるのです。
 
声の大きい誰かの意見と同調していれば少数派として
 
辛い思いをしなくて済むと思うのです。
 
 
これが民主主義といわれるものなのです。
 
言い換えれば全体主義なのです。
 
大きな声で数を集めることができた人がリーダーとなって
 
人々をリードしていくのです。
 
それこそ少数の人が多数の人をリードしていくのですから、
 
独裁的な全体主義となっていくのです。
 
 
いまの社会は民主主義という名前の全体主義となっています。
 
もともと、最初から支配者は個人を大切にする民主主義など
 
というものを作ろうとはまったく思ってはいません。
 
ただ聞こえの良い、イメージの良い言葉を使って人々を
 
煙に巻くようにしただけです。
 
 
彼ら支配者は個人の自由など認めようとは思っていません。
 
どうやって人々を従わせ、搾取するかとしか思っていないのです。
 
 
多数決は公平なやり方ではありません。
 
個人を大切にするものではありません。
 
個人よりも社会や組織を大切にするものなのです。
 
 
それを分かってください。
 
選挙も同じですね。
 
選挙もいくらでも数の操作ができます。
 
選挙も公平な制度ではないのです。
 
 
選挙で公平に決めているという形、イメージを
 
持たせているだけです。
 
 
言葉のイメージだけでとらえずに感覚を研ぎ澄まして
 
その言葉が意味するものまで考えてください。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

今回のこの件についてはあまり触れないようにしていて、そのため、多くの情報を集めて
考えているわけではないので私にとっては国葬であろうがなかろうがどうでもいいことです。

なぜ、国葬に反対しているのかと言えば、まずは国葬を執り行うべき人物かどうかという
ことにおいて国民の賛意が少ないということです。

天皇や皇族の場合には国葬に近いことが行われても反対の意見は出ないだろう。
それと同列に扱えるかと言うことです。
しかし、今回岸田総理は内閣が定めれば国葬を行うことができると内閣府設置法第4条第3項
第33号を根拠として国葬儀として行うと決めている。

「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)」
従って、国葬儀と内閣が決定すれば行うことが出来ると解釈される。

国葬でなければ普通に葬儀を執り行うものだが、今回は国葬儀とする意図が別にありそうな
気がします。

それは国葬とすることで内外の政治家や権力者を招聘することができるからです。
なぜ、そこまでするのかと言う答えは岸田内閣としては今回の国葬儀を利用して世界の首脳や
有力者に伝えたいものがあるからなのではないかと思っています。

つまり、国葬儀とした目的は世界に何かをアピールするためであると私は考えています。

これまでの日本の政治は宏池会と清話会の争いでもあり、2000年以降で30年ぶりに宏池会
から首相が選ばれたのが今年です。そして宏池会から首相となった岸田氏は安倍氏の追い落と
しを策略したともいえるのです。それが叶った今、今後のことを考えると・・・。

そして、安倍氏が亡き後の区切りをつける意味と先日紹介した記事にあるように安倍氏暗殺
に岸田氏が関与しているならば国葬儀としても意味合いも出てくるものと思います。

いくら国葬反対と国民やマスコミが反対しても東京オリンピック反対と言っていることと
同じであり、国葬儀が撤回されることはあり得ません。

何度も言いますが、今回の事件は根が深いものがありむやみに話題にしない方がいいでしょう。
先日もビルの苦情のテントが問題になりましたが、ガセ情報を出したということで告訴される
可能性も出てきているので、この件はこのままにしておきましょう。
 
 

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