破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:丸い社会 VS 三角の社会?」

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善悪の基準 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:丸い社会 VS 三角の社会?」

今日の破・常識!

丸い社会=善、三角の社会=悪という

構図は手放してください。

対立する関係ではありません。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「丸い社会 VS 三角の社会?」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

対立の思考になってしまっているのです。

丸い社会 VS 三角の社会

それは違うのです。

そうではないのです。

丸い社会は善で、三角の社会は悪ではないのです。

あなた達はすぐに善悪、正しい

間違っている、良し悪し

で考えるようになってしまっているのです。

善悪、どちらかしかないと思ってしまうのです。

そうではないのです。

善悪で判断しないでください。

これは丸い社会の考え方ですか?

これは三角の考え方ですか?

という考えは手放してください。

これが丸い社会の考え方です・・

という考え方はありません。

そのような型にはまったモデルケースのような

考え方はないのです。

丸い社会というのは愛の割合の高い社会です。

愛の割合・・相手に対する尊敬と尊重

感謝の気持ちが多いということだけです。

難しいですか?

あなた達がずっと刷り込まれてきた宗教で言われる

善悪のような決まった考えはないのです。

正しい考え方をしているという人もいないのです。

これが正解の考えというものはないのです。

誰かに叱られるからこれをしない・・

ということではないのです。

自分がされたくないからしない・・

ということでもないのです。

誰かのためにしなければいけない・・

という考えもありません。

ただ、相手に対して介入しないのです。

相手がどんなに自分と違う考えをしていても

それはその人の考えなのだから

尊重しましょうと思えるのです。

ただ、自分とは考え方が違うから

そこはそっと離れておきましょうと思うだけなのです。

丸い社会 VS 三角の社会・・

という考えを手放してください。

そう考えること自体がもう三角の社会の考え方だ

ということなのです。

分かりますか?

三角の社会の考え方が悪いと

言っているのではありません。

それは理解してください。

でも、どちらが良い、どちらが悪い

という考え自体が丸い社会の

考えではないということはお話したいと思います。

丸い社会はどちらでもいいのです。

どんな考えでもいいのです。

ただ、あまりにいまのあなた達の社会の考え方が強いと

丸い社会は創造できないということはあります。

だからと言って悪いわけではありません。

対立では同じことになってしまいます。

対立ではないのです。

まるで違う社会なのです。

対立しようがないくらい違う価値観

考え方をしている社会なのです。

丸い社会の方向を向いている人が

精神的に崇高で善人で目覚めた人

ということはありません。

精神的に崇高で善人で目覚めた人

という価値観もそもそもピラミッド

社会で刷り込まれた競争の概念が根底にあるのです。

どちらの方が素晴らしい、どちらの方が良い人

どちらの方が目覚めている、どちらの方が波動が軽い

・・などという比較そのものが

愛の割合の少ない考え方になります。

ピラミッド社会で思いっきり競争、比較を

刷り込まれてしまったのでついついお茶目に

比較で考えてしまうのです。

丸い社会と三角の社会は比較できるものではないのです。

まるで違う土俵なのです。

丸い社会(愛の割合の多い社会)が合う人もいれば

そうではなく刺激的な弱肉強食の世界が

合う人もいるのです。

三角の社会を楽しいと思う人に、目覚めていない

わかっていない気が付いていない

早く気が付いて欲しいなどと思うのはナンセンスです。

そして、その考えは丸い社会の方が優れた社会で

優れた人だけが、それを創造できるのです・・

という上から目線の考え方なのです。

上から目線の考えでは、愛の割合の多い社会は

創造できないのです。

愛の割合の多い社会は干渉しない社会だからです。

善悪ではありません。

波動は軽い重いはありますが

それは良い悪い、善悪、ではないのです。

好きか嫌いか、合うか合わないかということだけです。

合う合わないは善悪ではないのは分かりますね。

甘いケーキが好きな人と激辛のラーメンが好き

・・というだけのことです。

ケーキが好きな人が、激辛のラーメンが好きな人は

波動が重いとか目覚めていないとかは言わないですね。

もしそんなことを言ったら

放っといてくださいと言われるだけです。

何度もしつこいですが・・

丸い社会=善、三角の社会=悪という

構図は手放してください。

対立する関係ではありません。

まるで違う土俵だということを

重ねてお話したいと思います。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

丸い社会は良い社会で素晴らしくて崇高な人々が集まり、争いもなければいざかいもない
平和な社会でいい社会です。
という思考自体が比較しているから出てくる考えです。

なかなか私たちはあれは良くてこれは悪いという比較二元論から抜け出せないようです。

そのため、丸い社会が善で、三角や四角い社会が悪という考えが出てくるのです。
どちらが善でどちらかが悪という比較二元論から離れない限り無理なようです。

そのためには自分は自分、他人は他人と割り切れる思考を持てるかどうかです。
そこから始まります。割り切れない限り必ず比較が始まるからです。
あの人はいい人でこの人は悪い人という考えです。

でも、それは結局は突き詰めていけば自分自身の好き嫌いだということです。
私は猫が好きだけど猫が嫌いな人は悪と言うのと同じです。
別に犬が好きだっていいじゃないですか!
それぞれが好きなものが違っていいはずなのです。

善悪の二元論に固まっている人は必ず多少の差はあれ心の隅っこで比較をしています。
それも無意識でしているのです。
だから、私はそんなことはないと言ってもこの世界では必ずそう考えています。
なぜなら、この世界はそのように作られているので、ある程度従わないと生きていけない
ようになっているからです。

それならば、後はそうした思考を捨てる割合がどのくらいあるかです。
それが愛の割合になります。

他人は他人の自由と割り切れればあまり他人の言うことが気にならなくなります。
そして、何かと他人の言動や行動に対して怒ることも減っていきます。

次第にそうなっていきます。

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