「曖昧な漢字住所」が招いた配送非効率、再配達「10%」に終止符は打てるか?
7桁コードが変える流通網
日本郵便は2025年5月26日、7桁の英数字で個人の住所を一意に識別する「デジタル住所」を導入した。これは、1968(昭和43)年の郵便番号制度導入以来、配送という社会インフラの根幹に手を入れる半世紀ぶりの構造改革である。
日本経済新聞の報道では
・誤配や入力ミスの防止
・漢字に不慣れな外国人の利便性向上
といった利用者視点の利点が強調されている。だが、本質はそこにはない。今回の導入は、住所という情報を言語から数理へと置き換える試みであり、配送経済の基盤をアルゴリズムで再設計する動きにほかならない。
なぜこの制度が今導入されるのか。誰にとって意味があり、どのような市場構造を再定義しようとしているのか。その背景と狙いを分析する。
日本特有の配送コスト
日本の住所体系は、世界的にも特異な構造をもつ。
・地番と住居表示
・町名と丁目
・漢字の揺れ
が複雑に絡み合う。この結果、同一住所が複数の表記を持ち、変換ミスによる誤配や、建物の位置の曖昧さといった問題が常態化している。
この非構造化された住所体系は、AIや自動化による最適ルート設計の障壁となってきた。高精度な地図データや全地球測位システム(GPS)を用いても、最終的な判断は配達員の経験と勘に依存する。そのため、配送効率の改善には限界があった。
EC市場の急拡大により、物流量は爆発的に増加した。一方で、2024年時点の再配達率は依然10%を超えている。こうした負荷が、供給の限界を迎えた労働力のなかで飽和を引き起こしている。日本郵便が7桁の英数字コードによる住所識別へと舵を切った背景には、住所表記の曖昧さや文化的意味合いを、配送にとっての雑音と捉えた判断がある。
コード化されれば、地番や建物名といった情報は、もはやソフトウェア上で意味を持つ必要はない。唯一の記号「ABC-1234」さえあれば、物流システムは対象を正確に特定できる。ここでの住所は、人が読む情報ではなく、機械が処理する識別子に過ぎない。新しいサービス「デジタル住所」は、約1500万人(4月末時点)の登録ユーザーを有するオンラインサービス「ゆうID」の会員から申し込みを受け付ける。
この転換は、日本郵便の業務効率化という内向きの理由だけでは終わらない。API(異なるソフトウェア同士が連携するための共通のルール)を無償で開放することで、他社の物流網やECサービスとの連携も可能になる。つまり、ゆうパックを超えて、日本全体の配送インフラを再設計するための布石にほかならない。
人手不足の次段階
日本郵便の従業員数は、2019年比で13%減少している。今後も高齢化と若年層の労働力不足が続く以上、現場人員の大幅な回復は見込みにくい。
この状況で求められるのは、人が行っていた判断プロセスそのものを機械化することである。例えば以下のような場面が該当する。
・同一住所内での世帯識別
・番地や建物名の誤記補完
・ルート設計時の優先順位判断
・再配達における在宅可能性の予測
これらの判断を、7桁コードによって統一すれば、業務は標準化され、判断という負荷が根本から除去される。配送現場にとっては、
「減る人手でも回る仕組み」
への構造転換となる。コード化は、より本質的にはユーザー単位での位置情報タグ付けを可能にする。楽天やGMOが注目するのは、住所・個人・購買履歴を統合することで、マーケティングや顧客対応の精度を飛躍的に高められる点にある。
例えば、特定のコードを持つ個人が引っ越しても、そのIDにひもづく履歴情報は引き継がれる。企業側は、転居の事実を日本郵便のデータベースからAPI経由で取得できる。つまり、ユーザーが自社アプリを通さずとも、常に一意の識別IDを保持する構造になる。
従来の「メールアドレス + 電話番号」に比べて、安定性と精度の両面で優位性がある。しかも実世界の地理情報と結びついているため、顧客関係管理におけるプラットフォームレイヤーとなる可能性を秘めている。
民営インデックスの台頭
政府主導で進む不動産IDは、土地や建物といった不動産単位に17桁の番号を付与する制度である。対象は行政や事業者であり、住民個人とは直接結びつかない。
これに対し、日本郵便が導入する住所コードは、住む人とその移動に動的に対応する。対象が「土地」か「人」か。その差は決定的に大きい。前者は土地管理の合理化を目的とする。一方、後者は流通と消費者接点の構造を再定義しようとしている。
日本郵便が握ろうとしているのは、移動する人のネットワークである。この構想に楽天などが連携すれば、位置情報のインフラは国家のものではなく、民間主導へと再編される可能性がある。
従来、住所体系は公的秩序の根幹だった。固定資産税、住民票、登記など、制度の多くはこの枠組みに依存していた。ところが現在、物流と購買に最適化されたコードが、政府に先んじて社会に浸透しつつある。これは、民間が公的秩序の一部を代替しはじめていることを意味する。すなわち、住所インデックスの市場化である。
仮にこのコード体系が数千万単位に普及すれば、それは単なる住所表記の簡略化にとどまらない。以下のような広範な構造転換を促す可能性がある。
・配送ネットワークの自動化基盤
・住民移動データのビッグデータ化
・転居通知の民営化
・匿名配送システムの高度化
・地域マーケティングの座標管理
これらの根幹にあるのが、たった7桁のコードである。しかもこのコードは可変性を持ち、運用次第で地域情報や生活圏の構造にまで波及する。郵便番号が地名を数値に変えた制度だとすれば、住所コードは
「個人の位置履歴」
を番号に置き換える試みである。これは流通、行政、マーケティング、セキュリティ、そして移動サービス全般のルールを再設計する余地を持つ。
住所体系崩壊の新局面
この試みが失敗に終わる可能性はゼロではない。現時点では利用者による自主登録が前提であり、短期間での普及は見込みにくい。
しかし、一度このコード体系が社会常識として定着すれば、数十年にわたって維持されてきた日本の住所体系は、その意義を失うことになる。
物流が人の判断と経験によって成り立っていた時代は、静かに終わりを迎えつつある。7桁のコードが示すのは、場所という概念が、データベース上の一項目へと変質する。その入り口に立っている。
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