ミナミのライト らいとライフ「アシュタール:じょうもんの人たちの考え方」
本日はオンラインサロンじょうもんの麓
7月2本目の配信日となります。
世界のふ~みんのみなさま
ご視聴くださいませぇ~
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じょうもんの頃の人たちは
常に穏やかでニコニコしてて
ケンカすることもなく、
すべてを許していた、
ある意味聖人君子的な人たちかな?
っていうイメージがあるんですよね。
そんな社会、私たちにも創れるので
しょうか?
じょうもんの麓ってそういう社会を
目指しているなら、私には無理かな・・
って思ってしまうのですが。
・・的なご質問をいただきました^^
じょうもんの人たちって聖人君子
みたいな人たちだったの?
では、アシュタール、
よろしくお願いしま~す^^
「じょうもんの人たちの考え方」by アシュタール
「こんにちは
こうしてお話できることに感謝します。
何ごとにも動じることなく、
いつも穏やかでニコニコしていて
何が起きても怒ることもなく
すべてを許す・・
そんな事はありません。
じょうもんの人たちはとても感情が
豊かでした。
とても繊細な人たちです。
すべてを許していたから、
怒ることもなくニコニコ出来ていた
わけではありません
すべてを許す・・という言葉ですが、
許すという意味が違います。
許すのではなく、受け入れるのです。
受け入れる・・というと、また誤解を
生じるかもしれません。
受け入れるという言葉の中には
我慢するというニュアンスも入って
いますので、受け入れるというのも
的確な表現ではありませんね。
じょうもんの人たちは抵抗しなかった
と言えばいいでしょうか?
何か自分以外の人に抵抗しなかった・・
という意味ではなく、自分の現実に抵抗
することをしなかったのです。
自分の現実に起きたことは、
何か意味があって自分で創った
現実であると知っていました。
自分の世界は自分で創っていると
知っていたので、その現実だけをみて
その現実を何とかしようと思わなかった
のです。
じょうもんの人たちはジャッジを
しなかったのです。
いまのあなた達のような善悪の概念が
ありませんでしたので、自分の人生に
悪い事が起きた、という考えはなく
”すべて起きたこと”
・・だと思っていました。
病気をすることも、怪我することも、
死ぬことも、誰かとの別れも、
悪いこと、気に入らない現実だと
思わないのです。
ただ、自分の現実に起きたこととして
考えていました。
そこには、何か自分で必要だから起きた
という考えだったのです。
必要だから現実を創ったという感じ
でしょうか?
短い視点で、良い悪いで判断しなかった
と言えばご理解いただけますでしょうか?
だから、右往左往しなかったのです。
だから、常に冷静でいられたのです。
人と意見が違っても、人は人の意見が
あるのは当然だし、自分の意見があるのも
当然だから、お互い同じような意見の時は
一緒にやって、違うときは離れておきましょう
という考えもあったので、人間関係も
ケンカなどという衝突もなく穏やかな
風通しのいいものでした。
自分の現実は自分で創っている・・
たとえ、何かイヤな現実を創って
しまっても、それも自分で創ったものだと
思うことができれば、人のせいにすることも
ありませんので、冷静になることが
できます。
人のせいにしてしまうと、自分では何も
出来ないと思い、イライラしたりがっかり
したりしてしまいます。
自分の現実を自分で修正することが
出来なくなります。
自分で創った現実だという事が分かれば、
自分で好きなように修正することが
出来ます。
だから、常にニュートラルで冷静で
霊性に居られるのです。
それがじょうもんの人たちの考え方
でした。
じょうもんの人たちもあなた達と何も
変わりません。
ただ、考え方、現実に対する視点が
少し違うだけなのです。
だから、あなた達も現実に対しての
考え方をすこし変えれば、
じょうもんの人たちのような社会を
創造することが出来るのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
こうしてお話できることに感謝します。
何ごとにも動じることなく、
いつも穏やかでニコニコしていて
何が起きても怒ることもなく
すべてを許す・・
そんな事はありません。
じょうもんの人たちはとても感情が
豊かでした。
とても繊細な人たちです。
すべてを許していたから、
怒ることもなくニコニコ出来ていた
わけではありません
すべてを許す・・という言葉ですが、
許すという意味が違います。
許すのではなく、受け入れるのです。
受け入れる・・というと、また誤解を
生じるかもしれません。
受け入れるという言葉の中には
我慢するというニュアンスも入って
いますので、受け入れるというのも
的確な表現ではありませんね。
じょうもんの人たちは抵抗しなかった
と言えばいいでしょうか?
何か自分以外の人に抵抗しなかった・・
という意味ではなく、自分の現実に抵抗
することをしなかったのです。
自分の現実に起きたことは、
何か意味があって自分で創った
現実であると知っていました。
自分の世界は自分で創っていると
知っていたので、その現実だけをみて
その現実を何とかしようと思わなかった
のです。
じょうもんの人たちはジャッジを
しなかったのです。
いまのあなた達のような善悪の概念が
ありませんでしたので、自分の人生に
悪い事が起きた、という考えはなく
”すべて起きたこと”
・・だと思っていました。
病気をすることも、怪我することも、
死ぬことも、誰かとの別れも、
悪いこと、気に入らない現実だと
思わないのです。
ただ、自分の現実に起きたこととして
考えていました。
そこには、何か自分で必要だから起きた
という考えだったのです。
必要だから現実を創ったという感じ
でしょうか?
短い視点で、良い悪いで判断しなかった
と言えばご理解いただけますでしょうか?
だから、右往左往しなかったのです。
だから、常に冷静でいられたのです。
人と意見が違っても、人は人の意見が
あるのは当然だし、自分の意見があるのも
当然だから、お互い同じような意見の時は
一緒にやって、違うときは離れておきましょう
という考えもあったので、人間関係も
ケンカなどという衝突もなく穏やかな
風通しのいいものでした。
自分の現実は自分で創っている・・
たとえ、何かイヤな現実を創って
しまっても、それも自分で創ったものだと
思うことができれば、人のせいにすることも
ありませんので、冷静になることが
できます。
人のせいにしてしまうと、自分では何も
出来ないと思い、イライラしたりがっかり
したりしてしまいます。
自分の現実を自分で修正することが
出来なくなります。
自分で創った現実だという事が分かれば、
自分で好きなように修正することが
出来ます。
だから、常にニュートラルで冷静で
霊性に居られるのです。
それがじょうもんの人たちの考え方
でした。
じょうもんの人たちもあなた達と何も
変わりません。
ただ、考え方、現実に対する視点が
少し違うだけなのです。
だから、あなた達も現実に対しての
考え方をすこし変えれば、
じょうもんの人たちのような社会を
創造することが出来るのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール!感謝します。
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