ミナミのライト らいとライフ「アシュタール:自分の中から出てくるもの」
私はわたし・・・
すっごいステキな動画を見ました^^
樹木希林さんが出演している広告
らしいんですけど、
樹木さんがお話されると胸にジンって
響きますね。
「わたしは、私。」
ですよねぇ~、
アシュタールぅ~^0^
「自分の中から出てくるもの」by アシュタール
「こんにちは
こうしてお話できることに感謝します。
自分の姿を見ることはできません。
鏡に映る姿は、
あなたの本当の姿ではないのです。
そして、あなたは自分の姿を
見る必要はないのです。
鏡に自分の姿を映してみる
という行為は、人の目で
自分を見てみたいという事です。
自分が人にどう見られているのかを
知りたいと思う気持ちなのです。
その気持ちが良いとか悪いとか
言っているのではありません。
ただ、必要はないと
お伝えしたいと思います。
鏡を見ることで自分を客観的に
見ることはできるかも
しれません。
しかし、客観的に見るということは、
自分を良い悪いで
判断するもとにもなるのです。
人と比べることになります。
人が自分をどう思っているか
という心配も起きてきます。
いつも自分は他人から
どう見られているのかと
気になってしまいます。
私はいつも俯瞰してくださいと
言います。
これは客観的に見てくださいと
言っているのでは
ありません。
客観的というのは
人の目で見るという事です。
俯瞰するというのは
冷静になるという事です。
俯瞰は、冷静に自分の中を観て、
感情に巻き込まれない
という事なのです。
これは似ているようで
大きく違うのです。
客観的に自分を他人の目で
見るということは
自分を世間の基準でジャッジする
ということになります。
そうなると俯瞰と反対に
巻き込まれてしまうことも
出て来るのです。
誰かと比較して、
こんな私はダメだ、
あの人よりもいい
などと思って一喜一憂するのです。
それは感情に巻き込まれて
しまいます。
鏡がなければ、
自分の姿はわかりません。
人の姿は見えますが、
自分の姿は分からないのです。
だから、人と比べることも
なくなります。
人の目を気にすることも
なくなるのです。
それは姿形だけではなく、
考え方もそうなります。
人の目を気にして、
人にいい評価をもらうこと
ばかりを考えるのではなく、
自分がどうしたいかをまず考える
ことができるようになります。
外側の自分ではなく
(人の評価を気にするのではなく)
自分の中から出て来る思考に
素直になる事ができるのです。
外側から見る自分で自分を
評価するのではなく
自分の中から出て来る思考に
フォーカスすることが
できるからです。
あなた達の社会では、
人は自分の鏡という表現がありますが、
これは少し違うことになります。
人は自分の鏡という表現は、
周りの環境を見てみれば
自分がどういう思考をしているかが
分かりますという意味で
最初は使われていたのです。
良い悪いの評価ではなく、
いまの自分の環境は自分で
創っているのだから、
環境を見ればいま自分が
どのような思考をしているかが
分かります・・という意味です。
鏡を見て自分の行いを正しましょう・・
という事ではないのです。
そのような考え方になると、
鏡ばかりが気になって
どう映っているかばかりが
気になって、自分の中を
しっかりと観ることが
できなくなってしまいます。
鏡の中に見える自分は
真実の自分ではありません。
鏡によって見え方が
違ってくるからです。
鏡に映る自分の姿は
参考まででいいのです。
本当は鏡などいらないのです。
何もなければ、自分の中に
フォーカス出来ます。
人と比べて喜んだり落ち込んだり
することもなくなります。
人の作った基準で自分を
評価しなくてもよくなります。
鏡が無くなれば
自由になれるのです。
表面ではなく、自分の中、
自分の核で思考することが
出来るようになるからです。
鏡に映る自分を見て、
自分を好きだとか、
嫌いだとかジャッジしなくても
すむのです。
自分を中心にすることが
できるのです。
だから自由になれるのです。
外から自分を見てジャッジ
するのではなく
自分の中から出て来るものを
大切にしてください。
そして、自分の思考を
冷静に俯瞰していければ
感情などに巻き込まれることなく
自由に過ごすことが
出来るようになります。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
こうしてお話できることに感謝します。
自分の姿を見ることはできません。
鏡に映る姿は、
あなたの本当の姿ではないのです。
そして、あなたは自分の姿を
見る必要はないのです。
鏡に自分の姿を映してみる
という行為は、人の目で
自分を見てみたいという事です。
自分が人にどう見られているのかを
知りたいと思う気持ちなのです。
その気持ちが良いとか悪いとか
言っているのではありません。
ただ、必要はないと
お伝えしたいと思います。
鏡を見ることで自分を客観的に
見ることはできるかも
しれません。
しかし、客観的に見るということは、
自分を良い悪いで
判断するもとにもなるのです。
人と比べることになります。
人が自分をどう思っているか
という心配も起きてきます。
いつも自分は他人から
どう見られているのかと
気になってしまいます。
私はいつも俯瞰してくださいと
言います。
これは客観的に見てくださいと
言っているのでは
ありません。
客観的というのは
人の目で見るという事です。
俯瞰するというのは
冷静になるという事です。
俯瞰は、冷静に自分の中を観て、
感情に巻き込まれない
という事なのです。
これは似ているようで
大きく違うのです。
客観的に自分を他人の目で
見るということは
自分を世間の基準でジャッジする
ということになります。
そうなると俯瞰と反対に
巻き込まれてしまうことも
出て来るのです。
誰かと比較して、
こんな私はダメだ、
あの人よりもいい
などと思って一喜一憂するのです。
それは感情に巻き込まれて
しまいます。
鏡がなければ、
自分の姿はわかりません。
人の姿は見えますが、
自分の姿は分からないのです。
だから、人と比べることも
なくなります。
人の目を気にすることも
なくなるのです。
それは姿形だけではなく、
考え方もそうなります。
人の目を気にして、
人にいい評価をもらうこと
ばかりを考えるのではなく、
自分がどうしたいかをまず考える
ことができるようになります。
外側の自分ではなく
(人の評価を気にするのではなく)
自分の中から出て来る思考に
素直になる事ができるのです。
外側から見る自分で自分を
評価するのではなく
自分の中から出て来る思考に
フォーカスすることが
できるからです。
あなた達の社会では、
人は自分の鏡という表現がありますが、
これは少し違うことになります。
人は自分の鏡という表現は、
周りの環境を見てみれば
自分がどういう思考をしているかが
分かりますという意味で
最初は使われていたのです。
良い悪いの評価ではなく、
いまの自分の環境は自分で
創っているのだから、
環境を見ればいま自分が
どのような思考をしているかが
分かります・・という意味です。
鏡を見て自分の行いを正しましょう・・
という事ではないのです。
そのような考え方になると、
鏡ばかりが気になって
どう映っているかばかりが
気になって、自分の中を
しっかりと観ることが
できなくなってしまいます。
鏡の中に見える自分は
真実の自分ではありません。
鏡によって見え方が
違ってくるからです。
鏡に映る自分の姿は
参考まででいいのです。
本当は鏡などいらないのです。
何もなければ、自分の中に
フォーカス出来ます。
人と比べて喜んだり落ち込んだり
することもなくなります。
人の作った基準で自分を
評価しなくてもよくなります。
鏡が無くなれば
自由になれるのです。
表面ではなく、自分の中、
自分の核で思考することが
出来るようになるからです。
鏡に映る自分を見て、
自分を好きだとか、
嫌いだとかジャッジしなくても
すむのです。
自分を中心にすることが
できるのです。
だから自由になれるのです。
外から自分を見てジャッジ
するのではなく
自分の中から出て来るものを
大切にしてください。
そして、自分の思考を
冷静に俯瞰していければ
感情などに巻き込まれることなく
自由に過ごすことが
出来るようになります。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
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