破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:過酷な環境に対する感度や耐性」

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耐性 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:過酷な環境に対する感度や耐性」

今日の破・常識!

過酷な環境に対する感度や耐性は人によって違うのですか

・・というご質問ですが、

人によって違うということはありませんbyアシュタール

 

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

vol. 1217 過酷な環境に対する感度や耐性

「過酷な環境に対する感度や耐性」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

過酷な環境に対する感度や耐性は人によって違うのですか

・・というご質問ですが、

人によって違うということはありません

・・とお伝えしたいと思います。


違うのは、選択肢があるかどうかということです。

この道しかないと思っているのと

他にも道があると知っているのでは大きく違ってきます。

とてもつらいい道・・この道しかないと信じ切っていると

その道を歩くことに疑問を持つことはありません。

ただひたすらその道をあるき続けるしかないと思いますので

ある意味我慢できるのです。

ただどうやって我慢して歩こうかという思考にしかならないのです。

そして、我慢を我慢だとも思わなくなります。

ただそのつらい道を歩き続けるだけになってしまうのです。


でも、他にも道があることを知っていたらどうでしょうか?

こんなにつらい道を歩かなくても

楽しくて楽な道があるならそちらを選ぼうと思います。

そうなるとその道を歩くことに我慢が出来なくなるのです。

そうですね?


疑問を感じる人は、他にも道があることを

ウスウスでも感じている人です。

ただひたすらこの道しかないと思い込んでいる人は、

疑問さえも感じません。

疑問を感じると、他の道も見えてきます。

他の道が見えてくると、選択肢が出来るのです。

選択肢が出来ると、わざわざつらい道を歩む意味が分からない

・・ということになります。

そうなれば、つらい道を歩くことに我慢が出来なくなるのです。

つらい道を歩くことに我慢ができなくなった人は、

どんどん違う道を歩いてください。

あなたが楽しいと思える道を歩いてください。

あなたがつらい道から外れ

楽しい道をルンルンしながらあるいていると

つらい道しかないと思っていた人たちも

他にも道があるんじゃないかと気がつきます。

あなたの楽しそうな歩き方を見て、気がつきはじめるのです。

こっちにおいでと声をかける必要はありません。

ただ、あなたの行く道を楽しんでいてください。

そのことで、他にも道があることを示すことが出来るのです。

あなたを見て、他にも道があることに気がつく人が増えるのです。

道さえ見えれば、選択肢があるのさえわかれば

自分で選択することが出来ます。

どうして自分はこんなにつらい道を歩いているのだろうと

疑問を持つことが出来るのです。

疑問を持ち、他にも道があることがわかれば

必然的に我慢することが出来なくなって行きます。


ご質問の答えとしては、過酷な環境における

感度や耐性の(体質的な、個性としての?)違いではなく

ただ他の道があるということを知っているか、知らないか

という違いだけなのです。

知ってしまえば、いままで何も感じず我慢できた人でも

我慢できなくなって来るということです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

ありがとう、アシュタール! 

 

マイコメント

耐性というより「慣れ」というのもあるかもしれませんね。

同じようですが、「あきらめ」もそうです。

例えば、戦争の多い地域に生まれた人は生まれたときから戦争の地です。

アラブとかシリアなど今でも戦争が絶えない地域があります。

そこで生まれればある意味、戦争のさなかにいるという選択肢しかなくなります。

そこで、生じるのは戦争をしている状態に対する慣れが生じ、それを普段の変わる

ことのない日常になります。

そして、それが終わることがなく続くと、次第に「あきらめ」という状態になると

思います。

しかし、それは過酷な環境に対する「耐性」と呼べるものではないような気がします。

おそらく多くの人はそのことを指して耐性があると見えるのだろうと思います。

あるいは他人からの口撃にさらされて、すぐに弱気になりめそめそと泣いてしまう

人もいれば、逆に耐えて忍ぶ人もいます。

後者の場合、それを打たれ強いと評することもできるだろうと思います。

しかし、よく考えてみれば、アシュタールの語るように選択肢がないということが

その状況にいることを余儀なくさせているものと思います。

前述の戦争なら、そこで戦うことしか選択肢がありません。そのように親や周囲

から教育されているからです。でも、そこで戦わなくとも良いという選択肢が現れ

てくれば、迷う事なく戦争を止め、平和に至る道を選ぶでしょう。

それは自分たちの代わりに戦ってくれる人が現れたり、救出されて戦争に無い

地域に移動させられることがそれに充たるでしょう。

また、後述の口撃に対して耐えて忍ぶ人も、相手と対話することで打開策を拓く

ことが一つの方法だと思い至ればそのやり方を取るかもしれません。

どちらにしても自分が楽になる道を選ぶことだろうと思います。

なかなかこのような視点はアシュタールに言われないと気づかないものです。

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