破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:国=政治家・官僚という構図」

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破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:国=政治家・官僚という構図」

今日の破・常識!

国=政治家・官僚・・

という構図になっているので

もっとどんどんおかしくなっているのです。

国のため=政治家、官僚の利益のため

・・・になってしまっているのです。byアシュタール

 

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。


「国=政治家・官僚の利益という構図」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

感覚、感性、価値観が違うのです。

大きく違って来ているのです。

それだけです。

彼らは、国民のことを思っていません。

彼らの見ている方向は、国民の見ている方向と

まったく違ってしまっているのです。

彼らと国民の見ている方向がかけ離れてしまっているのです。


でも、どちらがいい、悪いではないことを理解してください。

彼らには、彼らの正義、正しい・・があるのです。

それは、国民とはまったく違いますが、

でも彼らは正しいと思っているのです。

だから、何を言ってもムダなのです。

何を国民が言っても、彼らには通じません。

平行線になるだけです。

彼らにとって、国民が発する言葉は間違った

何も分かっていない人たちの発言とみなして

まったく聞く耳を持とうとはしていません。

国民は国のために奉仕するのが当たり前・・・

国は国民から搾取するのが当たり前・・

という考え方なのです。

前時代的な(明治維新後の)考え方になっているのです。

(明治維新は一部の人たちの利益のために

起こされたクーデターです)

国民に権利があるのではなく、国に権利がある

・・と本気で考えています。

それが常識、それが道徳、それが正義・・なのです。

ただ、いまは国という定義がかなり変わっています。

同じように考えていた明治維新後は、

とりあえずはひとりの高貴な存在(天皇)を中心に

いろいろ動かしていましたが、

いまはそうではなく国=政治家、官僚・・

という構図になっているので

もっとどんどんおかしくなっているのです。

国のため=政治家、官僚の利益のため

・・・になってしまっているのです。

でも、それは彼らにとっては正義なのです。

国民が自分たちのために働く、奉仕する

提供するのは当たり前、当然・・という考え方が

しっかりと身についてしまったのです。

彼らにとっては常識、でも、国民から見たらものすごく非常識

・・・それがまかり通っている社会になっているということです。


では、どうしたらいいのでしょうか?

まるで考え方が違う人たちが話し合っても

平行線に終わるだけです。

ですから、彼らの考え方を変えようとか

何とかしようと思ってもムリなのです。

対立すると負けます・・

なぜならば、対立すると力の強い方が勝つからです。

対立ではなく、離れるしかないのです。

離れる・・それは彼らに協力しないということです。

協力しない、参加しない、無関心でいる・・それしかありません。

オリンピックも、ボランティアも

あなた達国民が参加しなければいいのです。

そうすれば、搾取も出来なくなります。

何もできなくなります。

いま彼らが目指している戦争も出来なくなります。

国民が主体なのです。

国民が自分たちの方向を決めるのです。

あなた達国民がそっぽを向いてしまえば、

どんなに権力を振りかざしても何も出来ないのです。

あなた達庶民と呼ばれる国民が、脅しを怖がったり

圧力に屈しなければ、彼らは何も出来ません。

どんなに大きな声を出されても、どんなに脅かされても

あなた達が動かなければ何も出来ないのです。

それを忘れないでください。

国家というものは、国民が築いているのです。

国家があっての国民ではなく、国民あっての国家なのです。

あなた達国民は、しっかりと自分たちの思いを表明してください。

デモをするとかではなく、ひとり一人がいまの政府には参加しません

OKしませんと決めればいいのです。

そうすれば、彼らにエネルギーが流れなくなりますので

何もできなくなり、表だって国民が何もしなくても

彼らはあなたの現実からいなくなります。

対立のエネルギーを出すことなく

ただ参加しない、OKしない・・それだけで大丈夫です。

誰もボランティアに行かなければ、成り立たないのです。

誰も戦争に行かなければ、戦争は出来ないのです。

誰も選挙に行かなければ、選挙は成り立ちません。

あなた達国民一人一人が権利を持っているということを

忘れないでください。

そうすれば彼らと違う波動領域となり

そっと離れることが出来ます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

バブル成長期までの日本の政治家や官僚は国が発展し庶民が幸せになるためには

どうすればいいかという観点で様々な政策が実行されてきました。

しかし、それが大きく変化していったのはリーマンショック後のバブル崩壊が

始まった平成という時代に入ってからですね。

日本がデフレ社会に突入し次第に不況色が濃くなるにつれて支配的になっていった

考え方は成果主義です。成果を上げることがすべてであり、その間の過程でいくら

良い行動を取ったとしてもそれが実績に結びつかなければ評価されないという考え

方です。給与体系も次第に実績評価主義になって行き年功序列制度も崩壊して行き

家族経営的なやり方は排除され大企業が莫大な利益を上げ日本中を席巻する時代に

なりました。

その時からでしょうね。政治家も官僚も自分の保身や昇進を第一に考え始めたのは。

それ自体悪いことではありませんが、その保身と昇進を支えるのが国民を犠牲にする

という考え方です。同時にグローバリズムの考え方が欧米から日本に拡大するにつれ

日本がグローバリズムに勝ち残っていくためには政治家や官僚も欧米流の思考方式に

変化していったと思います。

グローバリズムを推し進めるためには大企業を優先させる国策が導入され、その

見返りとして大企業からの税金や献金などを介したバックマージンで政治家や

官僚が税金をかすめ取るようになりました。それが国民を奴隷としか見ないお金を

得るための手段としか見ないものに変容して行ったものと思います。

私もかっては半官半民で仕事をしていましたが、公務員ではないのですが組織が

国の一部にぶら下がっている関係で自分たちが上という考えが支配的であるのが

その半官半民の組織に入ってしばらくしてわかりました。

なぜなら、その組織の出す試験に合格点をもらえなければ民間会社は仕事を続ける

ことが難しいからです。だから彼らは私の上司に必死になってゴマすりしてました。

それがやはり上司などを含めた組織の増上慢を生み、次第に国民は私たちの支持下

にあるという考えを持つようになって行くのは自然の理でした。

その考え方がそのまま今の政治家や官僚に当てはまるものです。選挙の時には

国民のためという言葉を多用しますがそれは選挙で当選するための方便であって

内心は全く違います。

こうした政治家や官僚の国民は奴隷という考え方は一朝一夕で変わるものではなく

むしろ変えることはできません。甘い汁を吸い続けている人たちがそれらのすべて

放棄して国民のために働きますなんて言うはずがありません。

もはや今の政治家と官僚は変わり果ててしまいました。

どこにも国民のためという姿勢は見えません。

国民からは搾取あるのみです。今回のコロナウイルスで多くの費用がかかったのを

考慮し、さらなる税収アップを図るべきだという提言がなされていることからも

わかります。搾り取るだけ搾り取る気です。

こうなると、もう残る方法は彼らから離れることしかありません。

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