破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:天国も地獄も存在しない」

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天国 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:天国も地獄も存在しない」

今日の破・常識!

あなたが創りださなければ、天国も地獄も存在しないのです。

存在すると思っているあなたが

創り出してしまうだけです。

byアシュタール

 

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

vol. 1258 天国と地獄の概念

「天国も地獄も存在しない」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

身体を脱いだあと(死後)のために生きないでください。

天国も極楽も地獄も輪廻転生もありません。

そして、身体を脱いでもあなたはあなたであって

何も変わらないのです。


あなたは意識として存在します。

というより、もともと、意識があなたなのです。

身体は、あなたの意識が物質世界で遊ぶために

創りだした物質です。

物質世界の分離という概念はどんなものかを体験したくて

物質世界に物質である身体を持っているのです。

身体があなたなのではなく、あなたをあなただと認識している

意識があなたなのです。

だから身体を脱いでも、意識は変わりません。

車に乗っているドライバーと同じです。

車から降りても、ドライバーは何も変わりませんね。

それと同じです。

意識は何も変わらないのです。

そして、その意識は(人によって期間は変わりますが・・)

元の大きな意識に戻ります。

宇宙に存在するすべてのもの(意識エネルギー)は、

もともとはひとつなのです。

いまもひとつです。

そのひとつの意識が同時にたくさんの夢を見ているのです。

宇宙は、そのひとつの意識が創りだした夢なのです。

あなたもそのひとつの意識なのです。

ひとつの意識の中の夢のひとつなのです。

ですから、意識がどこかに行ったわけではありません。

身体を持つことで、ひとつの意識(絶対無限の存在)から離れて

どこかに行ったわけではないのです。

身体も物質ですが、もとはエネルギーで出来ています。

エネルギーがホログラムとして見えているということです。

絶対無限の存在の夢の中で

ホログラムとして存在していると言えばいいでしょうか?


意識には時間も空間もありません。

場所という概念もないのです。

ですから、天国や地獄などという場所も存在しません。

そして、身体を持っている時の行動

思考によってそこに行く・・などということも

まったくありません。

ましてや、誰かの裁き、判断でどこかに行かされる

・・などということないのです。

身体を脱いだあと(死後)、天国や極楽浄土に行くために

いまを我慢するなどというのはナンセンスなのです。

あなたは”いま”を体験するためにいるのです。

その次の世界のためにいるのではありません。

そして、これはちょっと難しい話になるかもしれませんが・・

あなたが天国や極楽浄土、地獄などの概念を信じ切ってしまえば

そこを体験することもありえるということです。

さっきの話と矛盾していると思いますか?


あなたは意識エネルギーです。

何でも創造することが出来る意識エネルギーなのです。

意識エネルギーは、ホログラムを創り

そこで遊ぶことを楽しみます。

それは、絶対無限の存在

(もともとのひとつの意識)がしていることです。

絶対無限の存在の夢であるあなたも

絶対無限の存在と同じことが出来るのです。

・・ということは、あなたが天国や地獄などを本気で信じていると

あなた自身がそれを創りだしてしまうということです。

あなたの意識エネルギーが、それをホログラムとして創りだして

その中で体験し遊んでしまうのです。

それを体験し、遊びたいと思うならば

それはそれで面白く貴重な体験だと思います。

でも、天国は良い(行きたい)けど

地獄はイヤ(行きたくない)と思うかもしれませんが

どちらかだけを創造することは出来ないのです。

どうして?


それは比較だからです。

どちらかがないと、どちらも成立しないホログラムだからです。

地獄という概念があるから、天国という概念も成立するのです。

だから、天国と地獄という概念を持っていれば、

あなたは両方のホログラムを創造し

両方を体験することになります。

それは、どちらもあなたが創りだすのだ

ということを忘れないでくださいね。

あなたが創りださなければ、天国も地獄も存在しないのです。

ちょっと難しい話になりましたが・・

だから、天国も地獄も存在しないのです。

存在すると思っているあなたが創り出してしまうだけです。

自分で創りだしてしまうかもしれない世界(ホログラム)を怖がって

いまの楽しみを手放してしまうのはもったいないと思います。

あなたの意識が体験しているのは(フォーカスしているのは)

”いま”だけです。

”いま”を楽しむことで、次も楽しいホログラムを

創造することが出来るのです。

あなたはどんな世界(ホログラム)でも

創造することが出来るのです。

あなたはどんな世界で遊びたいですか?

”いま””このとき”ですよ。

”いま””このとき”を目いっぱい楽しんでくださいね。

”いま””このとき”を体験できるのは

”いま””このとき”だけなのですから。

いろいろお話をしましたが、

今日お伝えしたかったのは・・・

身体を脱いでも、あなたの意識は何も変わりません。

・・ということです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント


今回のメッセージの中で語られていることに気づいたでしょうか?

私たちが普通に話している「天国と地獄」は本来この宇宙というか元の世界には

存在しないものです。

私はそう信じています。

しかし、この地球で生まれ多くの体験をする中で人は様々なものを経験し

中にはそれを信じる対象とする人もいます。

いわゆる信仰ですね。

何々教とか言われるものに入信し、入信しなくとも信じることで信仰を

生涯、あるいは一時的に信じることがあります。

そこでは多くの場合、天国や地獄あるいはそれに近いものが信仰を強く

するために方便として語られています。

仮にキリスト教であれば天国にはこの世で神を信じ、その神の名に恥じない

生き方をした人が行くと言われています。

そして、その反対の生き方をした人は地獄へ行くと言われています。

人は長く信仰していると天国と地獄の実在を信じて疑わなくなります。

そのとき、どのようなところを天国や地獄とするかはその人のイメージ

次第ですが、そのイメージした天国や地獄は死後自分の意識の創り出した

ものとして存在するようになります。

それがアシュタールが語っている私たちには無限の存在と同じような

創造力があるというところです。

その創造力によって本来存在しない天国と地獄という世界を創り上げて

しまっています。

でも、それは本来の世界ではなく私たちの集合意識が創りあげたホログラム

としての世界です。

そのため、死後「天国と地獄」の存在を強く信じ疑うことのない人は

私たちの多くの意識が創りあげた「天国や地獄」に引き込まれます。

この話は以前にもこのブログで書きましたが、この世界を私たちに創らせて

いるのは他ならないレプティリアンなどの私たちを支配する存在です。

彼らは私たちを永久にこの世界に閉じ込めておくために私たちの意識を

利用して自らそのような世界を創らせ、そこへ行くように仕向けています。

そのことに気づかなければならないのです。

本来、この宇宙には天国も地獄も存在せず、無限の意識の世界があるだけです。

そこには意識だけが存在するので時間も空間もありません。

レプティリアンは意識の力を知っているので、宗教を利用して私たちの

創造力を用いて自らそのような世界を創らせているということです。

よく、死後体験で生前お世話になった人や親類、親、兄弟、友人などが

迎えに来たという話を聞きますが、あれは先に天国や地獄に行った人が

迎えに来ているだけですので、その手に引かれてつれて行かれないように

しないといけないものです。

そうしないと、そこに滞在することになります。

そこが天国や地獄であったり、再びこの地球に生まれるために修行を

したりする場所として伝えられることがありますが、偽の世界です。

そこは本来戻る場所ではないのです。

戻るべきは意識が元来た世界である創造の海というべき無限の存在の源です。

そこで、私たちはこれまで体験したことをすべての意識と共有することに

なるのです。

だから、今生きているときを来世のために生きるということはしてはならない

ということです。今世で悪いことをしないように生きていれば素晴らしい

世界に行けるからそのような生き方をするなどということは必要ないことです。

自分のハートを信じ自分のやりたいことや楽しみたいことをすることで十分

幸せな毎日を送れます。

また、将来の安心のために生きるという行為も無駄なことです。

将来は確定しておらず、今の自分自身の頭の中に願望として存在するだけで

あり、今後の条件次第で雲散霧消してしまうものです。

私たちには今この瞬間しかありません。

よく年を取ると今を健康に生きていても将来に対する不安を解消するために

老人ホームに入ることを夢見、その資金を貯めたりしますが、多くの人は

その途中で亡くなります。結局その間自分の好きな食べ物を食べることを

我慢し、行きたいところへも行かず、我慢を重ねますが、そのままで終わって

しまいます。亡くなったときに自分のやりたいことをやっておけばよかったと

思っても遅いということです。

それはほんの一例ですが、そうしたことが多いだろうと思います。

今を何をして生きるかそれがいちばん大事なことだということです。






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