破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:褒められることを求めないで」

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オーバーシュート懸念 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:褒められることを求めないで」

今日の破・常識!

褒められることを求めないでください。

人にあなたの価値を認めてもらおうとしないでください。

あなたは、そんなに小さな存在ではありません。byアシュタール

 

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「褒められることを求めないで」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

褒められようとしないでください。

褒められることにアイデンティティーを持たないでください。

それは、支配を受け入れることになります。

あなたの人生を誰かに預けてしまうことになります。

あなた達は学校で、褒められる人間になるように

教育されています。

先生のいうことを忠実に守る子供が良い子どもだとされ

みんなの前で賞賛を受けることで

褒めてもらえることが最高の喜びになってしまうのです。

自分で何かを考えたり、疑問を持ったりする前に

権力のある人に褒められるためには

どうしたらいいかというところに

フォーカスするようになってしまうのです。

ルールを決められると、そのルールに疑問を持つのではなく

どうしたらそのルールを守り、守ったことを褒めてもらえるか

という方向へ考えをめぐらすように

自然となってしまっているのです。

それが、学校教育の目的です。

ルールに従順に従い、何も疑問を持たず

ルールを守ることで褒めてもらえることが

最高の名誉だと思う人を育てることが目的なのです。

褒めてもらえることで、自分は良い人間だ

誇らしい人間だと認識することが出来るからです。

そしてだんだん、褒めてもらうとする承認要求が強くなっていくのです。

でも、褒めてもらえる自分・・というのが

アイデンティティーになってしまうと

今度はそれを守らない人を許せなくなります。

守っている自分は正義で、守らない人は

注意をしなければいけない人として認識するようになり

他の人を口うるさく批判するようになってしまうのです。


褒めてもらえる・・

それは誰かのお気に入りの行動をとることが出来た

・・ということなのです。

それは、その人に気にいられるためにとった

行動ということになります。

そこには、本人の意思はないのです。

分かりますか?


本人はとても素晴らしいこと、ステキなこと

正しいことをしていると思っているかもしれませんが

それは誰かが都合よく創ったルールに基づいた

価値観、思考だということです。

本来はルールなど必要ないのです。

お互いを尊重し、感謝の気持ちを持っていれば、

誰かが何かを決めなくても

スムーズに社会生活は成り立つのです。

決められたルールに従って上手に生きていますね・・

という賞賛を受ける必要はないのです。

あなたが気持ちよくすっきりとすることをしていれば

それでいいのです。

そこに、褒められたい・・という気持ちが出て来る時は

気をつけてください。

褒められたい、認められたい・・

という気持ちでルールを守ろうとすると

あなたの人生を狭く息苦しいものにしてしまいます。

そして、ルールを守ることで褒められたいという風潮が

大きくなってくると、さっきもお話ししたように

お互いに監視しあうような社会になってしまいます。

お互いにルールを守っているかを監視し合い

守っていない人を非難し、トゲトゲした社会になります。


あなたのまわりを見てみてください。

どんどんそのようになって来ていませんか?

どんどん細かいルールが決められ

それを守ることを強制され

そして、守った人を大げさに賞賛し、表彰状などを与える。

それはプロパガンダです。

褒めることで、褒められた人をみることで

自分もそうなろうと思う人が増えるからです。

与えられたルールを守ろうと思う人が増えるからです。

言っている意味が伝わっていますでしょうか?


とにかく、学校で教育されてしまった

褒められることが良いこと・・だという考えを手放してください。

人に褒められようとする必要はありません。

褒められなければ、価値がない・・そんなことはまったくありません。

人に自分の価値を決めてもらおうとしないでください。

それはセルフイメージが低くなっているからです。

人に褒められようとするのではなく

自分で自分を褒めてください。

自分で自分を褒めていると、セルフイメージが元に戻ってきます。

セルフイメージが元に戻ると

人に褒められようとは思わなくなります。

褒められることを求めないでください。

人にあなたの価値を認めてもらおうとしないでください。

あなたは、そんなに小さな存在ではありません。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

まさに今流行していると言われているコロナウイルス対策のすべてがそれに当てはまります。

マスクがもっとも顕著な例ですね。

先日、ホテルに宿泊し朝フロントで会計を済ませようと並んでいたら、前に並んでいた男の

人がいきなり後ろを向いて私に対して言ってきました。

「お互いソーシャルディスタンスを守りましょう」

「そこまででこれ以上近づかないでください」

怖い顔してましたよ!(笑)

まあ、そういうならばと少し間を開けましたけどでね。

私がマスクもせず友人と会話していたのが気に障ったみたいでした。

思わず、「こういう人が社会的ルールを厳格に守ろうとするんだろうね」と思いました。

マスクが効果もないし、弊害が多いチラシでも渡そうかと思いましたが止めました(笑)。

考えてみれば、何度の書いていますが日本人は本当に飼いならされてしまいました。

教育のせいとは言え、誰もかれもです。

最近になってスーパーでもマスクをしてない人をちらほら見かけるようにはなりましたが

大勢は変わらないですでね。


自分はルールをきちんと守っている偉い大人なんだということを主張しようとすることの

方が優先されていて、コロナウイルスそのもの危険性について考える視点がゼロと言う

のがほとんどで、その危険性がインフルエンザよりも低いことも知らないようです。

その社会的規範を決め守ることを求めているのは誰でしょうか?

それは他ならない政府です。

その政府の指示に従順に文句も言わず従うことが大人であり分別ある人だと思って

いるからであり、「私はちゃんと従いました偉いでしょう」と周囲からの称賛を

求めているのに等しいものです。

最近は子供までがマスク姿で歩いていますが、酸素吸入量が減り脳の機能障害を

来すことを知らないから大人がそう求めるのでしょう。

何しろ学校ほど規則規則にうるさい場所はありませんからね。

意味のない校則であっても廃止いしょうとしないところにその考えが現れています。

彼らにとっては形が重要であり中身はどうでもいいことなのです。

何とかならないものだろうかと思います。

少なくとこのブログを読まれている読者だけはアシュタールの語るように他人からの

称賛を当てにしないようにしてほしいものです。

その数がどんどん増えていけばやがて社会がぐるるんとひっくり返る日が来ます。





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