世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:生きづらい人たち」

スポンサーリンク
食べたいのを我慢する アセンション

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:生きづらい人たち」

どうしてこんなに生きづらいのよぉ~~

このブログをお読みいただいているほとんどの
方が生きづらさを感じていらっしゃると思います。
世の中なんでこんなに苦しいんだろう?
私はなんで他の人たちみたいにうまく出来ない
んだろう?
なんで?なんで?なんで?
苦しいよぉ~、早く帰りたいよぉ~(どこへ?)
って思って生きてこられた方多いと思います^^
私もそうです(苦笑)
小さなころからツラくてツラくて早く帰りたいと
ばかり思っていました^^;

どうしてこんなに生きづらいのよぉ~~
教えてアシュタールぅ~~^0^

「違うツールを持って来たと考えてみてください」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。
 
それは、いまのあなた達の社会に適合しやすい知識、
 
情報を持って来なかったからなのです。
 
ただそれだけのことです。
 
変わり者、落ちこぼれ、能力がない・・
 
そんなことは絶対にありません。
 
 
もう何度もお話をしていますのでご存じだと思いますが
 
すべての存在は絶対無限の存在なのです。
 
絶対無限の存在が小さな絶対無限の存在(分身?)を
 
自分で創造しいろんな体験をしているのです。
 
それがあなたであり、私であり、隣の人でもあるのです。
 
 
そして、次に自分がしたいと思う体験をするために
 
それに使える情報、知識を持って生まれてきます。
 
その知識と情報がいまのあなた達の社会と
 
そぐわなかったということです。
 
伝わっていますでしょうか?
 
 
たとえば、三角(搾取システムであるピラミッド社会)で
 
上手く生きていくという体験(スリル、スピード、サスペンス、
 
弱肉強食)をしてみたいと思う人はそれが出来る情報と知識を
 
持ってきます。
 
だから、その社会に上手になじみ適合し生きていくことが
 
出来るのです。
 
 
でも、三角ではなく丸い(提供しあう社会)を創造したいと思って
 
そういう社会(世界)の方が良いなと思って来た人は、そちらの
 
情報、知識の方を多く持ってきていますので三角の社会には
 
なかなか適合しにくくなってしまうのです。
 
 
そして、なぜだか自分自身が能力がない、ダメな落ちこぼれだと
 
思ってしまいセルフイメージを低くしてしまうのです。
 
そしてそのセルフイメージを持ち続けてしまううちに
 
コンプレックスをたくさん抱えてしまうようになります。
 
そしてそのコンプレックスゆえにまた生きづらいという悪循環に
 
はまってしまうことになります。
 
 
ただ持ってきた情報がその社会では使いにくいということ
 
だけなのです。
 
あなたの能力に何か問題があるわけではないのです。
 
反対に三角の情報をたくさん持ってきた人は丸い社会では
 
生きづらいと感じることになります。
 
 
ですから、いまのあなた達の社会にどうしてもなじめない、
 
生きづらくて仕方がない、他の人のように上手に適合できないと
 
思っている方は、持ってきた情報が違うのねって思って
 
いただければと思います。
 
 
たとえ、もし、誰かにバカにされたような言葉や態度を
 
されたとしても、自分が悪いとか能力がないとか思わずに
 
持ってきた情報が違うので・・って思ってください。
 
 
そしたら、私はこの社会の情報をあまり持って来なかったので
 
慣れていないのです・・って笑ってやり過ごすことが出来ます。
 
腹立たしく感じたり、劣等感を感じることがなくなります。
 
 
そうすればセルフイメージがもとに戻り自分のことが
 
好きになり大切にすることが出来るようになります。
 
自分のことが好きで大切にできるようになれば、
 
似た波動の人とつながれるのです。
 
似た波動の人とつながることが出来れば、あなたが持って来た
 
丸い社会の情報や知識を使うことが出来ます。
 
丸い社会を創造し、丸い社会を楽しむことが出来ます。
 
 
生きづらいのは持ってきた情報がいまの三角の社会では
 
使いづらいだけのことです。
 
持ってきた情報、知識がいまの社会の方向と違うだけの
 
ことなのです。
 
 
コンプレックスに感じる必要はみじんもありません。
 
あなたが持ってきた情報と知識を十分に使える社会
 
(あなたの世界)をあなたが創造してください。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 

ありがとう、アシュタール!感謝します。

マイコメント

私もかってはそうでした。

でも、アシュタールのメッセージを読むようになってからは変わりました。

ほとんど気にならなくなり、生きづらいと感じることもなくなりました。

それは「私は私、他人は他人」と割り切って考えられるようになったからです。

もし、それが出来なければいつまでもあの人と同じように生きられないの?と

思い悩むことになります。

それを割り切れるようになればこれほど身軽なことはありません。

他人が気にならなくなり、その違いも認めることが出来るからです。

ただ、そこに至るまでには多少の体験は必要です。

なぜ、この世界は生きづらいのという疑問が山積し解決の手立てが自分の心の中に

芽生えてこないからです。

だから、ある意味それも体験の過程を楽しむことのひとつなので気楽に考えて

見ることも一つの方法です。

深刻になると深刻さを増し、さらに疑問が募り抜け出せない迷路にはまった

ようになります。

全体を俯瞰で見て考えてみることが大事ですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました