世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:もう一歩先に自由があります」

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心 アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:もう一歩先に自由があります」

痩せなきゃ、働かなきゃ、稼がなきゃ、

あれしなきゃ、これしなきゃ、

~~しなきゃってみんな言うし思うし、

そうやって何かに追われている気になるし、

私もそうなっていますが、本当はそうじゃないんだと思います。

しなきゃしなきゃって言うけど、本当はしなきゃじゃなくて、

自分は「したい」んだってことですね。 

痩せたいんだ、働きたいんだ、稼ぎたいんだあれしたいんだ、

これしたいんだ。本当は自分がしたいんだってこと。

そう思うと自由に自分が選択しているだけなことに気づけて、

そう思うと、自由なんだって思います。

・・・って、超次元ライブのコメントに
いただきました。
コメントありがとうございました^^

このコメントを読んでいるときにアシュタールから
メッセージが来ましたのでお伝えしますね^^

「もう一歩先に自由があります」by アシュタール

 
「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。
 
もう一歩先を見てください。
 
 
”痩せなきゃ”を”痩せたいんだ”に
 
変えれば自分で決めたことになって自由に
 
考えたことになる、
 
自分でそれがしたいんだと思えるからしているんだ、
 
それは自分で自由に決めたこと、
 
というお考えなのだと思いますが、あと一歩先を
 
考えてみてください。
 
 
確かに痩せなきゃと思うより、自分は痩せたいから
 
痩せるために頑張るという方が自主性を感じます。
 
でも、そこには思考の自由がないのです。
 
 
言葉でご説明するのはとても難しいのですが、
 
自由と自主性は少しニュアンスが違うのです。
 
 
自主的に痩せようと思うところには、痩せなければ
 
いけないという思考があるのです。
 
痩せなければいけないから自分で考えて自主的に
 
痩せるように努力するということですね。
 
 
そこからもう一歩先を考えていただきたいのです。
 
もう一歩先・・それは、どうして痩せなければいけない
 
と思っているか・・ということです。
 
痩せなければいけない、だから自分から進んで痩せようと
 
頑張る・・自主的に考えて痩せようと思う・・
 
ということは誰かに痩せなければいけないと

思い
こまされているということです。
 
 
 
伝わっていますでしょうか?
 
では、なぜ痩せようと思うのでしょうか?
 
見た目が悪いから?
 
ステキな洋服が似合わなくなってしまうから?
 
病気になるから?
 
いろいろな常識的な考えから痩せようと思う
 
のではないでしょうか?
 
 
その常識は誰かに刷り込まれてしまったもの
 
だということです。
 
刷り込まれた常識をイヤイヤするのではなく
 
自分から進んでする・・というのは自由な考えでは
 
ないのです。
 
 
痩せなければいけない、という思考の操作の中での
 
自主性だということです。
 
それはマインドで自由だと思い込もうとしている
 
だけなのです。
 
 
自由でいれば、痩せなければいけないという発想
 
にはならないのです。
 
痩せなければいけないという発想自体がないのです。
 
なぜ痩せなければいけないの?・・という考えが
 
あと一歩先の考えだということです。
 
痩せることが良いことだという基準などなく
 
好きなものを好きなときに好きなだけ食べる・・
 
これが自由だということです。
 
太ろうが痩せようが関係ないのです。
 
ただやりたいからやる・・これが自由なのです。
 
 
働きたいから働く、稼ぎたいから稼ぐというのも
 
同じです。
 
どうして働きたいのでしょうか?
 
どうして稼ぎたいと思うのでしょうか?
 
とちょっと考えてみるようにしてください。
 
 
働きたくないけど、働くのが当たり前、常識、
 
みんなもしていることだから、
 
どうせ働くならイヤイヤ働くのではなく自主的に
 
前向きに働きましょう。
 
私は働きたくて働くのです・・とムリに思い込もうと
 
しているということなのです。
 
自由ならば働くという発想もないのです。
 
働くのではなく、やりたいことをやっているだけと
 
いうことになります。
 
 
あなた達の中にはたくさんの刷り込みが入っています。
 
その刷り込みの範囲内で考えていると自由な発想は
 
出来ないのです。
 
 
自主的にさせる・・それがあなた達を支配している人達の
 
手口なのです。
 
彼らにとって都合の良い思考を教育などで刷り込み、
 
常識(道徳観、宗教観、倫理観など)という枠をつくり
 
その中の思考しかできないようにしているのです。
 
そして、その思考をさも自分が選んで自主的に行って
 
いるかのように思わせるのです。
 
そうすれば彼らはあなた達に何も命令などしなくても
 
勝手に彼らの都合の良いように動いてくれるからです。
 
自分で自主的に自由に考えた(選んだ)と思わせることで、
 
彼らは自由にあなた達を操作しているのです。
 
彼らが提示したいくつかの選択肢の中から選ぶ自由で
 
しかないのです。
 
それが自由だと思い込まされているのです。
 
 
常識に疑問を持ってください。
 
痩せなければいけないと思ったときに、自主的に
 
自分で決めてやっているんだと思う前に、もう一歩先、
 
なぜ痩せなければいけないと思っているのでしょうか?と
 
自分に問いかけてみてください。
 
常識という枠の中で考えていないかを考えてみてください。
 
 
自主的にするのと、自由にするのとは違うのです。
 
自主的にしようと思うのは頭(マインド)です。
 
自由に・・だってやりたいんだもん、だってイヤなんだもん、
 
というあなたの中から突き上げるように出てくる思考や
 
感情があなたのハートの声なのです。
 
 
ハートの声が自由な声なのです。
 
ハートの声に素直に従うことが自由なのです。
 
 
自由になってください。
 
思考の刷り込みを認識し、もう一歩先を考えてみるように
 
してみてください。
 
もう一歩先に自由があります。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

自主的に考える=自由

ではないということですね。

自主的に考えているように見えて、それは世間の常識を刷り込まれた

上での自主性だということです。

痩せるということを例にして説明していましたが

なぜ痩せたいと考えるのかということです。

痩せたいという前提条件は何なのでしょうか?

太りすぎたと思うからなのか?、体型を気にしてのことなのか?

他人からの見た目を気にしてのことなのか?

ということですが、もし、この世の9割が太った人ばかりだったら

痩せていること自体が異常なことになり、痩せる必要はなくなります。

つまり、世間の常識を全く考えずに体重を減らしたいと思うならば

それは自主的な自分の自由な判断になるということです。

痩せることにおいて自由だということは無理して痩せる必要はない

という考えも含まれているので、痩せなくともいいということになります。


要するに本当の自由というのは外界の常識にとらわれない判断だと

いうことですね。

コメント

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