破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:悟りについて」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:悟りについて」

今日の破・常識!

無理してかくして穏やかにいるのは、

悟ってるということではありません。

それはただ鎧を身に着け、自分を隠しているだけのことです。

悟る前も、悟った後も何も変わらないのです。

ただ、素直に自分のすべてを

受け入れられただけのことです。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

vol. 1382 悟り・・について

「悟り・・・について」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

悟りとは、本来の自分に戻ることを言います。

何か別の自分になるのではなく、本来の自分になることです。

悟れば何か超人的なことが出来るようになるとか

特別な知識が入って来るとか・・そう言うことではないのです。


本来の自分にもどる・・というのは、

自分のすべてを受け入れるということです。

あなた達は、良い自分と悪い自分がいると思っています。

そして、悪い自分を排除し良い自分だけになろうとしているのです。

そして、外に向けて良い自分という自分を演じているのです。

それは、鎧をつけ、自分を覆い隠しているのと同じです。

悪い自分は居てはいけないと思い込んでしまっているのです。

悪い自分と同じところを持った人を見ると

無性に腹が立つこともあります。

その人が悪いのではなく、排除しようと思っている悪い自分と

同じところをその人の中に見ると

悪い自分を思い出し腹が立つのです。

悟ったと言われる人があまり腹を立てないというのは

その人の中に悪い自分がいないからです。

悪い自分がいないから、他人の中に悪い自分を投影させて

腹を立てることがないだけのことなのです。


元に戻りますが・・

良い自分もいないし、悪い自分もいないのです。

それは誰かに刷り込まれた概念です。

特に宗教的なところで刷り込まれた概念です。

○○しなければいけない、○○してはいけない

・・というたくさんの○○を刷り込まれてきました。

そして、それに従わなければ罰を受けると脅されてきたのです。

そして、自分の中にしてはいけないといわれている

○○を見つけると悪い自分がいると思ってしまうのです。

そして、ちゃんとその概念に従える自分を

良い自分だと思うのです。

人の前で怒ってはいけません

いつもニコニコ穏やかな人がいい人です・・

という教えから見れば、

いつもニコニコ穏やかでいられない自分は悪い自分なのです。

だから、他の人にその悪い自分を見せないように

心の中は嵐が吹き荒れていても

ニコニコ穏やかな良い自分を演じるのです。

そして、疲れ果てるのです・・・・・・・

悟りとは、良い自分もいないし

悪い自分もいないということがわかるということなのです。

ただ、自分がいる・・

それだけでいいということがわかることなのです。


さっきも言いましたが、悟った人があまり怒らないのは

悟って何か超人的な感覚を手に入れたからではなく

自分の悪いところを他人に投影することがないからなのです。

悪い自分などという区分がその人の中にはないからです。

無理してかくして穏やかにいるのは、

悟ってるということではありません。

それはただ鎧を身に着け、自分を隠しているだけのことです。

悟る前も、悟った後も何も変わらないのです。

ただ、素直に自分のすべてを受け入れられただけのことです。

宗教的に、常識的に、道徳的に、倫理的に・・

悪いとされていることも、そんな部分を持っている自分も

それでいいと思えるだけのことです。

そんな概念を超越し、どんな自分でも自分であると思い

自分を尊重し大切に出来る・それが悟りです。

良い悪いの判断をしているのはあなたです。

その判断を手放すことで、自分のすべてを受け入れ

尊重し大切にすることが出来るのです。

○○をしてはいけない・・を手放してください。

常識を手放してください。



あなたに愛をこめてお伝えいたします」

マイコメント

私たちはいつも心の中で葛藤を抱えています。

悪い自分になってはいけないと・・・。

そしていつもいい自分を演じようとするので無理が生じます。

アシュタールはいい自分も悪い自分もいないと語っていますが

その感覚はなかなかつかめないだろうと思います。

長年アシュタールのメッセージを聞いている私も少しはそのような部分は

減りましたが、それでも追い詰められたような状況になるといい自分を

演じようとする自分がそこにいます。

なかなかすべてを捨てきれないのですね。

でも、自分に素直にさえなれればそうした部分も減っていくように思います。

それは世間で一般的に言われているような悟りの境地ではないものです。

その悟りはほぼすべてが宗教から来ています。

仏教でいえば八正道を守る。

キリスト教で言えば神の教えに忠実である。

そこに善悪の基準があります。

仏陀もキリストもそんな教えは言わなかったと思います。

言ったのは本来の自分自身を思い出すということです。

それを後世の人たちがこうあるべしといろいろと決まりを作ったのが

今教義と呼ばれているものです。

それを守ることはこの世では大事なことなのかもしれませんが、実践して

いくとわかるのですが、逆に悩みが増え自分自身を責め続けています。

まだ信心が足りないと・・・。

それを波阿弥陀仏を唱えれば罪が昇華されると言ったり

神の御前で悩みを告白すれば許されるなどというわけのわからない

決まりを作って言い逃れを認めています。

変な宗教です。

一方ではこれをしてはいけないと厳しくして、他方では免罪符を与えて

いるんですからね。

免罪符があるなら最初からそんな決まりなんか要らないでしょう。

と思うのは私だけでしょうか?


話がそれましたが、悟りとは本来の自分を思い出すことだと思います。

それには自分に素直になることがいちばんです。



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