破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:善悪の概念はその程度のもの」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:善悪の概念はその程度のもの」

今日の破・常識!

支配者たちが作った善悪の概念はその程度のものです。

 
そのように不確かで、その時その時によってクルクルと

 
変わるものだということです。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。


「善悪の概念はその程度のもの」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

 
あなた達の社会における善悪の概念は、


すべて支配者たちの都合によって決められているということです。

 
この場合は良い、この場合はダメ・・それはすべて


彼らのそのときどきの都合でしかないということなのです。

 
戦争をしたい、だから殺人をOKとする、OKどころか


たくさんの人を殺めた人は英雄扱いにしてどんどん推奨するのです。

 
国のため、神のため、大切な人を守るためには必要なことです


と美しい言葉を並べてその気にさせるのです。

 
そして、そのようなことがないときは宗教観や倫理観などを

 
持ちだし人を殺めることはダメなことだとして罰するのです。

 
とても矛盾があるのですが、その矛盾を感じさせないように

 
言葉たくみにあなた達を都合よくミスリードするのです。

 
そして、戦争のときは人々も感覚が変わってしまいます。

 
人を殺めるように扇動されてしまうと、訳が分からなくなって

 
そのような世界が当たり前だと思ってしまうようになります。

 
平時のときのような思考と違う思考に変わってしまうのです。

 
そして、慣れます。

 
あなた達は慣れる能力を持っています。

 
どんなにひどい環境であっても、そこにいさせられると

 
その環境に慣れるのです。

 
その環境に違和感を感じなくなります。

 
それは戦争だけの話ではありません。

 
毎日の生活の中でも同じことが起きています。

 
たとえば、満員電車です。

 
満員電車に乗るということは、とても過酷な環境で

 
大きなストレスを受けますが、毎日その環境にいると


それが当たり前の感覚になるということです。

 
何も疑問を待つことなく、淡々とそこにいることが


出来るようになるのです。

 
みんながしていることだから・・それだけの言葉で


自分が我慢している、ひどい環境にいることさえ


わからなくなってしまうのです。

 
その上戦争のときにたくさん人を殺めることは


素晴らしい行為であると教えられているのと同じように


どんなことがあっても会社に行って

 
自分に与えられた仕事をする人が素晴らしい労働者である


と刷り込まれてしまっていると


たとえ事故が起きても自分の身を守ることや


周りの人を気遣う前に、どうやって早く会社に行くか


ということを優先するようになってしまうのです。

 
地震が起きて電車が動いていなくても


道が壊れていて危険であっても

 
歩いてでもとにかく会社に行こうとするのです。

 
自分の身を守ることを優先することさえ


考えられなくなるのです。

 
それは、支配者たちにとって搾取するのに


とても都合の良いことです。

 
だから、あなた達に善なる行為だと思わせているのです。

 
自分のことを守るという思考にさせないようにしているのです。

 
戦争で自分を守るよりも一人でも多くの敵を殺める方が


善なる行為なのです、天皇も神もあなたが守っている


大切な人も喜ぶのですと刷り込むのです。

 

そして、何度も言いますがその過酷な環境に慣れてしまった


あなた達は、それについておかしいと疑問を持つことさえも


なくなってしまいます。

 
疑問を持つことはいけないことだとさえ思ってしまい


疑問を持っておかしいと発言する人を


攻撃するようにさえなってしまうのです。

 
支配者たちが作った善悪の概念はその程度のものです。

 
そのように不確かで、その時その時によってクルクルと

 
変わるものだということです。

 
神(宗教)が教える善悪の概念とは、そのように支配者たちに

 
よって都合よく時々で変えられているということです。

 

善悪などありません。

 
すべて素晴らしいことなのです。

 
ただ、あなたがどのような体験をしたいか・・それだけなのです。

 
支配者たちが作った善悪の概念を手放してください。

 
あなたの頭であなた自身で判断してください。

 
あなたがどうしたいか・・・・それだけなのです。

 
過酷な環境に慣れないでください。

 
おかしいと思うことには従わないでください。

 
脅かされても、あなたが従わなければ彼らはあなたに

 
手も足も出せないのです。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

満員電車で思い出しましたが、当時高度成長期のときに東京のある職場に就職した

私は出社初日に初めて満員電車の洗礼を受けました。

下宿は山手線高田馬場駅でそこから乗り、降りるのは山手線の田町駅です。

当時の混雑ぶりは尋常ではなく本当に駅員がドアの側で乗客をこれでもかと

言うくらい押し込めるのが普通で車内はほとんど身動きが取れません。

初めての満員電車には面喰いましたが次第に慣れました(笑)。

その後はあまりにも混むので地下鉄通勤に切り替え少しは楽になりました。

しかし、地下鉄は駅と駅の間の乗り換え通路がやたら長くてほぼ山手線ひと駅

くらいはゆうにあるので次の改札駅を通過するために毎日走っていました。

まだ若かったのでそれくらいは苦でもなかったのですが今だったら無理でしょう。

混雑緩和のために電車の本数をJRは増やしたようですがそれでも追いつかない

混雑ぶりでした。特に郊外から都内へ向かう小田急線、田園都市線、横浜線などは

すべて本当に身動きが取れないくらいの混雑ぶりです。

そこに事故などが発生するともう地獄です。

ドアから降りるときなどは後ろの乗客に押されて倒れそうになります。

ましてや真ん中の方に押しやられると降りるに降りられないという状況です。

確かに人は慣れます。最初こそ苦痛ですがそれが当たり前と思うと苦痛に

ならなくなるから不思議なものです。

私たちのこうした慣れと言う習性が支配者からうまく利用されていると

いうことですね。

最後には何の疑問も持たなくなり、似たようなケースはほぼスルーしてしまう

ようになります。

それが社会を円滑に回していくコツだと言われながら・・・。

そんな常識がどれだけあることでしょうか?

時には一つ一つ吟味してみないと気付かないものさえあります。

これからの和の時代に向かうためにはそれをすべて取り払わないと

いけないものだと思います。




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