破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:期待するから固くなるのです」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:期待するから固くなるのです」

今日の破・常識!

誰かのために、社会のために、何かのためにという


考えは手放して、自分のためにと

考えるようにしてください。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「期待するから固くなるのです」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。


人のため、何かのために・・と考えないでください。


誰かのために、こうすると考えてしまうと


それに対してあなたが思っていた結果が出ないと


こころが折れてしまいます。がっかりしてしまいます。


エネルギーが枯渇してしまいます。


誰かのために、何か社会のために、などと考えてしまうと


こころが固くなってしまうのです。


固くなってしまうからぽっきりと折れてしまうのです。


もしあなたが子どもやパートナーのために


身体に良いと思う食品を使って


身体に良いと思う料理を作ったとします。


でも、その料理に対してあなたが思っていたような


反応が返ってこなかったときあなたはがっかりします。


一生懸命作ったのに、美味しいね、身体の事を思ってくれて


ありがとう、などの言葉が返ってこないことにがっかりし


もう作りたくないと思ってしまいます。

 


誰かのために、何かのためにと考えてしまうと


固くなってしまうのです。


こころが固くなってしまうのでぽっきりと折れて


やる気がなくなってしまうという事になるのです。


そうではなく、自分のためにしてください。


あなたが食べたいと思うならそれを作ってください。


それも自分の身体のためにという理由ではなく


シンプルに食べたいからというだけの理由で作ってください。


そういう理由であればこころは柔らかくなります。


もし何かあなたが望んでいる結果が出なくても


(シンプルに食べたいからという理由ならば


結果など関係ないのですが)


何もがっかりすることはないのです。

 


誰かを幸せにしたいと思う気持ちも同じです。


社会を何とかしたいと思う気持ちも同じなのです。


誰かを幸せにするために私はこういうことをしています


と思っていると、幸せだ言われないと(結果が出ないと)


落ち着かないのです。


ありがとうと言われないと、あなたのおかげですという


言葉や態度がないと、私はいったい何をしているのでしょう?


と不満に思ったりがっかりしたりします。


社会のために、社会を変えるためにと思う気持ちも同じです。


社会を変えるために私はこんなに頑張っているのに


他の人たちは何も考えていない。


どうして考えることが出来ないのでしょうか?


ちょっとは考えたらどうなのですか?


本当にイライラします・・という気持ちになるのです。


そして、どこに対して怒りを持って行っていいかわからず


ただ文句ばかりを言ってしまうことになります。


自分と違う考えの人にケンカを吹っ掛けてしまうことにも


なってしまいます。


そして、自分の主張が受け入れられないから


こころがぽっきりと折れてしまいました


もうこんな活動はやめます・・ということになってしまうのです。

 
 

すべて自分のためにしてください。


自分が美味しい料理を食べたいから


自分が幸せになりたいから一緒に楽しくいましょう、


自分がこんな社会がイヤだと思うからこういう行動を起こします


と自分を主体に考えることが出来れば


他の人に期待する事が無くなります。


期待するから固くなるのです。


期待するから、期待した結果が出ないと


こころがぽっきりと折れてしまうのです。


自分がしたいことをしているだけだと考えれば


誰にも期待しません。


期待しないから、自分の思う結果が出なくても


あきらめることもありませんし


誰かに対して文句も出ないのです。


自分がしたいからする・・という理由ならば、


あきらめることも無いのです。


自分が主体になれば、思ったようにいかないときは


あきらめるよりも、じゃあどうしたらいい?


と考えるようになります。


だから、あきらめるという事がなくなるのです。


これは執着ではありません。


ただやりたいからやり続けるという事です。

 
 

すべて自分を主体に考えてください。


自分がしたいから、自分がイヤだから・・


シンプルでいいのです。


誰かのために、社会のために、何かのためにという


考えは手放して、自分のためにと考えるようにしてください。


そうすれば、こころが折れたり


がっかりしたりする事はなくなります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

私たちは生まれてから何かにつけて「人のために何かをすることは良いこと」という

教育を受けているのでそうでない考え方には厳しいのです。

誰かのために何かをしている人はとても輝いて見え、それこそ人の在り方の極地だと

思うでしょう。

献身的な愛、博愛主義、崇高な行為などと呼ばれますが、本当はとても疲れることかも

しれません。

結局はどこかで行為を施した人からの感謝の気持ちを求めていて、それがなかったりすると

とてもがっかりしているのではないかと思います。

いくら良いことだと言われてもしてもしても感謝の言葉がないと心が折れるでしょう。

場合によっては怒りが・・・。

ということもあるので、世のため人のためと言われても無理してやらないほうが

いいでしょう。

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