破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:トロッコ問題について」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:トロッコ問題について」

今日の破・常識!

とてもナンセンスな問いであると私は思います。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「トロッコ問題について」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

何故いま起きてもいないことを

論議しなければいけないのでしょうか?・・

とお答えしたいと思います。

あなた達はよくこのような事を考えます。

それは起きていないことです。

でも、実際起きたらどうしますか?

あらかじめいろいろ考えておいた方が

良いのではないでしょうか?と思うかもしれませんが

それは何も考えたことにはならないのです。

実際起きてもいないし

それもこの設定にはかなりムリがあります。

どちらも動けない状態にいる・・という事ですが

そんなことは実際の現場ではありえません。

そうですね。

そして、一人だけに選択をさせることもありません。

そして、まずトロッコを止めるという選択もないのも

とても不自然です。

これは実際には起きないという事です。

このような状況は起きないという事です。

このような状況は実際には起きないという事を前提に

では万が一起きたらどうしますか?

という問いはとてもナンセンスですね。

他にも何かあった時、どっちを助けますか?

的な話はよく聞きますね。

その問いはとてもナンセンスです。

どちらの方が大切ですか?という選択をしなさい

と言う事ですが

それはその時の状況によって違うのです。

実際に起きたときに考えればいい事です。

それをまだ何も起きていない時に考えても

仕方がないのです。

そして、あなた達は0か100かの考えをしがちです。

こちらかあちら・・どっちかを選びなさい・・

と言う事ばかりを考えさせられているのです。

選択肢の中から選ばなければいけない

と思い込んでしまうのです。

提示された選択肢以外にも道はあるのです。

でも、選択肢の中しか道はないと思わされているので

一生懸命その中だけで選ぼうとしてしまうので

柔軟性が無くなってしまいます。

トロッコが暴走したらみんなに知らせればいいのです。

大声で知らせることでみんなでどうすればいいか

考えることが出来ます。

トロッコを止めるためにはどうすればいいかを

考えることもできます。

そうですね。

そういうのは(トロッコを止める)無しで考えることに

意味があるのです、

倫理を問うためにはどちらかを

選択しなければいけないのですという事なのでしょうか?

ムリな設定を作ってその中でどちらかを

選ばなければいけないという方が

倫理的におかしいのではないでしょうか?

倫理的に考えるための問いであるならば

どちらも助けるためにどうすればいいでしょうか?

と考える方がいいのではないでしょうか?

私はそう思います。

どちらの命を助けるか?という問いは

倫理的ではありません。

どうすればどちらも助けることが出来るか

という問いの方が倫理的だと思います。

もし、本当にそうなった時のために

このような事を考えておく必要があります

というならば、もっとどちらも助かる方法を

考えてください。

これは試しです。

人を試すための問いです。

試す事はとても失礼な事です。

試すという行為自体がもう倫理から離れています。

これは哲学でもありません。

道徳心がどうのこうのという事でもありません。

とにかく起きるはずのないような事を

問うても仕方がないのです。

どちらが正解かなどわかるはずがないのです。

どんなに考えても答えなど出ないのです。

そんな事を考えるのであれば

楽しい事を考えてください。

私と誰かとどっちが大切?

一人の命と複数の命のどちらが大切?

助けるとしたらどっち?

とてもナンセンスな問いです。

もし万が一、そのような状況が起きたら

その時考えてください。

どちらも助けることが出来るように考えてください。

臨機応変に考えれば必ず方法は見つかります。

これは、どちらかを選ばなければいけない

と思い込まそうとする問いです。

倫理を問うのでも、道徳を問うのでも

愛を問うのでもありません。

とてもナンセンスな問いであると私は思います。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

よくあるのが、何かに備えて行われる訓練と言うものです。

多いのが地震に遭った被災地での避難訓練ですが、見ていて内容はどこも大同小異のような
気がします。

地震が来たら真っ先に安全な場所に避難することですが、中には机の下に隠れるというのが
当たり前のようにやられていますが、それを見ていて本当に大丈夫なの?と疑問符がついて
しまいました。

もし、建物が倒壊したら机の中にうずくまって避難しても意味がありません。倒壊した建物の
下敷きになって命を失います。

もっと安全な場所に避難すべきでしょう。
もっとも発生した地震の震度が低い場合は天井からの落下物から身を守るためには有効です
から全く意味がないとは言えません。

問題は地震の震度をある程度予想できるかどうかになります。
予想できるならば、震度が低そうと思えば机の下に、震度が大きくなりそうなら早急に建物を
離れる決断をした方が良いでしょう。

訓練と言うのは想定された範囲の中でなら有効ですが、想定外の場合には役に立ちません。
だから、想定外の場合はどうするかの基準も教えておく方が良いでしょう。

それと訓練と同時に避難方法を何種類か提示しておくのもいいです。
そして、避難方法を数種類用意しておくことです。
非常階段、縄梯子、非常灯や避難ルートがわかる案内板、掲示などを示しておくのもいいです。

その他にもいろいろとあると思いますので、各自考えて見てください。
これまでの私の地震に遭遇したときの経験から言えば、ある程度震度の予想が出来ることです。
それによって、少し待てばいいのか、すぐに非難すべきかの判断ができるからです。

起きてもいないことをあれこれ心配するよりも日常を楽しんでいる方が不慮の事態に逢う確
率が下がるような気がしますが・・・。





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