世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:丸い社会に繋がるヒント・・・」

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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:丸い社会に繋がるヒント・・・」

ミナミAアシュタールRadio397

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vol.816 「エネルギーを満タンにしてください」

島には至る所に結構レトロな喫茶店があります。
 
昭和臭漂う喫茶店・・
 
コーヒーショップじゃないです・・喫茶店なんです。
 
昔からやってる喫茶店。
 
そこには昔からの常連さんがいて、店主たちとも
 
楽しそうに世間話に花を咲かせています^^
 
私たちもよく行く喫茶店があるんですけど、
 
この前ね、そこのお子さんかな?小学生くらいの子が
 
端っこの客席に座って宿題してたんですよ。
 
イスの上にはカバンやら自転車用のヘルメットやらが
 
置いてあって、あ~今帰って来たんだなぁ~って感じ。
 
お客さんも特に声をかけたりしないんだけど
 
その子を温かい目で見てる。
 
そこに子どもがいて宿題をしていることに何も違和感を
 
感じない。
 
そんな風景を見てほのぼのしました^0^
 
これって良いよねぇ~・・昭和の頃はお店に子どもが
 
いても当たり前って風潮だったよねぇ~って思いました^^
 
 
では、さくやさんからのメッセージをお伝えしますね^^
 

「丸い社会に繋がるヒント」by さくやさん

「ちょっと前までは子どもがいる風景が普通だったの。
 
親のお店や会社にも子どもの姿があった。
 
小さな子どもは近所の子たちが面倒みていたり、
 
ちょっと大きな子は親の店を手伝ったりしてた。
 
 
職と家が近かったから、仕事と生活が密着してたのね。
 
何時間もかけて職場にいくということもほとんどなかった。
 
生活と仕事が密着していたから、家族もいつも一緒にいたわね。
 
会社に子どもが来ても誰も何も言わないし、会社の人も
 
お客さんも気楽に声をかけていたし、子どもたちも仕事の
 
邪魔にならないように大人の仕事を見ていたりした。
 
 
いつからかしらね、仕事と生活が切り離されて、
 
子どもと大人の生きる場所が離れていったのは。
 
だから、子どもに対してとても厳しい社会になってしまったの。
 
子どもは邪魔・・という風潮が出来てしまった。
 
仕事をするには子どもは邪魔・・ってね。
 
だから、子どもがいる人は預ける場所を探さなければ
 
いけなくて、預けたら子どもと一緒にいることができない。
 
さみしいよね・・子どもも親も。
 
そして、子どもがいない人は、近くに子どもがいないから
 
子どもとはどういう存在かを肌で感じることができない。
 
だから、自分と違う世界の存在だと思ってしまう。
 
電車に乗って子どもが泣いたりしたら、煩いとしか
 
思えなくなってしまうのね。
 
子どもを目る目に余裕がないの。
 
子どもを小さな大人だと思って、大人のルールを押し付け
 
ようとしてしまうから、子どもは邪魔だと思ってしまう。
 
 
近くにいつも子どもがいる環境ならば、子どもとは小さな
 
大人じゃなくて、子どもにも個性があることがわかるのにね。
 
自分に子どもがいなくて、近所に子どもがいて顔見知りに
 
なれば、話しかけたり、話しかけられたりして交流が出来
 
信頼関係ができ、楽しい生活が出来るの。
 
子どもが邪魔だなんて思わないわ。
 
 
いまのあなた達の社会は効率、効率、効率、少しでも
 
無駄を省いて合理的にすることばかり。
 
そんな考えだと、子どもは邪魔だとしか思えなくなる。
 
あからさまに邪魔だなんて言葉は使わないけど(そんな
 
言葉を使うと人間性を疑われると思ってしまうから)
 
でも、行動を見ていると邪魔に感じているとしか思えない
 
人たちが多い。
 
 
効率、合理性、早く、早くって思ってしまうと、
 
子どもも促成栽培のような育て方になってしまう。
 
早く育つ子、すぐに出来る子、成長の早い子を求めて
 
子どもの個性は無視することになる。
 
それは子どもにとってとても辛いことよね。
 
 
いまの社会がイヤだと思うならば、生活を仕事を分けないで
 
密着させていけばいいのよ。
 
仕事と生活が密着していけば、近所との関りも深くなっていく。
 
仕事と生活(住居)が近くなれば時間にも気持ちにも余裕が
 
出来て、大きなスーパーで何もしゃべらず黙々と買い物するよりも
 
商店で話をしながら買い物する方が楽しい思えるようになる。
 
話をするようになれば、人と人という感覚が戻って来る。
 
いまの社会では人と人という感覚がなくなって来ているの。
 
 
どんどん流れて来るお寿司を次から次へとお店の誰とも
 
しゃべらずただ食べるだけ・・最近では料理をロボットが
 
運んで来て、機械で自分で会計するお店もある。
 
 
人と人との会話を楽しむ事も無駄なことだと思い込んで
 
しまうと、本当に無味乾燥な世界になるわ。
 
家族ともしゃべらない、家に帰っても疲れ果ててちゃっちゃと
 
シャワーを浴びて明日のために寝なければとすぐに寝る。
 
 
本当に無味乾燥な世界・・何のために生きているか分からなく
 
なっていくのもうなずけるわよね。
 
人との会話がなければ、何かあった時に愚痴ることもできない。
 
一人きりで孤独でどこにも吐き出すことができなくて
 
苦しくて仕方がない。
 
だから、匿名でネットで吐き出すってことになるのね。
 
 
いまの社会から離れたいと思うならば、まず職と生活を
 
分けない環境にするほうがいいと思う。
 
好きな人と一緒にいられる環境を創っていけば?
 
子どももいつも一緒にいられる環境。
 
仕事と子どもを分けずに、大人たちの仕事を見せるの。
 
そうしたら、子どももいろいろ面白いアイディアを出して
 
くれるわ。
 
そして、子どもたちも楽しくなる。
 
自分が何がしたいのか、どんな仕事をしたいのかを考える
 
ようになる。
 
子どもによってしたい仕事は違うの。
 
だから、いろんな仕事につく子がいて、社会は丸く循環
 
していくの。
 
 
子どもを楽しく育てることができない社会が異常なの。
 
子どもを邪魔だと思う社会って長続きしない。
 
子どもを大事にしない社会は、大人も大事にしない。
 
大人もただの労働力としか見られていないということ。
 
だから、年をとって労働力、戦力にならない人たちは
 
無駄だから排除しようとする風潮になってるのは
 
分かるわよね。
 
これはあなた達の支配者が考えていることなの。
 
無駄な人間はいらない・・ってね。
 
本当に失礼この上ない話よね。
 
 
支配者にとって、あなたたちは労働力としてしか
 
見られていないのよ。
 
そんなところに居ても幸せにはなれない・・
 
それは分かるでしょ?
 
 
ならば、簡単なところからはじめて、
 
少しずつでもいいからそこから離れていけばいい。
 
それには、仕事と生活を分けないことね。
 
仕事も生活の一部だということを忘れないでね。
 
 
昭和の生活には、丸い社会に繋がるヒントがたくさんある。
 
ただの古い時代よねって笑って見るんじゃなくて
 
そこにヒントを探してみてね。
 
たくさんあるから。
 
あなた達をこころから愛してるわ~」
 

ありがとう、さくやさん!

マイコメント

本当に何から何まで分断された社会と形容するのがふさわしいくらいです。

私の子ども時代にはまだそういう余裕はありました。

大人の仕事場に子供が顔を出すと言うことはありました。

それでも周りの大人は危ないところでない限り自由にさせてくれました。

以前にも書いたように他人の子どもを自分の親じゃない大人が叱る

ということは普通にありました。

今なら犯罪者にされてしまいます。

それはものすごく分断されてしまった社会です。

現代人から見たらそれが当たり前でも、そうした時代を体験してきた私には

ものすごく異様な世界に見えます。

そうなった原因はマスコミにあります。

何かの事件があれば報道し、それをともかく重大なものとして取り上げ

社会的に危険だという警鐘を鳴らし、人々の心に対立と分断の考えを

塩を塗り込むように刷り込んでいきます。

そうすると数年後には法律が制定され、犯罪者にされやすくなります。

もう難しいのでしょうか?

人々の温かい思いやりと配慮のある世界に戻すことが・・・。


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