日本人にとっての憲法とは

スポンサーリンク
改憲 改正日本国憲法

日本人にとっての憲法とは

 参議院選挙が近付いてくるに際して巷では憲法論議が活発化しつつある。
 良い事である。
 しかし方向性を誤らない事が肝心である。

 また創憲という言葉が随所で出ている。
 これは覚えている方々も多いとは思うが、かつて民主党
が唱えた憲法観である。
 今から15年~18年程前に各政党で憲法論議が活発に
なった時期があった。

 あの当時、民主党は「創憲」、自民党は「改憲」、公明党
は「加憲」をそれぞれに唱えていた。

 この当時、民主党が唱えた創憲、今だから言うのだがこれを
唱えたのは私である。

 2002年当時、もう20年も前になり歳月の経過を感じて
いるのだが私は青年で企業人であり民主党を支えようという
ボランティアグループができていた。
 当時は鳩菅体制のベンチャー的な存在だった民主党が世の中の
求心力を集めている時代だった。
 そのボランティアグループで意見交換や議論が活発に交わされ
原文が英文で存在する今の日本国憲法を日本人自らで創らなければ
ならないという風景で私が創憲を唱えた。

 これを当時の鳩山由紀夫代表・菅直人幹事長、或いは菅直人
代表・鳩山由紀夫幹事長とが交代で牽引していた鳩菅体制の
民主党が採用してくれたのだった。
 菅直人代表(当時)がある媒体で明言していた。
 これは当時、20代の青年だった私としては嬉しかったものだ。
 自分の理念が採用されたのだから。

 少し憲法観を述べると、日本国憲法の原文は英文である。

 私達が認識している憲法はそれを日本語訳したものに過ぎない。
 原文は、THE CONSTITUTION OF JAPANとしてArticle103
まで、つまり103条まで存在する。
 日本人にとって憲法とはまだ皮膚感覚になっておらず日本人
が憲法を創る必要がある、そのような視野だった。
 2002年における青年期の私の視野である。

 更にはマッカーサードラフトという原案もある。
 このCONSTITUTIONを憲法という日本語訳にした事は適切な
のかどうか、憲法という翻訳ではなく日本のかたちではないかと
も感じている。
 明治憲法を制定する必要に駆られた際に伊藤博文はプロイセン
の憲法学者グナイストに師事したのだが、
「日本人には憲法はまだ100年早い。」
と言われて衝撃を受けている。
 確かに憲法という概念はそれまでの日本の風土には馴染まなかった
であろう。

 それまでの日本には聖徳太子の十七条憲法、或いは各武家の
家訓、幕府の法度などが存在した。
 これらは全て心構え、原則のようなものである。

 日本人はとかく憲法論になると袋小路に入り微細な法律論に
なりがちであるが、憲法は日本とは何か日本民族はどうあるべ
きかを高らかに謳う原理原則、日本のかたちのようなものだと
私は認識している。

 そのような意味においてはCONSTITUTIONではなくPRINCIPLE
という言葉の方が適切かも知れない。
 THE PRINCIPLE OF JAPANであろう。
 つまり日本とは何かという日本国の原理原則という意味である。

 そこで日本国憲法の前文を先ず日本人自らで考え創り上げよう、
これが青年期の私が唱えた創憲の風景だった。
 しかし前文を創るには歪められた歴史ではなく日本人の立ち位置
に立った本当の歴史や様々な真実を踏まえなければならない。
 そうでなければ日本民族とは、日本とはを高らかに謳う最初の
憲法前文は綴れないのである。
 今の洗脳された状態の大多数の日本人では憲法を創る事は
難しいだろう。
 その端緒である前文を創る事も難しいだろう。

 青年期から歳月が流れ壮年期へと移行する時間軸の中で私は
この今の日本人の限界という風景に遭遇した。

 加えて日米合同委員会の存在も明るみにされた。
 これは事実上の国会であり今の国会は単なる末端機関に過ぎない。
 また憲法よりも上位に位置されるTPPを日本は批准して
しまい事実上の主権を失った。
 この状況下では日本国憲法をどう触ろうと意味がない。
 TPPに合わせた憲法に変えさせられるか有名無実化された
憲法にされるかのどちらかになりかねない。
 或いは憲法をディープステイトの都合の良いように変更され
たり利用される危険性もある。
 緊急事態条項を実現しようという動きはまさにそれである。

 日本で最初に創憲という概念を唱えたのは私だが、2002年
当時からは20年が経過し大きく日本や憲法を取り巻く環境が
変わった。
 日本を守るためにどうするのか・・・・・。
 全てはこの視野である。

 先ずは自衛隊員にコロナワクチンと称される液体を体内注入
させない事こそが国防になる。
 憲法9条を云々と論じる事ではない。
 SNSでは述べたが、正当防衛や自衛権は憲法に明記している
いないに関係なく自然権として国家や民族には自ずと存在している。

 何れにしても憲法を考える事は自ずと日本とは何か、日本民族
はいかにあるべきかという事を考える事に繋がるので良い事である。

 様々な領域から日本人の限界を取り除いてより良い日本に
なればと願っている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました