破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:諦めないと執着の違い」

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執着 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:諦めないと執着の違い」

今日の破・常識!

よくあなた達が使う”何が何でも私は諦めない”


というのは執着になります。


ここが区別できないので訳が分からない


という事になってしまうのです。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「諦めないと執着の違い」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。


言葉で説明するのは難しいですね。


言葉で説明しようとすると言葉遊びのように


聞こえるかもしれませんが、エネルギーの方向が違うのです。


諦めないという思考のエネルギーは目的地がはっきりとしていて


そこに着くことはわかっているという状態です。


そこに着くことはわかっているから


その過程をどうするかという事なのです。


目的地までの過程を考えるという方向の思考エネルギーなのです。

でも、執着という思考はその反対の方向なのです。


目的地はあるけどそこに着ける保証はない


と思っているという事です。


目的地に着けるかどうか確信がないという状態の思考なのです。


だから、過程を楽しむ余裕がない。


必ず目的地に行くんだというとても固い思考になります。


自分を信じていないという事にもなります。

目的地に着くことはわかっている、だからその過程を楽しめる。


反対に目的地に着けるかどうかわからないから


すごく努力して頑張って、目的地に着くことだけを考え


他の事には見向きもしないという余裕のなさなのです。


そうなると何かあると出来ない、目的地に着くことはむりだ


という思考になります。


思考が先、現実はあと・・だから目的地に着けない事になります。

余裕がないとアイディアはわいてきません。


楽しんでいないと思考が固くなって


何か壁(障害)が起きたときに気持が折れてしまうのです。


やっぱりムリだと思ってしまうのです。


でも、着くことはわかっている、いま道の途中だと思えれば


気持は柔らかくなりますので気持ちは折れません。


諦めないということになるのです。


だから、次へ進むにはどうしたらいい?と考えることが出来


アイディアがどんどん湧いてくるのです。


そして、気持ちが折れていないので


それを行動に移すことが出来るのです。

言葉で理解しようとしないでくださいね。


エネルギーで受け取っていただけると嬉しいです。


諦めないという言葉には柔らかさ、臨機応変のエネルギーがあり


執着という言葉には硬さ、ムリ、出来ないというエネルギーが


乗っているという事です。


ですから、よくあなた達が使う”何が何でも私は諦めない”


というのは執着になります。


ここが区別できないので訳が分からない


という事になってしまうのです。

思考は現実化するのです。


オーダーは現実化するのです。


あきらめなければ大丈夫なのです。


オーダーしたんだから必ずそれは現実化出来ると思って


それまでの過程を楽しんでいればいいのです。


フッと思いついたことを行動していけばいいのです。


そうすれば気が付いたら現実化していたという事になります。


でも、執着すると何が何でもという気持ちになりツラくなります。


しんどくなり過程を楽しむなど出来ないと思います。


すぐに結果を出さなければ気が済まないという事になって


すぐに思ったような結果が出ないからと


オーダーをキャンセルしてしまう事になるのです。


途中で諦めてしまうことになるのです。

諦めないためには執着しないことです。


もう出来ない、もうムリだとあなたが思わなければ


諦める事はないのです。


柔らかく、楽しく考えることが出来るようになります。


諦めないという言葉と執着という言葉のエネルギーを


感じてみてください。


身体が反応すると思います。


諦めない=執着ではないのです。


それはエネルギーの方向が反対だ


という事をお話したいと思います。


とても微妙なエネルギーの違いですが、これが分かると


他の言葉でもエネルギーの違いが分かってくると思います。


今日は観念的な話になりましたが


感覚で受け取っていただければと思います。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

「諦めない」と「執着」の違いはアシュタールが語るほどに具体的に考えたことは

ありません。

ただ爆炎と「執着」は目的日に着くこと自体に拘ることと思っていました。

何が何でも目的地に着かなければならないというものです。

例えば博多に行きたいという願望があるとして自分が北海道の札幌に住んでいると

すれば、かなりの長距離になるので行く手段が問題になります。

歩いていくのか電車で行くのか飛行機を利用するのか?

電車や飛行機なら一日で行くことは可能ですが徒歩であればいつ着くかわからない

旅になり、その間の宿泊費や食費もかかります。

そして、次の問題は旅費や宿泊費を工面できるかどうかです。

博多に行くことをあきらめないのであれば、それは何か月かかってもいいわけです。

博多に行くことを楽しみにして旅費や宿泊費を稼いだりすることも苦になりません。

それを執着になるとただ博多に行くことだけが目的で行くまでの旅程の楽しみや

着いてからの行動のあれこれを考える部分がありません。

着くことだけが目的なのです。

そこに旅程を楽しんだり、着いた先でどこどこへ行こうとか買い物をするとかと

いう楽しみが欠けています。

ストーカー行為や他人への恨み、妬みも執着の一つです。

そこにあるのは自分の念を達成したいという思いそれだけです。

そうしたことだろうと思います。

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