世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:形にこだわらないでください」

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ルール アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:形にこだわらないでください」

「形にこだわらないでください」by アシュタール

アシュタールからのメッセージをお伝えしますね。

「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。
 
制度、ルールと言うのは何なのでしょうか?
 
礼儀(マナー)と言うものも 
 
形式化されなければいけないのでしょうか?
 
 
まず、制度、ルール、礼儀 
 
などの根本を考えてみてください。
 
すべては人への尊厳を尊重する表現
 
だということです。
 
それが今のあなた達の世界では 
 
形骸化してしまって、形にだけこだわるように
 
なってしまっている・・ということです。
 
 
たとえば、ご飯を食べる時のマナーもそうです。
 
まずお箸の握り方、フォーク、スプーンの持ち方、
 
使う順番・・それを知らなければ恥ずかしいこと
 
だと思わされていますが・・
 
そんなのは関係ないのです。
 
まずはマナーと言うのは形ではないということ!
 
マナーの根本的なことは 
 
食べるときに人に不快な思いをさせないという
 
心配りから出ていることです。
 
ですから形にこだわらなくてもいいのです。
 
一緒に食べるために楽しく気持ちよく食べられれば 
 
それがマナーなのです。
 
 
マナーは形ではありません。
 
他の人に対する心配りです。
 
 
ですが、あなた達の世界では
 
形のマナーを重要視します。
 
そして、その形にとらわれ過ぎて 
 
本来の食事が美味しくなくなってしまう・・・
 
このようなことになってしまっています。
 
 
制度もルールも同じことです。
 
はじめは人に対する心配りの気持ちだったのが 
 
ただの形になってしまって、
 
内容のないものに変化しているものが多いのです。
 
理由はわからないけど、とにかく制度だから、
 
ルールだから・・と形だけを盲目的に覚えさせられ 
 
使うことを強要されていることが
 
多いのです。
 
 
形にこだわらないでください。
 
形はただ心配りに付随しただけのものです。
 
あなたの気持ち(楽しい気持ちでいてほしい)
 
と思う意図があれば多少やり方が違っても 
 
その気持ちは通じます。
 
 
たとえば国が違うとマナーも違ってきます。
 
それは仕方がないことです。
 
でも形のマナーは違っても 
 
お互いを尊重する気持ちが共通してれば、
 
そんなことは問題にはなりません。
 
すべてあなたの気持ちが通じるのです。
 
ですから制度、ルール、マナーの形に
 
とらわれないでください。
 
本質を見る・・
 
そうすれば形が違ってもあなたの気持ちは通じます。
 
 
形が違うからと言って分離の方向(排除、拒否)へ
 
向かわないでください。
 
まずは、形(外)ではなく 
 
その中にある内容に目を向けてください。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 

ありがとう アシュタール! 感謝します。

マイコメント

制度やルールというのは人と人との関係を円滑にするために設けられたものです。
中には犯罪防止という目的のための法律もありますが、基本的には社会的潤滑油の
役割を果たすことが目的です。

しかし、そのルールも形だけになり、人と人との関係が阻害されてもルールを守る
ことが優先され、守らないと罰せられたりすることがあります。

なぜ、人は結果よりもルールを優先するのか?
それはひとえにそうしなければならないと頑なに信じ込み、それが絶対的ルールだと
思ってしまうことから始まります。

そのため人と人との関係よりもルールが優先されるのです。
それは時として悲しい結果をもたらします。
しかし、多くの人はそのルールを守ることを受け入れ悲しい結果に甘んじ耐えることを
選びます。

なぜ規則はこれほどまでに人を束縛してしまうのでしょう。
学校の校則、結婚後のしきたり、多くの社会的常識がまさに外界を闊歩して歩いて
いますが、誰も疑問を感じてもそのままです。

どうもそこにあるのはこうでなければならないという思考に固められたゲートに鍵が
かかっていて本人にも開けられないのと似ています。
開けてしまうとそれは自己否定につながるからです。
それを一番恐れるのです。

だから、ルール優先となるのです。

ルールはあくまでもルールなので柔軟な運用が出来ることを考え直す必要があるでしょう。
そして、人にはルールに縛られない自由があることも考えてみるべきです。
人に尊厳と自由があるならばルールより優先すべきものです。

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