世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:犬や猫が虐待されているのを・・・」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:犬や猫が虐待されているのを・・・」

劣悪な環境下にある犬や猫が思考しているとは思えないのですが・・・

超次元ライブ68を聞いて,どうしてもわからないことがあります。
犬や猫も思考しているとの事ですが飼い主に虐待されたり殺処分される動物は,
そのようなことを思考しているとは到底考えられないのですが?

というご質問をいただきました^^

では、アシュタール、よろしくお願いします^0^

「犬や猫が虐待されているのを・・・」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
この話はあなた達にとってはとてもセンシティブな
 
話だという事は理解してます。
 
でも、この話をしなければ自分の意思でテラに生まれてきて、
 
自分の意思(思考)で自分の現実を創造しているという事を
 
理解するのが難しくなると思いますのでお話させて
 
いただきますね。
 
 
人はもちろん、犬やネコの動物も、植物もテラに存在
 
するものはすべて自分の意思でテラに来ています。
 
その生まれてくる環境も自分で選んできているのです。
 
その環境の中で自分の体験を楽しみたいと思っているのです。
 
楽しみたいというと、あなた達はうれしい、楽しい、という
 
方向の体験だけをイメージしますが、そうではないのです。
 
悲しい、ツラいなどの体験も絶対無限の存在にとっては
 
素晴らしい体験なのです。
 
すべての存在は絶対無限の存在から分かれた存在です。
 
ですから、絶対無限の存在の悲しいやツラいなどの体験を
 
してみたいと思う存在もいるのです。
 
 
ですから、あなた達の社会において刷り込まれてしまっている
 
楽しさ、うれしさ、喜びの軽い波動だけが素晴らしいことで
 
悲しい、ツラいなどの重い波動は少しでも排除したいと
 
思う思考は手放してください。
 
その存在は自分でそれを体験したくてしているのです。
 
一方的にそれはよくない環境でかわいそうだから何とか
 
してあげなくてはいけないと思うのは、あなた達が
 
刷り込まれてしまった思考だという事です。
 
 
こういうことをお話すると、なんて冷たい考え方なのでしょう、
 
と思うかもしれませんが、それが宇宙的、波動的な考えです。
 
自分より弱い、劣った存在を助けなくてはいけないと思うのは
 
優劣を決めることです。
 
宇宙に優劣はありません。
 
特別な存在もいないのです。
 
弱いと思うことはその存在の力を信じていないのという事です。
 
劣っていると思うことはその存在に対して尊敬と尊重の
 
気持ちが少ないという事なのです。
 
 
私たちから見ると、あなた達もとても勇気のある人たちだと
 
思います。
 
なぜならば、いまのテラの社会に自ら進んで生まれ、そこでの
 
体験を楽しんでいるからです。
 
分かりますか?
 
 
あなた達も自由をかなり束縛されているのです。
 
あなた達も搾取という虐待を受けているのです。
 
(戦争などにより)暴力的な虐待を受けいてる方たちもいます。
 
でも、その環境を自分で選んで生まれて来たのです。
 
 
犬、ネコ、他の動物の事を心配されるならば、ご自分の環境を
 
しっかりと考えられることをお勧めしたいと思います。
 
とてもイヤなことをお話しているのは十分承知です。
 
とても不愉快な気持ちになる事もわかっています。
 
でも、あなたがいまいる社会の事をしっかりと見てください。
 
しっかりと見たうえでどうしたいかを考えてください。
 
そこから出るという選択も出来るのです。
 
 
飼い主に虐待されている犬やネコも、イヤだと思えば
 
逃げる事は出来ます。
 
彼らの力は本気になれば人間よりも強いのです。
 
でも、その力で抵抗しないのはその個体の意思なのです。
 
その個体も自分には抗う力が無いと思い込んでいる(思考の
 
操作をされている)という事もあります。
 
 
話はちょっと逸れますが、もしそのような犬やネコを
 
減らしたいと思うならば、あなたの社会の構造を理解し、
 
そうならないような社会を創造するしか
 
ないのです。
 
難しいですか?
 
犬やネコ、他の動物などは人間よりも劣っているからペット
 
として自由を拘束したり、子どもを売り買いしたりしてもいいと
 
される思考を手放し、すべての存在は同じであるという事を
 
思い出すしかないのです。
 
そういう(虐待されたり、殺処分されたりする)犬やネコを
 
出しているのは、あなた達の社会における優劣の考え方です。
 
その考え方を変え、すべての存在が平等であり、他の存在に
 
対して自由への介入はしない、と考えることが出来るように
 
なれば、そのような事はなくなります。
 
 
それが出来れば、あなたの社会は大きく変わります。
 
あなたの社会は丸くなることが出来るのです。
 
丸くなるから、そのような考え方をしなくなるという
 
事にもなります。
 
 
人間がすべての頂点にいると刷り込んでいるのは支配者です。
 
テラに存在するすべての頂点が人間なのだから、人間以外の
 
存在に対して何をしても良い、かわいそうだと思って
 
彼らの意思を無視して(一方的に保護するなど)人間の価値観で
 
好きにしていいと考えるということは、
 
支配者側からすれば、支配者が人間の頂点にいるのだから、
 
人間さえも彼らの自由にしていい、人権などは無視していいと
 
思っている事と同じなのです。
 
ここが分かれば、あなた達庶民が支配者にどのような扱いを
 
受けているかが分かってきます。
 
 
いまのあなた達の社会で動物たちがどのような扱いを受けているか
 
をしっかりとみれば、あなた達庶民が同じような扱いをうけている
 
事もわかってきます。
 
 
それさえわかれば、どうしたいか、どうすればいいか、が
 
分かってきます。
 
ペットにチップを入れ管理することが義務付けられたように
 
今度はあなた達庶民にチップを入れ管理しようとしている
 
事は、もう陰謀ではないことはわかりますね。
 
陰謀論ではなく真実なのです。
 
彼らももう隠そうともしてません。
 
それはお分かりになると思います。
 
 
話はご質問から大きくそれてしまいましたが、
 
犬、ネコなどの動物だけではなくあなた達にも関係する
 
とても深い問題だという事をお話したいと思います。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 


ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

今回の記事にあるような犬や猫であっても思考しているというのが回答ですね。

つまり、彼らもそうした劣悪な環境を体験したくて生まれてきているということです。

宇宙には体験の内容による上下や良し悪しというのは存在せず、すべてが貴重な

体験だということです。

なかなか私たちの価値観からすれば受け入れがたいことだと思います。

私たちだって虐げられる環境にいるのを決して良いとは思いません。

むしろその逆です。

だから、彼らのそうした環境に同情を覚えるのです。

しかし、考えて見ればわかることですが、そうした環境を作り出しているのは

他ならない私たち人間です。

同じ人間であってもそのようなことを平気でする人がいます。

韓国ではご存じのように犬が食料にされています。

日本人の私たちからすれば考えられない異常なことです。

しかし、日本でも厳寒地では冬場の寒い時期食料がなくなるのでそうした

理由から飼われていたことも過去の歴史的事実としてあります。

そのため所と時期が異なれば現在の非常識が常識ともなります。

そこには絶対的な基準は存在しないということです。

だからと言って何をしてもいいかというとそうではなく、互いの尊敬と愛が

そこにあれば何をしていいかどうかの判断基準は自ずと出てくるはずです。

でも、犬はダメだけど牛や豚はいいのか?という疑問にもつながるでしょう。

すべての生物の生存権と言う観点からすればどんな動植物であっても殺処分して

食料にするのは出来ないはずです。

しかし、現在は代替え食料がないので彼らが私たちにあえて食料減として提供

していると考え、それに感謝するしかありません。

将来的に波動が上昇しすべての生物の相殺権が解決したときには別の方法で

エネルギーを摂る方法が確立されてくると思います。

今は仕方がないのです。

かといって無益な殺傷は避けないといけません。

娯楽で生存権を奪うことは誰にも許されるものではないのです。

それは逆の立場で考えて見ればわかります。

そうした内容をゲームにした映画がありましたが・・・。

あれはレプティリアンの思考そのものです。

私たちが求めるタイムラインではありません。


話がそれてしまいましたが、猫や犬の虐待は私たちのものの考え方が

招いているものです。

犬や猫を下等動物として見てしまい、同等のものとして見ていないからです。

ペッとして飼っている方には考えられないかもしれませんがそうした人もいると

いうことです。

それがどうして起きているのかと言うとアシュタールが語るように私たち自身が

そういう環境下にあり、その考え方を刷り込まれているからです。

もし、本当に犬や猫の虐待をなくしたいと思うならば私たち自身の考え方を

変えていくしかありません。

そうすることでそうした劣悪な環境下にある動物を減らしていくことができます。


また、そのような劣悪な環境下になっても彼らは彼らで思考し、考えることで

その体験をしているということで私たちと何ら変わりはないものです。

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