コロナ禍の教育現場

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学校教育 コロナワクチン

コロナ禍の教育現場

教育現場は洗脳された人々の集まり

中村 篤史/ナカムラクリニック
 

コロナが、というよりも、コロナをめぐって展開される茶番劇(マスク、ワクチンなどの「感染対策」)が、本物の熱血教師を潰してしまった一例として、下記の症例を供覧します。

50代男性
「先生、シェディングが原因で関節炎が起こることはありますか?4月頃から左の膝がパンパンに腫れて痛くなりました。整形外科に行くと、抗生剤が出ました。最初はフロモックスが、それで全然効かないので、次にオーグメンチンが出ましたが、どちらも効きません。抗生剤の点滴を受けても効果なし。
ところどころ帯状疱疹みたいな発疹があったので、皮膚科に行って診てもらいましたが「わからない、原因不明だ」と。
仕事は小学校の教師をしています。学校には足をひきずって出勤していました。歩くのにも差し支えるぐらいですから、体育やプールの指導はできません。
ワクチンは私以外全員打っています。事実上、拒否権はありません。教員のなかには、接種に抵抗していたのが私を含め3人いましたが、私以外の2人は結局打ちました。校長がしつこく言ってくるんです。「いつ打つの?」「まだ打ってないの?」「迷惑なんだよね。うちの学校は全員接種済みです、って言えない。あなたのせいでね」
毎日のようにこういうプレッシャーをかけられたら、うんざりしますよ。最後まで粘った2人は、この圧力に負けました。
校長も教頭も他の先生方も、みんなワクチンの効果を信じています。自分の子供に打っている先生もいます。打って当然、という空気なんです。この空気にあらがうことは、普通の神経ではちょっと無理ですね。

中村先生、ご存知でしょうか。教師という仕事は激務ですよ。土日の出勤は当たり前です。子供らの提出物のチェック、校長や関係各所に出す書類の作成、行事の下準備など、やるべき仕事は膨大です。生徒に授業を教えることだけが教員の仕事じゃないんです。それ以外の雑務(といっては何ですが)が、ものすごいんです。
ここに加えて、問題行動のある生徒や、保護者からのクレームにも対応しないといけません。いわゆる『モンスターペアレント』と言われるような保護者も実際にいます。
仕事に忙殺されて、過労でダウンする人も多いですよ。教育大学を卒業してせっかく教員になったものの、1か月でうつ病を発症して休職する。そんな先生、ざらにいますよ。今の教育現場は、それぐらい疲弊しています。

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ワクチンプレッシャーもひどいのですが、マスク着用への圧力もすごいです。子供たち、50m走のときにもマスクしてますよ。僕はね、体育に限らず、「呼吸のしにくい子はマスク外してもいい。ずらして顎マスクでもいい」って言うんですけど、そうすると、当の子供自身やその親からクレームが来ます。これには面食らいました。当の子供たちが、マスクに適応してしまっているんです。
体育とか、プールでもプールサイドでマスクしてます。熱中症になるんじゃないかと思うけど、この現状に対して声をあげる先生はいない。
僕は、マスクに対しもワクチンに対しても、かなり戦ったつもりです。あるとき、校長相手に、日経新聞の記事を見せました。『子供が5人死んでいるワクチンです。これを打たせるのは問題ではありませんか』と。でも、『教育委員会が勧めているのだから何も間違っていない』の一点張り。議論にもなりませんでした。
市のワクチン接種推進課に電話して、『子供が死んでいる。それを知ったうえで接種を推進しているのか』と聞いたこともありました。要領の得ない返答があるばかりでした。
教育委員会も行政も、結局上からの命令で動いている。上が変わらないと、何一つ変わらない。これはどうしようもありません。教師というのは末端、手足に過ぎないので、私が声をあげても無力です。それに多くの教師は真面目に、ピュアに、上からの命令に従っています。『打つな』とは今さら言えない空気なんです。

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さっきも言いましたけど、私、土日も学校に来てタイムカード打っています。でもあるとき、教頭から、「私的な雑務をこなすために来たのなら、タイムカードを打つな」と言われました。働かせすぎていることがバレたら、学校としても都合が悪いんですね。でも土日出勤までしても、1日12時間以上働いても、仕事が終わらない。
過労です。これ、私だけではないと思います。全国の公立学校の先生は、みんな過労死レベルだと思う。
私、教師を25年やってきました。25年、1日たりとも穴をあけずに、毎日子供たちと過ごしてきました。そんな私ですが、そろそろ限界です。
1日12時間の労働がこたえたのではありません。生徒のためなんだと思えば、そういうのは耐えられます。私が耐えられなかったのは、もっと別のものです。
マスクで子供の表情が見えない教育現場、子供に死者が出ているのに推進が止まらないワクチン。そういうマスクやワクチンを、自分がどんなに声をあげても止まらない無力感。マスクを外させようとするのが、ワクチンをやめさせようとするのが、ただ自分一人だけだという孤独感。
私、25年間の教師人生を通じて初めて、学校が楽しくない、と思いました。そして、こんな気持ちで教員を続けられないと思いました。
先生、私にはちょっとした夢があるんです。田舎に引っ込んで、犬を飼って、畑をしながら生活がしたい。心の奥底でずっとそういう生活にあこがれていました。教師を続ける情熱もなくなって、そろそろ別の人生を歩もうかなと思っています。
そういう意味で、コロナが自分の人生にひとつの区切りを与えてくれた、とも思います。
ストレスのせいかシェディングのせいか、原因は分かりません。ただ、このパンパンに張れた膝を見て、自分の潮時を意識しました。
診断書を頂けますか?できれば、来年3月末、学期末まで休養するように、とか書いていただけると、学校の事務手続き上助かります」

医者になって、僕は一応「先生」と呼ばれるようになった。でも僕は、本当に先生と呼べる唯一の職業は、小学校の教員じゃないかと思っている。
小学生の僕にとって、先生の存在は絶対的だった。中学生や高校生になるにつれ、「先生」をある程度客観的に見れるようになり、その威厳が薄れてくるものだけど、小学校のときの担任に感じた圧倒的な“大人感”は、その後も記憶の中に残っている。「全部の科目を教えるなんてすごい」というその万能さに対する畏敬があるし、「通知表の成績も素行もすべてこの人に評価されるのだ」という緊張感もあって、小学校の先生は子供にとって、本当に偉大に見えた。
僕が小学生をしてたのは30年くらい前のことで、多分、モンスターペアレントなんて言葉もなかった。教師はちゃんと教師として尊敬されていたし、逆に、この尊敬が教師をちゃんと教師たらしめていたと思う。「ふーん、この先生、○○教育大の出身なのね。うちの旦那より学歴低いわね」みたいなバカなことを言う保護者はいなかった。
『小学校の先生は絶対的』という価値観で育った僕は、患者の問診をしていて、その人の職業が「小学校の教員」だと分かると、いまだにちょっと緊張します(笑)
でも、そんな先生も、僕ら生徒の見えないところで大変な仕事量をこなしていたことを今になって知る。そして、コロナのデタラメを見抜く先生にとって、今の教育現場が大変な苦痛であることを知る。
コロナというふるい掛けにより、大勢に迎合するサラリーマン教師だけが残り、本物の熱血教師がつぶれたわけです。子供の教育にとって、これほどの大損害はありません。

教師をやめる
学校をやめた14人の元教師が、その理由を赤裸々に語る。 コロナ禍で益々疲弊する教育現場。学校現場を辞める教員が後を絶たない。なぜ辞めたのか、辞めなければならなかったのか、ホンネを綴る。

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