世にも奇妙なフツーの話「子供のいる人生、いない人生。どっちが・・・」

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世にも奇妙なフツーの話「子供のいる人生、いない人生。どっちが・・・」

ミナミAアシュタールRadio382

「あなたはクリエーターなのです」

vol.785 「あなたはクリエーターなのです」
vol.786 「続・あなたはクリエーターなのです」

「子供のいる人生、いない人生。どっちが・・・」by さくやさん

「こういう問題はね、分離されてしまったから
 
起きている問題なのよ。
 
最近起きて来ただけの問題。
 
ちょっと前なら問題にもならなかった。
 
 
人と人との繋がりが薄くなってしまって、
 
お互い手を貸しあわない生活になってしまったから
 
起きて来たの。
 
気の合う人たちが周りにいたら、こんな事は問題にも
 
ならないのよね。
 
 
子どもはみんなで育てるし、年をとってもまだまだ
 
やることがあるから介護なんてことにはならない。
 
 
あなたたちの社会では年を取ると役に立たない、
 
必要の無い人っていう概念が出来てしまったから、
 
というより意図的にそういう風に思わされてしまって、
 
いるから介護なんて言葉が出て来るの。
 
もちろん体力は減って来るから、力仕事などはできなく
 
なって来るけど、その分生きてきた知恵がある。
 
その知恵を後進に伝えることでまだまだ気力は満タンで
 
いられる。
 
介護してもらわなきゃなんて発想にはならない。
 
 
知恵を持つ人を若い人たちも尊敬するわ。
 
ずっと蓄積されてきた知恵をまた後進に伝えていこうと
 
思うから、知恵の大切さもよくわかっている。
 
ただの頭だけの知識、情報ではなく、生活で培われた
 
知恵がどれ程素晴らしいかが分かれば、年を取った人を
 
バカにしたり、排除しようなどとは思わない。
 
若い人は若い人に出来ることをしていけば、お互い楽しく
 
暮らすことができるのよ。
 
 
お互い出来ることを提供し合うことで、丸い関係ができる。
 
丸い関係ができれば、手を貸しあえば、子どもを育てることも
 
いまのあなたの社会よりよっぽど楽になるし、
 
楽しくなっていく。
 
子どもがいる人も、子どもがいない人もどちらも楽しい
 
社会になる。
 
自分の子どもじゃなくても、自分の子どもと同じように
 
考えることができるから。
 
血のつながりとか関係なく、みんなの大切な子どもとして
 
育てていける。
 
 
血のつながりだけを大切にしてしまうから、自分の子、
 
他人の子という分離になってしまうの。
 
子どもはみんなで育てていけばいい。
 
年をとったら知恵を後進に伝えていけばいい。
 
 
みんなが出来ることを提供していけば、何も問題は
 
起きないの。
 
病気になっても、怪我をしても、お互いさまという気持ちで
 
いれば、何も怖いことはないでしょ。
 
怪我をして動けない時は周りに頼ればいい。
 
そして、治って元気になったら、また自分が出来ることを
 
周りに提供していけばいい。
 
それだけで、社会は気持ちよくまわっていくの。
 
 
子どもがいる方がいい、子どもがいない方がいい・・
 
なんて究極の選択なんて考える必要なんてまったく無いの。
 
 
江戸の子たちも、じょうもんの子たちも、それを自然に
 
やっていたわ。
 
お互いさま・・っていう気持ちでいるだけだった。
 
してあげたんだから、お返ししてね・・なんて思わないし、
 
してもらったんだから恩にきなければなんて思わなかった。
 
 
お互いさまのエネルギーがグルグルまわっていただけ。
 
それで気持ちよくみんなで生活することができたの。
 
 
みんなで一緒に(近くに)住んでみるっていいわよ。
 
仲のいい、気の合う人たちと一緒に暮らしたら
 
とっても楽しく生きることができると思うのよ。
 
イメージしてみてね。
 
イメージ出来ることは現実化できるから。
 
 
あなた達をこころから愛してるわ~」
 
 
 

ありがとう、さくやさん!

マイコメント

私が子供のころ育った昭和30年代と比べると今の社会はずいぶんと変わってしまいました。

当時は小学生から中学生まで近所の子どもが10人ほど集まってはかくれんぼや鬼ごっこを

して遊ぶような時代でした。

その中で上に対する礼儀とか尊厳を学び、時には悪さをして怒られることもありました。

そして、その怒る大人も自分の親だけでなく近所の親からもよく怒られました。

だから、子どもは誰々の子どもと言う明確に分けられた考えではなく、子どもと言う

ひとくくりでとらえられていたので、知らない人でも怒られることがあります。

今だったら、そんなことをすれば警察に通報され逮捕にもなりかねません。

そこには互いに対する信頼感があったので誰々と言う区別もなく、町自体が小さいので

道を歩いていても誰彼かが知っていて「どこどこの子ども」とわかるくらいでした。

だから近所ならひとつの共同体のような感じでした。

もっとも東北の田舎だったからといういい方もできますが、東京でも下町ならあり得た

風景ではなかったのでしょうか?

その後高度成長期を迎え、平成に入り核家族化が進むと他人との境目が大きくなり

隣同士であっても知らない時代となりました。

核家族化は暮らしやすい反面、他人とのつながりが薄れ子供を持つ家庭では親の孤独感が

強くなり、子どもを育てるのがとても大変です。

そこが2世帯であれば自分の親が子育てのあれこれを教えてくれるし、親が忙しい時には

代わりを務めてくれます。

そして、子どもの介在が親子の繋がりを2世帯でも強くでき、いろいろなことが可能に

なります。経済的にも楽でしょう。一緒に住んでいると言うことでいろんな費用を分担

出来るからです。

それが核家族だと難しくなります。

そこが今の社会に欠けているところです。

互いに助け合える環境が乏しいからです。

そして、核家族化は高齢者の独居住宅が増え様々な問題を引き起こしています。

介護に止まらず突然の死去によって起こるいろいろな問題にも直面します。

そうしたことがあるせいか高齢者のアパート探しは大変です。

どこもそう言うことを恐れて貸してくれないからです。

最後は公共住宅がいちばんなのでしょうか?

それでも家賃や保証人などの面で敷居が高いようです。

いずれにせよ、こうした社会になったのは便利さだけを追い求め、近所同士の

付き合いを出来るだけ避けてきた結果でしょう。


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