破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:あなたの時間は、あなたが好きに使って」

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自由に生きる アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:あなたの時間は、あなたが好きに使って」

今日の破・常識!

あなたの時間は、あなたが好きに使ってください。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「あなたの時間は、あなたが好きに使って」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

自由時間というものはありません。

自由時間という概念、言葉自体がおかしいのです。

すべての時間はあなたが自由に使っていいのです。

自由時間という概念、言葉は労働しなければいけない

という概念を刷り込んでいるのです。

人生は労働するためにある

そして、労働の後の少しの時間だけを

余暇として自分の好きに使っていい・・

という考え方です。

休日という言葉も同じです。

休んでいい日・・それも誰かに決められた日です。

労働すること(させること)が前提なのです。

自由時間が多すぎると目的がなくなり

反対に生活に満足できなくなる・・

などという事はありません。

人は自由に時間をすごしていると

好きなことをはじめます。

本当にしたいことをはじめるのです。

それはいわゆる社会的に見て

生産的なことではないかもしれません。

お金に直結するものではないかもしれません。

でも、好きなことをしていると充実します。

エネルギーが満タンになるのです。

ですから、暇が辛いとか生活に満足感を感じない

などは思わないのです。

労働することが善で、自由に好きに生きることは

良くない事という概念を刷り込まれてしまったので

暇が怖いということになるのです。

生産的な労働をしていない自分はダメだと思ってしまい

自分の自由な時間を楽しく使うことが

できなくなってしまうのです。

あなたには自由な時間しかないのです。

労働している時間もあなたが労働すると

決めた自由な時間なのです。

イヤならば会社などに行って労働しなくてもいいのです。

労働する時間もあなたが自由に決めていいのです。

自由に好きな時に好きなだけ好きなことができる

生活は飽きません。

暇だと思うこともないのです。

つまらないと思うこともないのです。

生活に目的が無くなるなどという事はありません。

充実した豊かな時間になるのです。

自由時間、余暇という言葉はとてもナンセンスなのです。

誰かが決めた自由時間だけ好きなことをしていいですよ

・・労働後の余暇だけ好きにしていいですよ

・・と言われて喜ぶのは学校教育の弊害なのです。

決められたスケジュールの中で

決められたカリキュラムをこなし

一日の少しの時間だけ自由に過ごしてもいいですよ

という教育は、従順な労働者を育てるための

システムなのです。

時間は自分のものではなく、労働し

奉仕するために使うものだと刷り込み

自らすすんで労働させるために

つくられた考え方なのです。

身体は拘束されていませんが

思考が強く拘束されてしまって考え方なのです。

あなたの時間はすべて

あなたの自由にしていい時間なのです。

誰かに与えられた狭い少しだけの

自由時間などないのです。

労働以外に使う自由な時間はただの浪費であり

良くない時間の使い方だと教え込めば

どんどん働いてくれるようになります。

そして、少しだけ時間を与えておけば

それで満足してくれるので

支配者にとっては好都合なのです。

自由な時間があればあるほど

生産的なことができるのです。

別に生産的な事をしてください

と言っている訳ではありません。

でも、好きなことをしている時間が

増えれば増えるほど

あなたの中が満足し、あなたの中から

どんどん楽しいアイディアが湧きだしてくるのです。

それを仕事にすればいいのです。

自分が好きなことを仕事にすれば

自分の時間を好きに使うことができます。

自由時間などという誰かの許可をもらった少しの時間を

ありがたがる必要などなくなるのです。

あなたの人生があなたの手に戻ってきます。

自由な時間が増えると生きている目的を見失ってしまい

生活に満足できなくなるなどありえません。

あなたの時間は、あなたが好きに使ってください。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

たったひとつのことでも視点を変えるとその意味合いがガラッと変わってしまいます。

「働かざる者食うべからず」という言葉に代表されるように働かない人は人間の屑とみなされる
のが今の社会です。

それは人生が食べるために仕事をしないといけないという刷り込みです。
自然をこよなく愛し、自然と触れ合いながら生きられるという自信があるならば離れ小島で
自分で魚を獲り、山菜を採り、生活用具を自分で作り生活するのも可能です。

しかし、それだと他人との接点が限られるので続けられないだけです。
もし、同じ思いを持つ人同士が集まってそうした生活ができるならば、各個人の持つ能力次第で
いろんなものを互いに協力し合いながら作り出し生活をすることも可能になります。

これからの社会は既存のシステムや制度に縛られないもっと自由な時間を活かせるライフスタイル
を考えて行くべきでしょう。

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