政府の情報発信が招いた“静かな物流危機”
足りているのか、足りていないのか
ホルムズ海峡封鎖当初、「6月にナフサが枯渇する」という警鐘を鳴らす人が出た。それからしばらく経つ。あの予測は外れた、と鬼の首を取ったようにSNSで叫ぶ声がある。「全然足りてるじゃないか」「騒ぎ過ぎだった」と。しかし、その指摘は、問題の本質を見ていない。
ナフサ関連製品が底をつかなかったのは、通常であれば流れていたどこかへの供給を、各プレーヤーが意図的に絞ったからだ。これは「年金は破綻しません」「日本の財政は破綻しません」というのと構造が同じである。
原料の減少分に合わせて供給を制限すれば、確かに枯渇は先送りできる。しかしそれは問題が消えたことを意味しない。痛みをどこかに転嫁しながら、延命しているに過ぎない。
目詰まりの現場で何が起きているか
政府のヒアリングはあくまで伝聞である。実態は現場に出れば即座にわかる。食品などの工場では、容器やフィルムの異常な価格改定や出荷制限がすでに始まっており、直近では物流に使うPPバンドの供給にまで制限がかかった。
あるメーカーから届いた案内文にはこうある。「中東情勢の影響によるPPバンドの出荷規制に伴い、供給不足が見込まれます。つきましては、現在の2本掛け仕様から1本掛けへの変更を、5月生産分より順次実施いたします」。
PPバンドとは、段ボールを束ね、物流の最前線で使われるごく地味な資材だ。しかしこれが絞られれば、食品の出荷体制そのものに影響が及ぶ。
石油化学産業の川上で何かが起きれば、その波紋は川中・川下へと静かに、しかし確実に広がっていく。枯渇という劇的な事態は起きていないかもしれないが、日本経済のあちこちで、じわじわとした毀損が進行している。そしてその被害は弱い立場の企業ほど大きく出る。
ではなぜ、このような「目詰まり」が起きたのか。
現場の苦境を「気のせい」と言い捨てるに等しかった政府
直接の引き金は中東での戦争であり、ホルムズ海峡の封鎖だ。しかし問題は、そこではない。問題は政府が発信した情報が、あまりにも曖昧なままだったことにある。
象徴的だったのが、木原官房長官が4月17日の記者会見で、「石油ショックとは思っておりません」と発言したことだ。過去の石油ショックとの比較を否定し、国民に冷静を呼びかけるメッセージのつもりだったのだろう。
しかし、すでに現場で供給制限や価格高騰に直面していた企業にとって、この発言は逆効果だった。「必要量は確保されている」という言葉と、目の前で届かなくなっていく資材の現実がまったく噛み合わない。
政府が現場を把握していないのではないかという不信感が広がり、その発信を信用せずに、むしろ自己防衛的な動きをすることに拍車をかけた。「石油ショックではない」という言葉は、現場の苦境を「気のせい」と言い捨てるに等しかったのだ。
もう一つ、見過ごせない問題がある。ガソリン価格の話だ。政府はガソリン補助金を再開し、170円を超える部分を全額補助する変動型の仕組みで、店頭価格を170円程度に抑制している。
確かにガソリン価格は落ち着いて見える。「高市政権のおかげでガソリン代が上がらない」と言う人もいる。しかし原資は税金であり、財源がどう変わっても「消費者が後から負担する」という構造は何も変わらない。
消費者は給油のたびに「安く済んだ」と感じるかもしれないが、その分は後から税負担として回ってくる。価格統制の見た目だけを政策の成果と錯覚させる構造は、まさに政府の失敗の延長線上にある。
企業は最悪のシナリオを前提に動くしかない
企業が経営判断を下すには、具体的な情報が要る。備蓄は取り崩すのか。いつまで備蓄に頼ることになるのか。確定しているタンカーのスケジュールはどうなっているか。
「原油を確保した」という言葉は、定期的に安定供給されるという意味なのか、それともスポット調達に過ぎないのか。
こうした問いへの答えが示されなければ、企業は最悪のシナリオを前提に動くしかない。憶測が憶測を呼び、自己防衛的な在庫抱えや出荷制限へとつながる。
川上業者が身を守るために出荷を絞るのは経済合理性として当然だ。しかしその連鎖が積み重なれば、実際以上の「目詰まり」が社会全体に生じる。
混乱はSNSのデマではなく「政府の情報発信の失敗」
今回の混乱は、SNSのデマでも、市場の失敗でもなく、政府の情報発信の失敗によって引き起こされたものだ。
中東にて戦争が起きた直接の責任は日本政府にはない。だがその後の情報整備の責任は、外交・産業政策・資源調達のすべてを一手に把握できる立場にある政府だけが負うことができる。
「他国よりマシ」「政府はよくやっている」という評価で甘やかしても、企業にも消費者にも何の益もない。過剰な批判も生産的ではないが、政府に対して求めるべきことは明確だ。必要な情報を、必要なタイミングで、具体的に出すこと。それだけである。
ここで外交の話に踏み込まざるを得ない。今回のホルムズ危機で日本が選択肢を持てなかった背景には、高市首相の外交姿勢の問題が深く関わっている。
高市氏は政調会長時代の2022年、ロシアから入国禁止指定を受けた際、SNSで「上等やないかいっ。招かれても行かんわい!」と発信していた。外交のトップとなった今、その気質はそのまま外交姿勢に引き継がれている。
現職自衛官が在日中国大使館に侵入し逮捕される事件が起きた際、政府は「誠に遺憾」という言葉で済ませた。中国側は「在外公館への警備責任を果たしていない」と反発し、外交摩擦の口実を与えてしまった。
高市外交が失ったもの
また米国・イスラエルがイランを攻撃した局面では、数日のうちに民間人犠牲を理由としてイランを名指しで非難した。
米国の攻撃には「法的評価は差し控える」としながらイランだけを名指しする姿勢は、みずから窓口の一つを閉じる結果となった。戦後日本がやってきた米国とイランへの折衝外交はどこにいったのか。
国と国との間にトラブルは必ず起きる。しかし、どれだけ激しく対立しようとも、いつかは停戦の話になり、和平交渉が必要になる。
現代においてメディアの目が世界中に行き届いている以上、どちらかが完全に消えるまで戦い続けるなどという結末は現実的にあり得ない。つまり、相手が誰であれ、効果的な対話のできるパイプを常に確保しておくことは、国家の基本的な義務である。
今、日本が進めている軍備や開発の意味も、ここから問い直す必要がある。和平交渉のテーブルに相手を引き出すための抑止力としての軍備なら理解できる。
しかし高市氏の言動を見ていると、軍備や同盟を「相手を制圧する道具」あるいは「戦争に勝つための武器」として使っているように映る。
問題の本質は「情報」と「外交」の設計にある
それは隣国を刺激する軍拡競争への道だ。啖呵を切ることに国益はない。必要なのは、喧嘩を売られても冷静に対話の糸口を探し、粘り強く交渉を継続する忍耐力だ。
ホルムズの危機において、日本はイランとの独自パイプを活かせる立場にいたはずだった。しかし、首相自らがイランとの対話回路を閉じてしまった。
日本政府の失敗は二つある。一つは、危機に際して企業・市場が判断できるだけの情報を出せなかったこと。もう一つは、エネルギー調達において外交的な選択肢を複数持てていなかったこと。
PPバンドが不足している物流の現場から見えるのは、石油化学の川上で起きた小さな乱れが、静かに、しかし確実に日本の産業・物流・食卓へと波及しているという事実だ。「枯渇しなかった」と胸を張れる話ではまったくない。
情報を出す、対話を続ける。この二つの基本を取り戻すことなしに、次の危機にも、またその次の危機にも、日本は同じ轍を踏むことになる。



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