資源不足問題の“目詰まり”と“不足”は別物 「カルビーの白黒パッケージは事態悪化の予告かも」田内学
「目詰まり」という言葉選びは、体裁を守ろうとしているだけにしか思えない。
物価高や円安、金利など、刻々と変わる私たちの経済環境。社会的金融教育家の田内学さんの連載「経済のミカタ」では、お金に縛られすぎず、日々の暮らしの“味方”になれるような、経済の新たな“見方”を示します。AERA 2026年6月15日号より。
学生時代、バイトでお金をためて、ブランドの財布を買った。中に入っているお金よりも明らかに外側の方が高価だった。そんな見栄を張るくらいなら、おいしいものを食べればよかったのに、と今なら思う。
見栄を張って、実力以上に大きく見せようとするのは、個人だけではない。いま、政府が同じことをしている。
カルビーが、ポテトチップスのパッケージを白黒に切り替えた。ナフサ不足によるインク節約のためだ。消費者の反応はおおむね好意的だったが、政府筋からは「そこまでやる必要はない」という冷ややかな声が漏れた。一部報道では「政府が激怒」とまで伝えられている。
なぜか。政府は「不足ではない、目詰まりだ」と説明している。流通の問題ではあるが、量自体は足りている、と。白黒のパッケージは、この公式説明を国民の目の前で揺さぶってしまう。
だが、そこにどれほどの違いがあるのだろう。必要な場所に必要な量が届かないなら、現場にとってはそれが不足そのものだ。「目詰まり」という言葉選びは、体裁を守ろうとしているだけにしか思えない。
しかも、内部文書を見ると話は違う。内閣官房が4月に公表した資料には、新生児医療用カテーテル、注射針や採血管の滅菌用ボイラー重油が不足し、厚生労働省と経済産業省が石油元売り事業者に直接配分を要請したことが、はっきり書かれている。
足りているふりをしながら、内部では医療現場の重油すら緊急対応している。これは、目詰まりではない。不足だ。
資源が足りないなら、やるべきことは決まっている。優先順位をつけ、不要な消費を減らすことだ。我慢して当然ではないだろうか。
足りないものを使えば、その分どこかから買ってくるしかない。輸入額が膨らみ、外貨の支払いが増え、円が売られる。円安が進めば、原油の円建て価格はさらに上がる。維持コストはさらに膨らみ、家計のあらゆる場面で物価高となって戻ってくる。「大丈夫」と装っているコストは、結局、国民の財布から、毎日少しずつ引き落とされている。
ホルムズ海峡の問題が落ち着いたとしても、これから事態は悪化していくだろう。この問題は一過性のものではなく、資源がさらに希少になっている表れでもある。
AI銘柄の株価が軒並み上がっているのは、AIインフラへの投資が爆発的に膨らんでいるからだ。データセンターは大量の電力を消費する。フィジカルAIが普及すれば、その需要はさらに加速する。世界全体で化石燃料の需要は、これまでの予測以上に高まっていく。
資源を持たない日本にとって、これは追い風どころか向かい風だ。カルビーの白黒パッケージは、未来からの予告編にすぎないのではないか。
そのパッケージが「売名行為だ」という批判もある。しかし、それで結果として資源の節約になるなら、何が問題なのだろうか。むしろ、節約した企業の売り上げが伸びることでしか、社会全体は節約方向に動かない。動機の純粋さを問うことで、私たちは何を守っているのだろう。
学生のころの自分の財布を思い出す。外側ばかり立派で、中身は乏しかった。あれはまだ、自分一人が痛みを引き受ければよかった。
国の財布で同じことをやれば、痛みを引き受けるのは、私たち全員だ。
※AERA 2026年6月15日号
田内学



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