世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:不安があるならばマスクは使ってください」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:不安があるならばマスクは使ってください」

ミナミさん:マスクを使わないと他人から嫌がられる

マスクについてのご質問をたくさんいただきます^^

自分は怖くないししたくないのだけど、人を怖がらせると

申し訳ないし、イヤな顔をされるのも嫌だし、注意されるかも

しれないから仕方なくしていますが、これはどうなのでしょうか?

マスクをする時点でそちらにフォーカスしてしまうのでしょうか?

もし注意されたりしたらどう答えればいいのでしょうか?

などなど、みなさまお悩みのようです^^

どうしたらいいの?教えてアシュタールぅ~~^0^

「不安があるならばマスクは使ってください」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。

不安に思われるならばなさればいいと思います。

したくないと思いしない方を選ばれるのであれば突き抜けて

ください。

何か言われるのではないか、イヤな顔をされるのではないか・・

などと重いエネルギーを引きながらしないでいると言われます。

だから、本当に私はしたくないと思うならば潔くしないでください。

突き抜けるということです。

そうすればエネルギーを引きませんので誰にも干渉される

ことはなくなります。


そして、これはとてもセンシティブな問題になりますが・・

そのような不安(自分がマスクをしないと誰かに迷惑をかけて

しまうのではないか)が問題になるのです。

そう思わせることで同調圧力を作り上げるのです。


イヤだけど人に迷惑をかけると困るから‥という心理を利用して

従わせる方法を用いているのです。

自分は怖くないけど家族にうつすと困るから・・というのも

同じです。

そのように心理的な操作をされてしまっているのです。

ある意味人質を取られているようなものです。

だからイヤイヤながらも従うことになります。

それがまた同調圧力を強め、みんなが従わざる得ない社会を

作り上げるのです。

みんなと同じでなければいけないという風潮を作り上げるのです。


このやり方であなた達を操縦し従わせてきているのです。

人に迷惑をかける・・それが一番怖いと思わされているのです。

自己犠牲の考え方と同じです。

自分はイヤだけど、人のためには仕方がないと思うとイヤなこと

でも我慢するようになるからです。

人と違うことをするのが怖いというのもそうです。

人の目を気にするということも同じです。


日本では和を大切にしますと言われます。

”和”とは本当は人に介入しないことなのです。

”和”とは美しいハーモニーのことです。

それぞれが好きに表現することできれいなハーモニーが生まれる・・

それが”和”なのです。

でも、その”和”をまったく違う意味(反対の意味)にすり替えられて

しまっているのです。

みんなが同じ音になる、同じ色になることが”和”だと思わされて

しまっているのです。

いま言われている”和””絆”という言葉は自己犠牲を強いる

言葉になってしまっています。

人のためには自分がイヤだと思うことでも我慢しましょうと

いうことですね。

助け合いという言葉もそうです。

自分は我慢しても人のために尽くす・・それが助けるということですと

教えられているのでとても苦しくなってきます。

自分を抑え我慢しなければいけないと思うからです。


そして、それ(我慢)をしている人たちはエネルギー不足になります。

エネルギーバンパイアになっていきます。

そして、自分も人のために我慢しているのだからあなたも我慢する

べきだと人に我慢を強要するようになるのです。

それが監視社会を作るにはとても都合がいいのです。

庶民をお互いいがみ合わせ、監視しあわせ、それがひどくなると

言いつけあい(密告?)が始まるのです。

それが支配者たちにとってはとても都合がいいということです。



話がそれましたので戻しますね・・・

不安があるならば使ってください。

あなたがそれで安心出来るならその方がいいのです。

うつるかもしれない、うつすかもしれない、イヤな顔をされるかも

しれないと少しでも不安を感じるのならば使った方がいいと思います。


でも、どうしても使いたくないと思うならば突き抜けてください。

突き抜けていれば誰も何もあなたに干渉しなくなります。

そして、不安がなければそのような(不安が現実化するような)ことも

起きません。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

ありがとう、アシュタール!感謝します。

 

マイコメント

「同調圧力」「自己犠牲」「和の心」を上手く利用した作戦だということです。

日本人はもともと和を重んじる国民性がありますが、この和の精神もアシュタールの

語るように、知らず知らずのうちに違う方向に誘導されてしまっているようです。

全体の和を乱したくないために同じ行動を取る、要求されるという思考パターンです。

これは今の日本人社会ではどこへ行っても同じでしょう。会社だけでなく、小さな

町内会ですら求められます。

 

それを防ぐためには分けて物事を考えるという習慣が必要でしょう。

マスクで言うなら、マスクの目的は感染予防です。

でも、マスク自体に感染予防効果がなければしてもあまり意味がないものになります。

ただし、N95規格の完全に顔と密着するタイプのものであればウイルスを通過しませ

んので、これを使うというのなら意味があるでしょう。

このように、マスクすれば一般的な市販されているマスクでもウイルス感染を防御で

きると多くの人が思っていること自体に問題があります。

そこで、マスクをしても効果がない、あるいは感染するようなウイルスは流行して

いないと信じることが出来れば、誰もマスクをしないでしょう。

つまり、そこには事実の誤解があるということです。

そして、多くの人がマスクをし始め、それが当たり前になると防御効果ではなく

マスクをしているかどうかだけが問題となってしまうのです。

ただ、感染している人が他人に移さないための効果としては多少あります。

咳や唾液が飛び散らないからですね。でも、ウイルスはマスクを通過するので

近くにいればもろに吸い込みますね。

そのためか、東京都内でマスクをしないでジョギングしていると非難するたむけん

のニュースがありました。

まあ、いろいろなことが出てくるのが今の世ですね。

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