世にも奇妙なフツーの話「結局、お金が必要なんじゃないですか?」

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世にも奇妙なフツーの話「結局、お金が必要なんじゃないですか?」

結局、望めばいいって事ではない?

お金があると優しくなれるというメッセージが
 
以前あったと思います。
 
その時の事と今回のメッセージで少し混乱しています。
 
結局、望めばいいって事ではない? 
 
・・というご質問をいただきました^^
 
今回のメッセージというのは多分
 
 
思います。
 
 
この記事の中の
 
ご機嫌さんになることと、お金があることは違うのです
 
というアシュタールの言葉に混乱されてる?のかな?
 

では、アシュタール、よろしくお願いいたします。

「ご機嫌さんになれるというのは・・・」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
お金があるとやさしくなれる・・のではありません。
 
お金がないと(不足していると思い込んでいると)
 
エネルギー不足になります。
 
エネルギー不足になると余裕がなくなります。
 
エネルギーのない方は他の方にエネルギーを分けてあげる
 
余裕がなくなります。
 
わかりますか?
 
 
おなかがすいている時に誰かに持っている食料を気持ちよく
 
差し上げようとは思いませんね。
 
おなかがすいていなければ気持ちよく差し上げることが出来ますね。
 
そういうことです。
 
自分も持っていないの人に差し上げることはできないのです。
 
 
おなかがすいているのに人に差し上げようと思うのは
 
自己犠牲になります。
 
自分は我慢しているのですから、人に差し上げるときも
 
ムリしているので楽しくはありません。
 
それをいただく人も気持ちよくはないのです。
 
 
清貧という言葉がありますが、それはおかしな話なのです。
 
清く貧しいなどということはありません。
 
貧しければ(豊かで満たされていなければ)人に何かを
 
差し上げるなどということはできないのです。
 
大切なのは物質ではありません、お金ではありません‥と
 
あなた達はいいます。
 
もちろんそうです・・しかし、物質的に不足していれば
 
ご機嫌さんにはなれないのです。
 
 
何か矛盾しているように思えるかもしれませんが、物質的に
 
満足しているから人にも自分にもやさしくできるのです。
 
ですから、欲しいものは欲しがってくださいとお伝えしいます。
 
欲しいものを我慢する必要はまったくありません。
 
欲しいものを我慢することで何か魂?などが成長するなど
 
ありえないのです。
 
我慢することで成長するなどありえないのです。
 
(成長という言葉、概念自体がありえないのですが・・)
 
我慢はただ疲弊していくだけです。
 
それはあなた達を支配するために作り上げた宗教的な概念、
 
教えといわれるものです。
 
その我慢、自己犠牲という概念は支配するうえでとても
 
便利なツールなのです。
 
 
ならば、結局お金が必要なんじゃないですか・・
 
結局お金を持っていないと幸せになれないし、ご機嫌でも
 
いられないし、人にやさしくできないじゃないですか?
 
という声が聞こえてきますが、それは違うのです。
 
反対に考えているということです。
 
 
お金があるから幸せ、ご機嫌さん、やさしくなれるのではなく、
 
満たされているから物質的にもお金的にも豊かになるのです。
 
お金があれば幸せだということになれば、あなたの社会の
 
トップの人たちはとても幸せで、人にとてもやさしいという
 
ことになりますが、そうではないですね。
 
お金があっても満たされない思いがあれば、もっとお金を
 
欲しがることになりますのでエネルギーは不足します。
 
エネルギーが不足するからエネルギーバンパイアになり
 
もっと搾取したいと思うのです。
 
 
わかりますか?
 
そんなに大金持ちといわれるくらいのお金がなくても
 
自分の好きなことを楽しんでいると
 
エネルギーは満たされます。
 
幸せの状態でいることが出来、ご機嫌さんでいることが出来、
 
人にも自分にもやさしくなれるということです。
 
そして、そういう状態にいると必要なものは(物質的にもお金も)
 
必要なときに、必要なだけ、手に入るのです。
 
だから、常にエネルギーが満タン状態になりますので、人から
 
搾取しようなどと思うことなく、反対に人に差し上げることが出来るのです。
 
好きなことをして楽しんでいると、お金が入ってくるということなのです。
 
 
お金をいまいくら持っているかではないのです。
 
お金を循環させるということです。
 
お金を循環させるというのは、先ほどもお伝えしたように必要なものは、

必要なときに、必要なだけ手に入るという
ことなのです。
 
すごく簡単に言うと、常に必要なお金が入ってくる財布を持っている

ような感じです。
 
いつも必要なお金が財布に入っていると思うと安心?

して
いられますね。
 
何も心配することもありませんから気持ちも豊かでいられます。
 
そうなるととてもやさしい気持ちでいることが出来ます。
 
 
お金持ち=やさしいではないことはお分かりだと思います。
 
お金持ちではなく、お金(物質も含めて)の循環が出来ている
 
状態が幸せで豊かで満たされた幸せな状態ということです。
 
そうなれば人にも自分にも寛容で親切でいられるということです。
 
 
お金があるから幸せで人にやさしくなれるのではないことは
 
理解していただけましたでしょうか?
 
満たされているから自分も他の人も尊敬できるし、尊重できるし
 
エネルギーを差し上げることが出来るのです。
 
 
だから、欲しがってください。
 
好きなことをしていてください。
 
(一時的な享楽を求めるのではなく)
 
そうすればあなたの必要なものは常に手にすることが出来ます。
 
そうすればエネルギーは満たされ人にもやさしくすることが出来ます。
 
先ほどからやさしくという言葉を使っていますが、何かをしてあげる

ことがやさしさではないことは理解してくださいね。
 
やさしいということは、その人を尊重し、尊敬するということです。
 
 
結論を言うと、あなたの中が満足のエネルギーで満たされていると
 
すべては気持ちよく循環してくるということです。
 
人との関係も風通しの良い気持ちの良いものになります。
 
気持ちの良い関係というのはお互いを尊重し合うということです。
 
尊重し合うことがやさしさなのです。
 
 
もっとお話ししたいことがあるのですが、また長くなってしまいますので

今日はこのくらいにしたいと思います。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 

ありがとう、アシュタール!感謝します。

マイコメント

何となくしっくりこなかった人もいるかもしれませんが、言葉の壁ですね。

そして、これまでの体験が人それぞれ異なり、見る視点が違っているから

ということも言えると思います。

確かにお金がないよりあった方がこの世はリッチに生きられ、欲しいものが

自由に手に入ります。

お金というものはないと不思議なことにもっと欲しいと思うようになります。

しかし、ある程度のお金があって多少の不自由はあってもとりあえず欲しい

ものが手に入るような環境になると、なかった時に比べ欲しいと思うことが

少なくなります。ゼロではないですが、いつもいつもお金のことを考えている

というような状況ではなくなります。

その違いだと思います。

アシュタールが必要な時にはお金はいつでも手に入ると思うならば、お金が

欲しいと思うことも減り、他人にもやさしくなれます。

という状態に近いものです。

もっとも、お金が十分あっても優しくない人はいます。

それは除外して、それ以外の人は気持ちに余裕ができるので他人に対して

寛容になれます。

以前はちょっとした一言で腹を立てていたのがそうしたことも減ります。

お金をを欲しがるというのはないから欲しがるものです。

今少ししかないと思ったり、今月は足りないと思ったり、毎月もらうサラリーが

少ないと思ったときにもっとお金が欲しいと思います。

それが今手元に100万円あれば今月は食べたり、好きなことをするだけなら足りる

はずなのでお金が欲しいとは思いません。

ただし、それ以上に新居が欲しいとか高級な車が欲しいと思えばお金が欲しいと

思う人もいますが、それは求めるレベルの違いによるもので、際限はありません。

その場合、どこまで行ってもこれでいいというものはありません。

そして、それはその人によって違いますので、どこまで求めるかです。

多くを求めないなら十分満ち足りた気持ちになれるはずです。


ミナミさんの前回の記事は「ご機嫌さんとお金」に関してでしたが。ご機嫌さん

とお金があることとは違うということでした。

しかし、その前にはお金があればご機嫌さんになれるとアシュタールが語って

いるわけですから、どちらが本当?というのが今回の質問主さんの疑問点

だろうと思います。

まず、お金があれば気持ちに余裕が少しできるので精神的に安定するという

ことはあると思います。そうすると、今まで不満に感じていたことも不満に

思えなくなります。そういう意味ではご機嫌さんに一歩近づいたことになると

思います。

しかし、だからと言ってお金があればご機嫌さんになれるとお金を追い求め

始めた瞬間からご機嫌さんからは遠ざかります。

それはお金を手に入れることが目的になってしまい、楽しむためにという

目的を遠ざけてしまうからです。


たとえば、ダンスが上手くなって色々な人とスキンシップを楽しみたいという

目的があったとします。しかし、ダンスを覚えるためにはスクールにも通う

必要があるし、ドレスや靴も必要になります。

ましてや、社交ダンスなんかはそれ相応にお金がかかるでしょう。

でも、今それほど余裕がないとするなら、倹約して費用を捻出するか新たに

バイトをして稼ぐかなどの手段を講じないといけないでしょう。

そうすると、ダンスを覚えるという目的は置いておいてお金を稼ぐ、倹約する

ということが第一目標になりダンスはその後ということになります。

しかし、そこでお金を稼ぐことに集中しダンスを覚える目的を忘れてしまったら

楽しくなくなるでしょう。

ダンスを覚えるという目的を忘れず、それを楽しいこととして描きながら

バイトをするならその瞬間は楽しいバイトになるのではないでしょうか?

ということです。

ご機嫌さんというのはその人の心の状態になるので、ダンスを覚えることを

忘れず夢見ながらいる状態は楽しいものです。

ダンスを覚えたらここへ行こうとか、パーティに行くとか、ダンスコンクールに

出ることも夢ではありません。そして、そこで新たなパートナーと出会えるなら

さらに楽しいものになるだろうと思います。

そう思うことがワクワクすることだと思いませんか?

そうなればいつもが楽しい時間になります。

その時点でお金は二の次になります。それを続けていけばある日今の給与でも

安く覚えられるスクールが誰かから紹介されたとかということも起きます。

では、お金がたくさんあればダンススクールに行くのがとてもご機嫌さんに

なるかと言われれば、そうでない場合もあると言えます。

つまり、ダンスを覚えて何かをする、新たな出会いを求めるとか、コンクール

に出て入賞を目指すとかという目的がないからです。

お金があってダンスを覚えられたら、どうするかが問題だと思います。

楽しみやご機嫌さんというのは自分が何かの目的を求めて達成するときに感じる

喜びでもあります。

毎日、ただいつもと同じ道を往復して仕事をするために通うのは単調であり

楽しいことではないです。

でも、そこに仕事帰りに楽しむ目的が見つかれば仕事も苦でなくなります。


長くなりましたが、私の考えではそうだということです。

違う考えをお持ちの方もいらっしゃると思いますが、それはそれでいいと

思います。





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