世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:外の広い世界を感じるためには・・・」

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明智光秀 アセンション

光秀の頭が剥げているのを信長が酷くなじった???

日本の歴史の最大のミステリーと呼ばれている(らしい)
 
本能寺の変・・・
 
 
このブログをお読みいただいているみなさまは
 
本能寺の変は信長さん、秀吉さん、家康さん、そして光秀さんの
 
計画だったというさくやさんの説はご存じだと思いますが・・・
 
 
巷では諸説が入り乱れているようで・・・
 
その中で面白い説があるとワークショップにご参加
 
いただいた方から教えてもらいました^^
 
 
なんと・・光秀さんの髪が薄い(剥げている)ことを
 
信長さんがみんなの前で何度もしつこくからかったことに
 
腹を立てた光秀さんが謀反を起こしたとか・・
 

これに関してさくやさんが答えてくれましたので
お伝えしますね^^

「外の広い世界を感じるためには・・・」by さくやさん

 
「あのね、価値観がちがうの。
 
いまのあなた達の価値観で考えても何もわからないわよ。
 
 
信長君の頃(戦国の世)では髪が薄いことはなんでもないこと
 
だったの。
 
髪が薄いことが恥ずかしい?からかわれること?っていう
 
価値観はなかったのよ。
 
 
その価値観はいまのあなた達のものであって、その頃の人たちは
 
そんなことまったく気にしていなかったわ。
 
髪が薄いけど、それが何か?・・って感じよね。
 
だから、髪が薄いからって信長君が人前でからかうということも
 
考えもしなかったし、万が一にも信長君がそんな発言をしたとしても
 
まわりもとくに反応しないし、言われている本人にも悪意で
 
言われているなんて思いもしないわ。
 
だから、それに腹を立てて謀反を起こすなんてことはないわよね。
 
 
あなた達の持っている価値観で考えると訳が分からないと思う
 
ことがたくさんあるのよ。
 
特に歴史についてはそうね。
 
当時の価値観といまの価値観は違うんだから、いまの価値観に
 
当てはめて考えても答えは見つからない。
 
 
姿かたちに関する価値観?美醜?も相当違うでしょ?
 
昔の美女と呼ばれている人の姿かたちはいまの美女と呼ばれる
 
姿かたちとは大きく違っているでしょ。
 
時代だけじゃなくて地域によっても違ってくる。
 
首が長いほど美女だとされる地域もあるし、下唇が大きいほど
 
美しいとされる地域もある。
 
ふくよかな人がステキだとされる地域もあるのよ。
 
姿かたちの価値観、基準なんてそのくらいあやふやなものなの。
 
 
これは余談だけど・・
 
だから、姿かたちで悩む必要なんてないのよ。
 
みんなが同じ姿かたちなんて反対におかしいんだから・・
 
 
常識と言われるものもそうよね。
 
国、民族、地域によって違うでしょ。
 
自分たちの常識が正しいなんて思っているとそれを常識だと
 
思っていない人とはケンカになってしまうわ。
 
お互いの常識を主張しあうだけの無意味なケンカよね。
 
常識なんてそのくらいあやふやな頼りないものなのよ。
 
 
話がそれたから元に戻すけど、
 
すべての時代、すべての地域の人がいまのあなた達の価値観と
 
同じだと思い込んでしまわないでね。
 
いまのあなた達の価値観も後になったら変わっていくんだから。
 
 
いまの価値観を当てはめて、そこから考えようとしないでね。
 
自分の価値観とは違う視点から考えられるようになれば、
 
もう少し世界は広がるわ。
 
分からないと思うこともわかるようになるから。
 
 
自分の価値観、常識、倫理観、道徳観、物の見方考え方に
 
頑なに固執しないでね。
 
世界がせまくなるだけだから。
 
柔軟さをなくしてしまうから。
 
 
あなたの外には広い世界があるの。
 
その世界を感じるためには、いま握りしめているあなたの
 
価値観、常識、倫理観、宗教観、道徳観、考え方を横において
 
違う視点で考えてみる柔軟さが必要なのよ。
 
 
だから(話を戻すと)、本能寺の変が起きた理由として、
 
髪が薄いとからかわれたため・・というのはムリがあるわね。
 
 
あなた達をこころから愛してるわ~~」
 

ありがとう、さくやさん!
私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^

マイコメント

ネットで調べてみると、この説はかなりいっぱいありますね。

本当に真剣に論じています。

私もこの話はよく知らなかったのですが、さもありなんと思ったほどです。

確かに、当時の侍の頭は前の方から後方に向かって剥げていて、後ろでちょんまげを

結ってあります。だから、当時は剥げているのは当たり前であっただろうと思います。

その光秀の禿げ頭を隠すカツラを信長が頭を叩いた拍子にポトンと落ちた???

のを恨んだという話もあるようですね

 信長の家臣・稲葉一鉄の子孫らが書き残した『稲葉家譜』。そこには光秀を「本能寺の変」へと駆り立てた動機が明記されている。その現代語訳は次の通り。

「……信長は光秀が法に背いたのを怒って呼びつけると、譴責してみずから光秀の頭を二、三度叩いた。光秀は髪が薄かったのでいつも附髪を用いていたが、このときそれが打ち落とされたので、光秀は信長の仕打ちを深く恨んだ。謀叛の原因はここに起因する……」

 光秀は附髪=カツラを落とされたことを恨んで信長を討ったというのだ。月代を剃り髷を結った武士のカツラ姿とは、イメージしづらいものがあるが……。

 通説では当時光秀は55歳。実は光秀の年齢について「67歳だった」とする説があり、近年はこちらのほうが有力となっている(*)。67歳であれば、髷が結えないほど禿げていたとしても不思議ではない。

引用:明智光秀 「本能寺」はカツラの恨みで決意したという説

今の常識で考えれば、それは怒って当然と誰しもが思うだろうし、それに触発されたのか

いろんな裏付け資料を探しては理由として確立させたのでしょう。

でも、さくやさんによって謎が解けてよかったですね。

過去のことを詳細に知るさくやさんでなければ迷宮入りになるところでした。

それにしても、光秀より信長の方が禿げている画像が多いような(笑)。


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