世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:どうして白じゃなききゃダメなんですか?」

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疑問を感じる アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:どうして白じゃなききゃダメなんですか?」

情報を自ら取りに行く人との違い

自分から情報を取りに行く人と思考停止の人とは
どこが違うの? どういう違いがあるの?
・・というご質問をいただきました^0^

ではアシュタール、そこのところよろしく
お願いします^^

「どうして白じゃないとダメなんですか?」by アシュタール

 
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します
 
意識の違いだけです。
 
なぜ?と思えるか思えないかの違いなのです。
 
なんだかわかったようなわからないような答えに
 
なってしまいましたが・・・
 
 
たとえば校則で白い靴下しか履いてはいけませんと
 
言われたとします。
 
そこで、はい、わかりましたと答える人と、
 
え~どうして白しかダメなんですか?紺はだめですか?
 
と聞く人の違いだと思っていただければわかりやすいかと
 
思います。
 
 
白だけです・・と言われたときに何も考えずに従うように
 
教育されているのです。
 
どうしてですか?と聞く生徒はめんどくさい生徒と
 
して認識されます。
 
だから、どうして?って思っても口に出すことが
 
はばかられ、心の中では文句を言いながらも従って
 
いたら楽だから(先生から目を付けられることもないし)
 
という理由で従っていくのです。
 
それが習慣になってしまうと心の中でも考える(文句を
 
いう)こともなくなってしまいます。
 
それが思考停止なのです。
 
 
でも、どうして白だけなんですか?紺ではだめですか?
 
そもそも靴下の色まで指定される意味がわかりません。
 
靴下の色によって何か学校に?勉強することに不都合が
 
あるのですか?と口に出して先生に言う生徒がいたら
 
どうでしょうか?
 
別に生徒は先生にケンカを売っているわけではありません。
 
ただ純粋に自分が感じた疑問をきいているだけなのです。
 
だから先生も困りますね。
 
先生自体もどうしてなのかを考えていないからです。
 
 
そして、その疑問を口にすることで他の生徒(何も
 
考えずに白が当たり前、白しか履いてはいけないと
 
従っていた生徒)も、その疑問に刺激され、本当だ、
 
どうしてダメなんだろうと考えはじめることもあります。
 
もちろん考えない人もいます。
 
 
そして、どうして白じゃなきゃダメなのですか?と
 
考える生徒が増えれば、先生も考えざるを得なくなります。
 
別に生徒が反抗して白だけじゃなく、紺も、赤も認めろと
 
デモをしたりしなくても生徒たちの純粋な疑問が
 
先生たちの思考も動かすことになるのです。
 
 
一人の人の純粋な疑問、おかしいという気持ちが
 
周りの人を刺激するということです。
 
ここで、ムリヤリ周りの人たちに賛同を得ようと
 
する必要はありません。
 
賛同を求めないでください。
 
ムリに賛同を求めたりすると反発の気持ちが出てしまい
 
そのことに関して考えるのではなく、どうこの場を
 
逃れようとか、言い返そうとかの反応になってしまいます。
 
ただどうしてですか?・・と文句ではなく冷静に問いかける
 
だけでいいのです。
 
 
あなたが冷静に淡々と疑問を持ち口に出したり行動する
 
ことでそれが刺激となって周りの人たちも変わってきます。
 
静かな波が立ってくるのです。
 
 
それで社会が変わっていくのです。
 
大きな声で叫ぶ必要はありません。
 
強硬的な行動に出ることも必要ないのです。
 
静かに淡々と口に出したり行動してください。
 
 
すぐに反応が出ることはなくても、あなたが誰かを
 
刺激したことでゆっくりとでも反応が起きてきます。
 
急がないでください。
 
急いで反応してもらおうとするとムリが出てきて
 
波が起きなくなります。
 
 
いまの社会がおかしいと思うならば、おかしいと思う
 
ことをおかしいと口にしてください。
 
ケンカを売るのではありません。
 
ただおかしいと思います・・と言ってください。
 
そのあなたの言葉や行動が刺激になって、
 
どこかモヤモヤとおかしいなと感じているだけの人や
 
こころの中ではおかしいと思いながら従っている
 
人たちも変わってくるのです。
 
 
私は前に考えるだけでいいのです・・とお伝えしたことが
 
ありますが、考え、思考が変われば出す言葉も
 
行動も変わってきますので(それもムリに言葉や
 
行動を変えようとしなくても無意識に変わってきますので)
 
考えるだけでいいのです。
 
考え(思考)が変われば意識しなくても(頑張らなくても)
 
言葉も行動も変わってきます。
 
 
思考を変えるには、どうしてという疑問を持つことです。
 
疑問を持つことが出来れば思考は変わります。
 
当たり前だと思っていたことにちょっとどうして?
 
と思う感性を持ってください。
 
 
あなたがどうして?と思うことが出来るようになれば
 
周りの人もどうして?と思うことが出来るようになります。
 
思考が動き出すのです。
 
そうして徐々に社会は変わっていきます。
 
これが一番早く社会を変える、支配者とすみ分ける、
 
社会からそっと離れる、彼らの前から消えるという
 
ことなのです。
 
 
疑問を持ってください。
 
お茶目に従わないでください。
 
どうしてですか?と聞けるめんどくさい人に
 
なってください。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 

ありがとう、アシュタール!感謝します。

マイコメント

多くの人がそうであるように、疑問を持たないということが問題なのです。

先日の超次元ライブであったように99.9%の人が疑問を持たずに生きているという

あつしさんの言葉にあるように、私たちは飼われた従順な羊と化してしまっています。

残りの0.1%の人が疑問を持って考え調べ、そして自分なりの結論を導き出しています。

わずか0.1%ですよ!

しかし、それでも、今回の質問主さんのように「自分から情報を取りに行く人と

そうでない人との違いはどこにあるのですか?」と疑問を呈するならばまだいいです。

それすら思わない人がいますからね。

気付けない人にはいくら説明しても100人中一人くらいしか気づかないでしょう。

説明してもそもそも理解しようという気持ちはないし、陰謀論とか間違っているとか

テレビや新聞を見ているのか?と逆に食ってかかれるでしょう。

それが今の日本です。

テレビの評論家のいいかげんなことは何か事件があって、その論評をしたとしても

その後、それが間違っていたとしても「ごめんなさい」と言うわけでもないし

訂正することすらありません。言いっぱなしです。

それでも、様々な評論を何食わぬ顔をして続けていくんですからね。

無責任も甚だしいところです。

私たちはそれでもそのような評論家の発言を続けて信じるのですから

それもおかしいものです。

結局は疑問が持てない限り何の進歩も変化もないということです。

自分が思考停止になっていることすら気付けないのですから。

ともかくあらゆることに疑問を持つ癖をつけましょう。

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