破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:カルマ=負債ではありません」

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かるま アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:カルマ=負債ではありません」

今日の破・常識!

あなたが出したエネルギーに相応したエネルギーが

 
返ってくるということはあります。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。  


「カルマ=負債ではありません」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

 
カルマという概念は宗教的な輪廻転生から来ている


・・ということで理解してよろしいでしょうか?

 
過去生で何か悪い(宗教的な観点から)ことをしたから


いま苦しい思いをしている。

 
過去生で人を殺めてしまったから、腕に傷がある。

 
・・という概念で言えば、まず過去生というものがありませんので


カルマは存在しないとお伝えしたいと思います。

 

そうではなく、因果関係としての意味でカルマという言葉を

 
使っていらっしゃるならば、それはあります。

 
ただ、あなた達は、カルマというと


何か悪いことをしたために起きてくる悪い現象という


イメージでとらえているようですが、悪い(と思われる)


現象だけではなく、良い(と思われる)現象も起きてきます。

 
カルマ=負債、ではありません。

 
この因果関係という意味では、出したもの(エネルギー)が


返ってくるというのは波動エネルギーの観点から見て真実です。


あなたが誰かに怒りのエネルギーを放出したら

 
その出した方からもあなたに向かって怒りのエネルギーが

 
返ってくるということです。

 
反対に、あなたが笑顔を向ければ、その方からも笑顔が返ってきます。

 
純粋な笑顔(作られた笑顔や皮肉の笑顔などではなく)


を向けられた人が怒りのエネルギーを返すことはありません。

 
わかりますか?

 

あなたが放出したエネルギーが、あなたに返ってくるということです。

 
これは善悪ではありません。

 
あなたの放出したエネルギーへの反応なのです。

 
気持ちの良いエネルギーを放出すれば、


まわりの人たちもそのエネルギーに共振して気持ちがよくなります。

 
ですから、あなたもまたそのエネルギーに共振して


気持ちがよくなるのです。

 
与えたエネルギーという言葉には違和感がありますね。

 
与えたというと、上から目線の、意図的な感覚がしますが


そうではありません。

 
与えたではなく、出した(放出した)というほうが

 
すっきりとするのではないでしょうか?

 
あなたがまわりの人に対して


(人だけではなく、すべての存在に対して)出した

 
エネルギーを感じて(共振して)


まわりの人のエネルギーも変わるのです。

 
それが、因果関係ということです。

 
もし、あなたが誰かから怒りなどの重いエネルギーを感じても

 
そこでエネルギーを変えてあなたが違う軽いエネルギーを出せば

 
また現象は変わってきます。

 
同じように怒りのエネルギーに共振して怒りのエネルギーを出せば

 
またそれに共振してその人ももっと強く怒りのエネルギーを

 
返してくるということになります。

 
でも、そこであなたがエネルギーを変えて


怒りのエネルギーではなく調和のエネルギーを出せば、


怒りのエネルギーはなくなっていきます。

 

カルマ(負債)という宗教的な概念は、


あなた達に深く刷り込まれてしまっています。

 
悪いことをすれば、悪いことが起きる・・これは脅しなのです。

 
悪いこと・・それは宗教的な判断による善悪です。

 
その宗教的な教えによる善を行っていれば、


カルマは解消され良い世界に行ける・・ということです。

 
悪いこと・・神(仏、教祖、経典)などで教えられている


考え方に従わないことです。

 
それに従って入れば幸せになれ(死後も天国に行ける)が

 
従わなければカルマを積むことになり、悪いことが起きたり

 
死後地獄に落ちたり、生まれ変わっても


苦しい環境に身を置くことになる・・という脅しの概念です。

 

何度もお伝えしますが、そのような概念のカルマはありません。

 
ただ、あなたが出したエネルギーに相応したエネルギーが

 
返ってくるということはあります。


理解していただけましたでしょうか?

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 


ありがとう、アシュタール!

マイコメント

カルマという言葉はかなり浸透していて、誰もがカルマを恐れていると思います。

だから、悪い行いをしないようにときをつけているとは思いますが

それでも世間一般常識からすれば誰もが悪い行いの一つや二つはしていると思います。

何から何まで善行であるということは大体が不可能なことでしょう。

上司から仕事である会社の重役に賄賂を頼まれたとしても、仕事を引き受けなければ

降格にすると言われれば従う人もいるでしょう。

悪いことなんてちょっとしたことだって悪いことです。

人の陰口を言う、人をいじめる、軽犯罪法すれすれの行為を行うなど枚挙に

いとまがないほど私たちはカルマを受けてもいいことをしています。

もし、カルマが事実なら私たちはその反発で生きて行くことされ困難になるはずです。

でも、そんなことはありませんね。

だから、宗教的なカルマというのは存在しないのです。

カルマがあると思うのは自分がその事実をカルマだと思うからです。

そう思わなければカルマなんて存在しません。

ただ、アシュタールの語っている相手からの反応としての反発はあります。

それをカルマと混同しないようにしましょう。



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