破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:横並びの個の時代」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:横並びの個の時代」

今日の破・常識!

お金というものを使わなくていい社会が良いなぁ~と思うならば

 
提供しあう社会を先にイメージしてください。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。  

vol.1490 横並びの個の時代

「横並びの個の時代」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

 

横並びの個の時代は、提供しあう社会です・・と


お伝えすると、私には何も人に提供できるようなことがありません、


・・とご心配される方がいらっしゃいます。


何も心配はいりませんので安心してください。

 
提供するということは、何か特別なこと


特別な技能だけではありません。

 
あなたが出来ることを提供すればいいのです。

 
でも、出来ることなどないのです・・と、おっしゃいます。

 
出来ることがない方などいません。

 
あなたが出来て当たり前だと思っているからです。

 
自分に出来て当たり前のことは、


他の人も当たり前に出来ること・・

 
と思い込んでしまっているのです。

 
ボタンがとれてしまって、ボタンをつける・・


あなたはそんなことは簡単に出来ます・・


と思っているかもしれませんが、ボタンをつけることが


苦手でやりたくないと思う人もいるということです。

 
ならば、ボタンをつけるということを提供してください。

 
植物を育てるのが得意な方は、植物を育てることを楽しんでください。

 
あなたが育てた植物を見た人が、ほっこりとした気持ちになる・・

 
それも、提供していることになるのです。

 
何か形あるものを提供することだけが、


個の時代の提供するということではありません。

 
いまの社会のように、はっきりとした利益?だけを


提供するのではないのです。

 
あなたが何気なく歌っている歌、ハミングを聞くことで、


あなたの楽しいエネルギーが他の方にも共振して


その方も楽しくなる・・・それも提供することになるのです。

 
ちょっとだけ、子どもを見ていてくれますか?と言われて

 
良いですよと、子どもをみていることも提供することになるのです。

 
重いものを持って差し上げることも提供することなのです。

 
提供しあう社会・・と言っても、


そんなに難しく考える必要はありません。

 
他の人がちょっと手伝ってほしいと思うことを、

 
お互い提供しあえばいいだけのことです。

 
ちょっと手伝ってほしいと思うことは、生活の中にあります。

 
生活の中のちょっとしたことなのです。

 
ちょっとしたことを手伝いあえる(提供し合える)社会なのです。

 
だから、何か特別な技量や、特別なことが出来ないから、

 
私はその社会にはいられない・・などと思わないでください。

 
あなたが毎日の生活の中で、何気なくしていること


楽しんでること、ただそれを提供すればいいだけのことです。

 
そして、あなたが苦手だと思うこと


あまり好きではないと思うことを

 
それを他の人にお任せすればいいのです。

 

横並びの個の時代・・そんなに特別な社会だと思わないでください。

 
特別な、いまとはまるで違う社会だと思ってしまうと


難しいと思ってしまうと、ブレーキを踏んでしまいます。

 
いまの生活の中でも十分に出来ることです。

 
ちょっとだけ、いまの生活の中で


お互い手を貸しあえばいいだけのことです。

 
手を貸し合うことが自然に出来るようになれば、

 
すぐに提供し合える個の時代の社会になります。

 

ちょっと前の生活がそうでした。

 
じょうもんや江戸ほど昔ではなく、何十年か前は

 
そのような社会だったのです。

 
その頃の人たちに、その頃の生活、人々の関わり方を

 
聞いてみてください。

 
そうすれば、イメージが出来ます。

 
イメージが出来れば、現実化することが出来るのです。

 
私たちが提唱する個の時代は、特別な社会ではなく、

 
ちょっと前まであなた達がしていた生活だということです。

 
お金という概念があっても、無くても、出来る社会なのです。

 
お金はただの手段です。

 
お金というものを使わなくていい社会が良いなぁ~と思うならば

 
提供しあう社会を先にイメージしてください。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」


ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

そうですね。

少し前の昭和のころはそうした時代でした。

戦後の昭和20年代から40年代までは互いに助け合う心がありました。

ご近所さんがそれぞれともに存在する共同体と言う意識があったのです。

もちろんみんな仕事をしているのでその仕事によって収入が決まり、中には

仕事もない人がいたので貧富の差はありました。

小学校でもお弁当の時間に弁当を持ってこない人がいたりしました。

弁当を見ても卵が入っているかいないかでその子の暮らしがわかります。

でも、そうした時代にあってもご近所さんがそんな人に夕飯を作りすぎたからと

分けてあげたり、何か余り物があれば差し上げるということは普通に行われ

上げた方も見返りを期待したり金品を求めることもありません。

ごく普通のこととしてあったことでした。

私の実家からも季節になれば農家だったのでその時節の野菜を持ってきて

くれることも普通でした。

ただ当たり前のように行われていたことです。

15年くらい前に会社を辞めた女性の同僚が長野に移り住んでしばらくしてから

遊びに行ったことがありましたが、車で観光地に向かう途中で知り合いの人と

出会うと、玄関に今日採れた野菜置いておいたからねと声をかけられるような

様子があり、まだこの地域ではそうしたことが生きているんだなと思わされました。

だから、考え方ひとつのように思います。

今は何かとお金で解決しようとするのと何がしかの見返りを互いに要求してしまう

考えが根底にあるので難しい面があると思います。

でも、そうした考えを少し緩めて施しではなくただ差し上げるという気持ちが持て

見返りを別に期待しなければ出来るだろうと思います。

考え方一つです。

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