世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:0か100ではないのです」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:0か100ではないのです」

ミナミAアシュタールRadio128

「過去のエネルギーラインを切る」

vol.277 「死んだらどうなった?」
vol.278 「過去のエネルギーラインを切る」


ひとりになりたいと思う人と、一緒にいたい人、これはどちらの意見を尊重するべきなのか?

今私の疑問とするところなのですが、
 
お互いに丸い社会にいきたいと思っている価値観の
 
違う二人がいたとして、無理やりですが、
 
一人は一人でいたいと思っている、
 
もう一人はそのひとりでいたい人と仲良くなって
 
気心知れる仲になりたいと思っている、
 
とした場合、尊重とはなんなのでしょうか?
 
 
一人でいたいのだから放っておく?
 
仲良くなりたいのだから好きにさせておく?
 
 
一人でいたい人を尊重したら、仲良くなりたい人の
 
想いは尊重されないですし、仲良くなりたい人を
 
尊重したら一人でいたい人は尊重されないですよね・・。
 
どうしても矛盾しているし、いい悪いじゃないところは
 
わかったところで???となっています。
 
 
こちらで、あつしさんが以前に自分の場所で
 
何をしても自由、とおっしゃったときにも
 
少しだけ感じました。
 
それはそうですし尊重されるべきですが、
 
それでも表現の自由があるように他の意見や考え方を
 
表現する自由もあるわけで、それをさせないのも
 
傲慢だと思います。
 
 
私も傲慢ですのであつしさんが特別とか
 
誰が特別とかはないのです。
 
ただ、どれも正しいどれもおかしいとしても
 
どうしても重なり合う矛盾の部分は
 
アシュタールはじめ高次元の方はどうお考えでしょうか・・?
 
この次元が面倒くさいのでしょうか・・?
 
こちらを立てるとこちらが立たず・・、
 
離れる、放っておく、干渉しない、それはそうとしても、
 
???です。
 
 
自分が嫌だと思ったらもしくは嫌だと思う人が
 
仲良くなりたいと近づいてきたらその度に離れる、
 
一人でいたいと伝える、仲良くなりたいと思う人だったら
 
受け入れる、ただそれだけです、シンプルです、
 
ということなのでしょうか・・?
 
でもそれですと贔屓とか差別とか、こっちの人とは
 
仲良くするのにこちらは・・となってはじかれる人が
 
でてくるのでは・・?それはそれでしかたないし
 
よいってことでそれも放っておけばいいのでしょうか・・・?
 
みんなと仲良くとは全然思っていないのですが、
 
うまい対応や関係性の築き方、離れ方がわからないのです。
 
 
・・というご質問をいただきました^^
 
 
ひとりになりたいと思う人と、一緒にいたい人、
 
これはどちらの意見を尊重するべきなのか?ってことかな?
 
 
では、アシュタール、よろしくお願いします^^

「0か100かではないのです」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します
 
極端に考えないでください。
 
あなた達はよく0か100かというような考えをするようです。
 
 
ひとりになりたい人はずっとひとりでいたいということは
 
ないのです。
 
ひとりの時間が好きだけど、ずっとひとりでいたい
 
ということはないのです。
 
ひとりでいる時間の割合が多いだけという言い方も出来ますね。
 
そして、ひとりでいたい時間が多い人も誰かといたいと思う
 
こともあります。
 
ひとりが好き、ひとりでいる時間が割と多い人は人を
 
拒絶しているわけではないのです。
 
 
またひとりよりも誰かといたいと思う人もいます。
 
その人もずっと年がら年中、四六時中誰かといたいと思っている
 
訳ではありませんね。
 
誰かと一緒にいる方が好きな人もたまにはひとりになりたいと
 
思うこともあると思います。
 
その時々によって違うのです。
 
 
だから、話をしてくださいとお伝えしているのです。
 
ひとりになりたい人とも気心知れる仲にはなれます。
 
お互いの気持ちをしっかりと話し合い、お互いのその時の状況に
 
よっていろいろすり合わせをすればいいのです。
 
どちらかが我慢してくださいと言っているのではありませんよ。
 
どちらも我慢せず、満足できる方法をふたりで考えてくださいと
 
お伝えしているのです。
 
まったく同じ考えの人はいません。
 
似ている人はいますが、でも必ず違うのです。
 
その違いがまた面白いのです。
 
その違いをどうやってお互い満足できるかを考えることによって
 
またお互いを理解し合うことができ、もっと深く気持ちの良い
 
コミュニケーションを取ることができるのです。
 
 
そして、合う合わないがあることも理解してください。
 
どちらかが一方的に好きということはあまりないのです。
 
たとえば、好きな人が自分を振り向いてくれないということは
 
あると思います。
 
そういう時はどうして?って思うと思います。
 
何とか振り向いて欲しいと思うと思います。
 
そして、振り向いてくださいと言ってもイヤですと言われる
 
事もあります。
 
そういう時はどちらの気持ちを尊重すればいいのですか?という
 
ご質問だと思うのですが、一方的に好きという気持ちは尊重
 
ではありません。
 
私が好きだって言ってるんだから、それに応えてくれても
 
いいでしょう・・という気持ちはコントロールになってしまいます。
 
分かりますか?
 
 
好きという気持ちは押し付けるものではないのです。
 
好きだという気持ちに応える必要はないのです。
 
そして、好きです、好きです、あなたと一緒にいたいのです。
 
私の気持ちを尊してくださいといわれるとコントロールの
 
エネルギーを感じて離れたくなります。
 
 
好きだと思う気持ちを持てた自分を楽しんでください。
 
あなたの事が好きです・・という気持ちを楽しめるならば
 
その人が振り向いてくれなくても十分に満足できるのです。
 
だから、コントロールのエネルギーが出ませんので、その人も
 
自然にあなたと一緒にいる気持ちになるかもしれません。
 
ならないかもしれません。
 
でも、それはあなたには関係のない事なのです。
 
 
>贔屓とか差別とか、こっちの人とは
 
仲良くするのにこちらは・・となってはじかれる人が
 
でてくるのでは・・?それはそれでしかたないし
 
よいってことでそれも放っておけばいいのでしょうか・・・?
 
 
に関しては申し訳ありませんが私にはよくわかりません。
 
仲良くする人としない人はいます。
 
それは合う合わないということですね。
 
そして、あの人は仲良くしているのに、この人は仲良くしない
 
という気持ちは取り合いということでしょうか?
 
どうして人を取り合いしなければいけないのでしょうか?
 
3人いたとしても、AさんとBさんが仲良くして、また別のところで
 
AさんとCさんが仲良くすればいいのではないでしょうか?
 
どうしてAさん、Bさん、Cさんが一緒に同時にいつも仲良く
 
しなければいけないのでしょうか?
 
何故3人一緒にいなければ贔屓されたとかはじかれたという
 
事になるのでしょうか?
 
もし、AさんがBさんと仲良くしたいと思って一緒にいるけど、
 
AさんはCさんとは合わないなと思えばCさんとは仲良くしませんね。
 
それはAさんの事情であって、Bさん、Cさんには関係ないのです。
 
取り合いする必要はありません。
 
あちらを立てるとこちらが立たない・・という考える必要はないのです。
 
人を立てるために自分を我慢することになります。
 
人を立てると考えるよりも自分がどうしたいかを考えてください。
 
素直に自分が思っているようにすればいいと思います。
 
あなたが素直に行動することに違和感を感じる人はあなたから
 
離れて行きます。
 
誰かが素直に表現していることに違和感を感じたらあなたもその人
 
から離れるでしょう。
 
それは良い悪い、どちらが正しい、間違っているということではなく
 
ただ合わないというだけの事です。
 
どんなに波動領域が軽くなっても合う合わないはあります。
 
それも100%合わない、100%合うということはあり得ません。
 
合うところと合わないところがあるということです。
 
ですから、合うところではお付き合いしますし、合わないなと
 
思うところは離れていましょうということです。
 
 
0か100ではないのです。
 
 
>ひとりになりたいと思う人と、一緒にいたい人、
 
これはどちらの意見を尊重するべきなのか?
 
 
話し合ってください。
 
それでどこでどうすり合わせればお互い納得できるかを
 
探してください。
 
どちらかの意見を100%通す必要はないのです。
 
それは尊重にはなりません。
 
それは従順ということになります。
 
それでは良い関係は出来ません。
 
 
そして、合わないと思うところは離れ、合うと思うところ、
 
一緒にいたいと思うところは一緒にいればいいのです。
 
とてもシンプルです。
 
 
とにかく、0か100かという極端な考え方を手放して
 
いただければもっと楽しくなると思います。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。  

マイコメント

これは教育の弊害とも言えますね。

今の学校教育は必ず質問に対する解答がありますが、それはほぼ一つです。

それ以外の解答は例外で合って正解とはされません。

一昔前ならそういう解答をすると先生は丸をくれました。

それは独自性があっていいという判断からです。

だから決して例外となる解答を認めないということはありませんでした。

今は解答に中間は無いのです。

必ず0か100のどちらかです。

その思考が沁みついているために歩み寄りとなる考え方が出来ないでいます。

これがダメならすべてダメという考え方です。

これがダメならこれでもいいのではないかという柔軟性が欠けています。

そのために0か100かのどちらかに決めないといけないという思考になります。

私は3人いて一人が私を好きでもう一人が私を嫌いで、その二人は好きで

あったとしてもかまわないと考えます。

しかし、どこかで嫌いであっても考えが刷り会うときはあります。

そんな時にはお互い嫌いだったということはどうでもよくなります。

つまり、一時的な感情なのか絶対に嫌だという感情なのかです。

もし、絶対に嫌だとなれば相手から近づいてくることはありませんので

放っておきます。

無理強いしても亀裂が広がるだけです。

そのままにしておきましょう。

そして、いつかどこかですり合うときも出てくることでしょう。

それでいいのです。


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