世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ワクチンは身体にとって毒素??」
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ワクチンの副反応が強いほど効果が期待できるって?
「ワクチンは身体にとって毒素??」by アシュタール
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私たちは子供のころから、また医学教育では「ワクチンで免疫力をつけ感染を予防できる」と
教えられていますが、実際にはそのようなことはないのです。
多くの人は「ワクチン=感染予防」という思考を頭の芯まで埋め込まれているのでワクチンに
効果がないという話は絶対に信じられないのです。医学教育を受けた医者や看護師でさえその
ように考えます。
しかし、中には真実を調べ理解している医師や看護師はワクチンに反対しています。
ワクチンについてよく言われるのはジェンナーの種痘ワクチンでの成功です。
でも、実際にはこれは捏造された話なのです。
ジェンナーの話は嘘(1)
エドワード・ジェンナーが天然痘を防ぐ「種痘法」を発見し、天然痘の撲滅に貢献した功績が良く知られているが、実際には、種痘を行ったヨーロッパの国々で爆発的に天然痘が大流行し、多数の死亡者が出た。
ドイツでは100万人以上が罹患し、一年で12万人が死ぬという事態となり、しかもその死亡した12万人のうち種痘を受けていた人はなんと96%もいたという。効かないばかりか、致死率を高めているのではないかと言われても仕方のない数字である。
そもそも、天然痘の勢いはその頃、勢いを衰えさせており、いずれ天然痘は十八世紀中に消滅していたと断言する専門家もいる。
だが、種痘接種が広まってから、天然痘は大流行してしまったのだ。
「予防接種を採用したドイツでは、1939年にジフテリアの患者数が15万人にまで増大してしまった。(同時期、予防接種を一度も導入しなかったノルウェーでは、患者数はわずか50人であった)」
「アメリカでも、ポリオ予防接種を義務化した州では、ポリオ患者が逆に700%も増加した」
「普仏戦争で、ドイツ軍兵士全員が予防接種を受けたが、53288人もの兵士が天然痘にかかり、死亡率も高かった」
(『医療殺戮』 ユースタス・マリンズ著 内海聡監修 ともはつよし社)
著者
種痘が撲滅されたのは当時の政府が感染者隔離御対策を徹底して行い、感染の流行を
防いだことが最大の要因です。
では、なぜワクチンに効果がないと言えるのか?
それは、
「ワクチンで作られる抗体では、感染を防ぐ力がない」
から。
ワクチンには、
・生ワクチン(弱ったウイルスをそのまま打つ)
・不活性化ワクチン(ウイルスが死んで活動しなくなったものを打つ)
・トキソイドワクチン(ウイルスが持っている毒素だけを無害化して打つ)
などがある。
「これらを注射で打つことで、体内に抗体が生じ、ウイルスに対する免疫ができるので、次にそのウイルスが入ってきたとしても抗体があるため抵抗力があり、感染予防ができる」
と、いうのが一般的なワクチンへの理解であるが、実はワクチンによって形成される抗体では感染症を防ぐだけの免疫力ができないのだ。
本来なら菌やウイルスがそのまま体内に侵入してきたり、死んだ菌が腸の中などを一部通るというような過程を経て、様々な情報伝達をしながら記憶したり反応したりできる免疫システムが備わっている。
だが、弱ったウイルスや死んだウイルスを注射で打ったところで、通常の皮膚や粘膜から始まる多層構造の免疫システムを省略して体内へと入ってくるため(本来の様々な情報伝達などのやり取りができない)、一部で抗体ができたように見えても「効かない抗体」を形成しただけに過ぎず、真の免疫力にはならないのだ。
抗体はあくまでも免疫システムの一部であり、「抗体=免疫力」とはならない。
むしろ免疫細胞の6~7割を占めるとされる粘膜など(腸管免疫)の存在を軽視してはいけないのである。
本当の免疫力とは、ワクチンを通じて生じた「見せかけの抗体」では得られず、重層構造になっている免疫システムでの防衛、およびそれらを経由し情報交換を重ねて得た抗体こそが本来の「活きた免疫力」なのだ。
引用→http://syouyoudo.com/symptoms/post-4153/
ジェンナーの話は嘘(2)
[[ 第二章 予防接種の驚くべき歴史]]
予防接種は、天然痘にかかったときの危険を最小限に食い止めようという、何世紀にもわたる試みから始まった。
人々は天然痘を防ぐ種痘法の父として、エドワード・ジュンナーを知っているが、事実は牛痘(牛の天然痘) の種を使ってこの病気を予防しようという試みは、彼が実験をする前の世紀から行われていた。
彼のアイデアは、この方法を使うことから生まれたのである。
古代のイギリスやドイツで魔術や予言などを業としていたドワルド派の僧侶たちは、徐々に身体の抵抗力をつける試みとして、天然痘の患者の膿疱からしみ出した液を均質に薄めたものを使ったりしていた。中世においては、同種毒療法として知られる天然痘の生物(膿や溶出液など)を使って病気を治療しようとする方法が、当代一流の天才的医学者パラセルサスによって、特別に用いられた。歴史家ル・デュクによれば、一六七二年シラクサの老女がコンスタンチノープルで同じような方法を用いたとのことである。
彼女は希望者の肌に×型に切り傷をつけ、傷口に天然痘の膿汁をこすりつけた。そして、これが天然痘を予防する確実な方法なのだといっていた。また、こうした天然痘の分泌物に触れることを勧める以外の方法として、敬虔な祈りを捧げること、肉食を絶つこと、四十日間断食をすることきも行われていた。なかでも断食は、個人の健康上意味深い利益効果があるとして好まれた。 なのに、この時代に天然痘がヨーロッパの広い地域に流行していたことは、記憶すべきことである。しかも多くの地方でよく似た予防法が行われていたけれども、すべて自己満足にすぎなかったのだ。
しかしながらこのとき、エドワード・ジェンナーの仕事によって、種痘の組織的な実施が行われるようになったのである。
彼の職業は散髪屋で、手足を治療する医師でもあった。
バーナード・ショウによると、天才というに値する彼のたった一つの資格は、
牛の病気である牛痘に触れると天然痘にかからないという考えを、ジュステイという農夫から聞き出したという点だけなのである。
この話の実際は、もっと複雑である。
というのは、牛痘にいつも触れている乳しぼりの人たちから十分な情報を得ていながら、ジュステイの批判にもかかわらず、ジュンナーは「この防衛力は馬から得られたものであって、牛たちは馬痘に感染していたのだ」と主張したのである。
そして彼は、病気の馬から直接人に接種することを主張した。にもかかわらず、彼の実験は当時の人々に幻想をもたらし、英国議会は総額三万ポンドの賞金を彼に与えたのである。
一度種痘に成功すれば、二度と天然痘にかかることはないという彼の主張は、これに反対する山のような証拠があったにもかかわらず、広く受け入れられた。
後になってヨーロッパでは、すべての幼児たちが牛痘の接種を受けることになった。
そのあげく(十九世紀後半に)天然痘の大流行に蹂躙され、それがきっかけとなって、ジエンナ一によって提唱された方法は禁止されたのである。
リンドラールは次のようにいっている。
「一八七〇~一年にドイツでは天然痘が猛威を振るっており、一〇〇万人以上の人が罹患し、一二万人が死亡した。
ところが、これらの人の九六%は、種痘をしていたのである。
たった四%の人が防衛力のない状態だったにすぎない。
そこで、ドイツの首相・ビスマルクは各州の政府に通達を送り、その中で、発疹性のおびただしい病人は種痘に起因していること、そして天然痘予防のための牛痘接種の効き目は完全にいつわりであることが明らかになったことを述べていた」
バーナード・ショウは『ネイション』誌上に、次のように書いている。
「種痘によって生命を守るのに失敗したことが否定しきれなくなると、とどのつまり、七年間はまだ有効だといい立てる(七は特別な魔法の数である)。
そして多くの場合、再接種を義務づけたのだ。
最も驚異的な大流行が起こって、種痘の義務接種が再高調に達した一八七一年には、毎日誰かが死の災害を受けたのである。
この状態は、一八八一年の他の大流行まで続いた。
ついでではあるが、この一八八一年には私も接種されたが、病気にかかってしまった。だが私は祖父よりも幸いであった。祖父は旧式の接種をし、種痘をし、その上自然の天然痘にかかったのであるから」 それから後は、専門家たちは種痘にのみ頼ることは止め、発生を抑制する方法として隔離を始めた。
すると、この方法は驚くべき成果を上げ、衛生学の進歩とあいまって、天然痘の発生をみごとに低下させた。こうして種痘の強制は大失敗に終わり、ついに廃止されることになったのである。
しかし、このように失敗が明白であり、その副反応が多発したにもかかわらず、種痘主義者は、強制接種をしている期間はヨーロッパ全体として発生が低下しているとして、種痘を正当化しようと試みた。
もちろん、この低下と種痘とが相関しているならば、他のすべての方法は排除され、この方法の失敗よりも発生率が低いという長所のために、種痘の継続を促進することが重要であることを示していたはずではある。
けれど、天然痘の影響力の低下に対する栄誉を種痘に与えることはできなかった。
なぜなら種痘をするしないに関係なく、ヨーロッパすべての地域で低下が起こっているという事実があったからである。
もしいくらかでも効果があるならば、コレラ、チフス、結核、赤痢といった同時代に流行した他の多くの「死に至るやまい」の減少に対しても、同程度には効果があると認められるべきであった。
イワン・イリッチは、明確に指摘している。
「工業化時代の最初から優勢であった伝染病に対しては、どのような医療が効果的であったかを、明らかにすることができる。たとえば、結核は二世代にまたがって最高潮に達した。
ニューヨークでは一人…年に結核の死亡率は確実に最高であった。そしてコッホが最初に結核菌を培養し菌体染色をした六九二年までには、人口一万人当たり三七〇人に減少していた。
最初のサナトリウムが一九一〇年に開院したときには、その率は人口○○人当たり一八〇人に減少していた。
当時結核は、死亡率表の第二位であったけれど、第二次大戦後は、
抗生物質が一般に普及する以前でも、
一万人当たり四八人の率で
死亡率表の十一位にすべり落ちていた。
コレラ、赤痢、チフスなども、医療にたよることもなく、同様にピークに達した後、衰えてしまったのである。
病因論が解明され、特効ある治療法が確立されるときまでに、それらの学問は関連性の多くを失い、必要ではなくなっていた。
猩紅熱、ジフテリア、百日咳、麻疹の一八六〇~一九六五年間の総死亡率は、十五歳以下の子どもでは、抗生物質の導入とジフテリア予防接種の普及する以前であったが、この期間に総計で、九〇%近くの減少を示している」
この死亡率の低下についての説明は、衛生状態の改善、住環境の向上、そして何よりも栄養状態の向上のために、病気に対する抵抗力が強化されたこととともに、微生物そのものの毒性の変化に、関連させることができる。
このようにして、天然痘や過去の多くの感染症の自然史は、よく似たパターンをたどった。
そして、
これは予防接種に関連があるというよりもむしろ、人間集団でのより良い環境、より良い栄養状態に関連が大きいのである。
このことは、これらの感染症を制圧する方法を改善するために、全力を注ぐ立場に立って考える場合、我々に明白で重要なガイドラインを与えてくれる。
(注1) そして、その場合、宿主(ホスト)とその免疫機能が、中心的で最も重要な視点となる。論争の常として、免疫機能を高める最高の方法は病原菌を弱めたり菌体の限られた一部分を取り出した感染源(すなわちワクチン)にさらすことだと考える人もいれば、免疫機能を高めるには住環境や栄養要因を改善しなければならないと考える人もいる。
もちろん、もしわずかの危険だけの予防接種で効果があるならば、我々は、そうだと信じさせられているが - その論争は、公平に考えられるものとなるであろう。しかしながら、予防接種は本来短期や長期の危険性をはらんでいることが判明しており、またどれほど防衛効果があるかも疑わしいという指摘もあるので、すべての該当者への大量集団接種には、再評価を加える必要があるのだ。
とにかく、ジュンナ一によって推奨された方法は、十九世紀には悲劇的な失敗に終わった。そして 強制接種計画は、終局的には崩壊してしまった。
引用→https://blog.goo.ne.jp/akyoon/e/88f5d6af4157395d25708dad027a2207
このように実際には種痘ワクチンが感染者を大量に発生させていたのです。
アシュタールが語っているようにワクチン接種では接種した1種類のウイルスにしか効果が
期待できないので、それ以外の変異種が出現すると全く役に立たないものなのです。
同時に自分の自己免疫力も低下させてしまうためにその後出現した感染症に対して無防備に
なってしまい、感染した場合には重症化します。
だから、今一番問題なのはコロナウイルスの感染ではなく、打ったワクチンそのものの弊害
です。これが今後大きな社会問題となってきます。
日本で感染者が急減したのはワクチン接種率が70~80%に達したのでワクチン接種の初期の
目標を達成したためかもしれません。後はワクチンを接種した人が新しいウイルスを広げて
くれる可能性があるのと、自己免疫力低下で多くの疾病に罹患していく可能性があるから
だと思われます。
すでにワクチン接種した若い人では不妊、精子の減少などが報告されているので将来日本の
人口は大きく減る可能性があります。それも目的の一つでしょう。
コロナ騒動はすべてワクチン接種が目的であったと知るべきです。
本当に健康でいたければワクチン接種をする必要はないのです。ほとんどの感感染症には
自己免疫力で対抗できます。ただ運悪く罹患した場合には投薬などにより治療を受けること
で治癒することが可能です。
3度目のワクチン接種が計画されていますが受けないようにしましょう。
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